風の色、海の色、バルセロナ色

バルセロナからの気ままな風。
コジェバトの春
この春は目まぐるしく変化した。日本の景気が良くなってきたのか、あるいは単に気晴らしをしたいという気持ちが抑えられなくなってきたのか。観光業界の2月3月の忙しさは並ではなかったが、私も急きょ3月末から日本に一時帰国をしてきた。春、25年振りに会いまみえる故国の春はひたすら寒く、冬物をあまり持たずに帰った私は、今更買うのも癪だしというので、重ね着でほとんど着た切り雀状態だった。桜餅と草餅だけは堪能したけど。最後は何とか大阪で満開の桜(ただし小雨降る中)に逢え、微妙に心を残す春との邂逅だった。



バルセロナに帰ってくれば暖かいだろうと願っていたら、こちらも寒さ長引く春で、5月になろうというのに未だ気温は20度になかなか達してこない。この寒さはロシア上空の寒気団のせいなんだろうか。ロシア上空が寒いと日本も冷え、ヨーロッパも冷える。つまりはそれだけ大気は循環している訳だ。今年がチェルノブイリ事故から25年、福島の25年後は一体どうなっているのだろう。

モンセラットの麓、コジェバト村に住むアスンプタから「福島の事故に関する講演会があるけど、来ない?」と誘われた。彼女は我が家の雄、マツの娘ダナの飼い主で、ダル・クラブの秋の遠足会の主催者だ。コジェバト村は小さい町なのに文化的な催し物がよくあり、彼女もご主人のペレと共々企画などにも携わっているようで、村の教会で開催される日本人のパイプオルガン奏者・菅藤泉さんのコンサートにも誘われた。この村にはヨーロッパでも数少ないパイプオルガン工房があり、モンセラット修道院のパイプオルガンなどを手掛けている縁で、オルガンや少年合唱団のコンサートを企画している。福島から人が来て講演するという事なのだが詳細は判らないまま、お犬たちの散歩も兼ねて夕食付で誘われたので出かけることにした。



そもそもコジェバトはモンセラット修道院のおひざ元、巡礼の道筋にも当たる村で、昔は巡礼者たちに水がないので代わりにワインを振舞ったそうだ。中腹にぽつんと礼拝堂があり、ここは中世にペスト患者の隔離所として使われていたとか。この村には今もキリスト教的精神が自然と伝わっているのかもしれない。そんな事をふと思ったのは、何も知らずに行った講演会だったのだが、実はコジェバト村は2002年から10年にわたりチェルノブイリ事故で被爆した地域に暮らす子供たちを、毎夏各家庭が受け入れていると知ったからだ。ペレ&アスンプタ夫妻とその友人たちが中心となって、Associació de Collbató per la Solidant(コジェバト連帯協会)を結成したのが2001年、ドイツのプロテスタント教会の呼びかけに応じたものだったとか。被爆地の子供たちがひと夏、自由に戸外で遊び健康的な生活ができるようにというボランティア活動で、ペレとアスンプタ夫妻も7年間、毎年ロシア人の子供を受け入れていたそうだ。

その10周年にあたる今年がチェルノブイリ事故から25年という節目に当たり、福島への未来への警鐘という意味合いで、今回の講演「Conferència dels liquidadors i herois de Txernòbil y Fukushima チェルノブイリと福島の被災者と勇士たち」が企画された。チェルノブイリからはSvetlana Margolinaさんが参加、事故直後の村人たちの様子を語った。「その日は気持ちの良い晴れた日で、みんな太陽を浴びようと肌を出してぶらぶらと散歩を愉しんでいた。何も知らされなかったが、いつの間にか電話が通じなくなっていた。村へ入ろうとする人やものが規制され、食糧が足りなくなった」と、放棄された現地の写真を交えての説明はうすら寒いものがあった。あの年、1986年の夏、私たちはヨーロッパへと移住してきたのだった。原発大国フランスでは厳しい報道規制が敷かれ、何も知らされないとパリ在住の友人が危機感を募らせていたが、実際にはとんでもない被爆が起きていたのだ。



今回の講演のために福島原発に働く人に講演を依頼したかったのだが、東京電力から被害状況などに関してインタビューを受けたり口外してはいけないという禁止令が出ているという説明がまずあり、福島からは教育学者のワタナベ・トモノリさん(通訳:マツムラ・マスミさん)の二人が来西、福島の現状と未来への不安について語った。「チェルノブイリの避難区域の数値を当てはめるなら、もっと広範囲の避難区域が出る筈だが、それについて政府は何も説明しようとしていない」という不安と不信が、現地に暮らす人の言葉で訥々と語られた。その激昂することのない、静かな語り口に胸を塞がれる思いがした。教育学者であったワタナベさんは、被爆しないようにと室内に閉じこもり、マスクを手放せない妹さん母子の姿を見て、「最大の被害者は母と子である」という思いから、その姿を絵に描こうと絵描きになったそうで、「3月11日の母と子供たち」というテーマを描いている。彼は日本の慈善団体のメンバーであり、現在は福島の子供たちのためのセラピストとしてのボランティア活動を行っている。講演前に招待された会食では、テラスでゆったりと食事ができることの幸せ、マスクも何もせず村を自由に散策できることの喜びが胸に沁みたという。そんな当たり前の自由が制限され、被爆の恐怖に怯えながら、避難することもできぬまま現地に留まり続けなくてはならない人たちが、動物たちがたくさんいるのだ。

チェルノブイリの子供たちはキリスト教のボランティア精神によって、ドイツやスイスなど様々な国でひと夏をホームスティして過ごす。その間に色々な催し物を楽しみ、歯の治療や健康診断などを受けるそうだ。福島の子供たちはそこまでしなくても良いのが現状なのか、それともそういう工夫ができないのが現状なのか、私には解らない。ただひと夏だけでも、被爆の心配をせずに思い切り遊べる夏休みが過ごせたら、それは彼らにとって忘れ難い体験であり、それが人を繋ぐ新たな絆になっていくのだろうと思う。「絆」という言葉の真価が問われるのは、これからの10年先、25年先なのかも知れない。だが、善意のボランティア精神から生まれたこういう絆が政治的色合いを帯びていくのは、ある意味いたし方のない事なのだとしても、やはりそういったものから距離を置きたい人たちというのは出てくる訳で、アスンプタ夫妻も今は協会にはタッチしていないそうだ。政治的攻撃力として利用されたくはないのだろう。



誰もが太陽の下でゆったりと寛いだ日が過ごせるように。福島の母と子に、そんな当たり前の日々が戻ってきますように。わたしたちの願いは、そんな単純な思いなのだが。


| るな | 雑記 | 21:33 | comments(0) | trackbacks(0) | -
とりあえず「猫の町」行き列車に乗ってみるか?
日本からの荷物が送りにくくなった。税関で足止めを食い、煩雑な手続きが必要になったらしく、一時帰国した際に、本を段ボール箱でどんと送るという事が困難だ。必然持って帰ってくる本は、重量と読み応えとを鑑み、さらに食料品と天秤に掛けられることになる。極力単行本は日本にいる間に読んでくることにしているのだが、他にも読みたがる人がいるだろうからと、今回は村上春樹の「1Q84 Book3」を、日本から持って帰ってきた。内心「重いなぁ」とぼやきながら。どうせ持って帰るのだからと、こちらに帰ってきてから読んだのだが…、食料品を持って帰ってきた方が良かった、かも。



この「1Q84」の中に出てくる「猫の町」からは、朔太郎の「猫町」がすぐに思い浮かぶ。猫神に憑りつかれた「憑き村」、猫の精霊ばかりが住んでいる村が、この宇宙の何処かに存在していると確信する、詩人の魂の掌編。以前にはコカインなどを使ってトリップしていたのだが、散歩中に故意に知らない道に入り込んで方向感覚を失う、つまり「迷子になってみる」という安上がりで健康的なトリップを愉しむ術ーそれは方位の感覚を失うという、知覚の疾病「三半規管の喪失」のせいだそうだーを身につけた主人公が、それによって迷い込んだ猫町。方向知覚が欠如している気味のある私には、妙に納得のいく話だった覚えがある。この掌編の中でも確か「商店の看板」が知覚の境目になっていた。

「1Q84」に出てくる、帰りの列車が止まらない「猫の町」、お祓いが必要な町。「深い孤独が昼を支配し、大きな猫たちが夜を支配する町」、その「猫の町」を出ていくように天吾の背を押すのが、「一度殺されたことがある」という看護婦で、これは父親の遺品の中にあった唯一の家族写真で初めて対面した彼の母親に似た顔立ちをしており、彼女の持つ記憶(見知らぬ男に首を絞められて殺された)と、天吾の母親が絞殺されたという事実は類似している。彼女は言う、「天吾君は暗い入り口をこれ以上のぞき込まない方がいい、そういうのは猫たちにまかせておけばいい。そんなことをしたってあなたはどこにも行けない」と。これって、とても母親的な言葉だ。あの「猫の町」には猫の精霊になってしまった天吾の母親、男と逐電し絞殺された女が住んでいるのかも知れない(看護婦に生まれ変わって昏睡状態となった元亭主を看護してるなんて、独特のアイロニー!)。その「猫の町」で、父親は己の唯一の存在理由であるNHKの集金人であり続けようとし、それを息子に否定されて生命を維持することを放棄する。母親である看護婦は息子を外へと開放する。あの「猫の町」には時空を超えた川奈天吾の家族がいたのだろう。



何も失うものがなかった青豆、男の命を救うために自らの命を絶とうとしていた青豆、孕んだ「小さなもの」を護るために外へ出ていく青豆。ふむ。そういえば夢の中で、裸で風に晒されつつ首都高に立つ彼女にコートを着せかけた「銀色のメルセデス・クーペの上品な中年女性」は、天吾と青豆が首都高への階段を昇り、月が一つの世界に出たときに、運よく空のタクシーを捕まえる事が出来た原因の女性でもある。タクシーのお客が隣車線に「銀色のベンツのクーペを運転していた女性」の知り合いを見つけ、そちらに乗り換えたが故に、空のタクシーは天吾と青豆の前にやってきたのだ。それは「麻布の屋敷に住む老婦人」を彷彿とさせる、善き護り手だ。ここにもまた母親的なものがある。

生憎なことに抹殺される羽目に陥ってしまった牛河が、最後の瞬間に見たのが絵に描いたように幸福な家庭をイメージさせる「庭のある一軒家で遊ぶ子犬」だったというのも、何だかアイロニーを感じさせる。プロである以上、尻尾を捕まれたら処分は致し方ない、それがプロとして生きる心構えだ。正直に話したから助かるなんて思うのは甘い。ふかえりの眼に射抜かれてしまった牛河は、二つの月が見える世界に入り込み、リトル・ピープルたちの温床となった。彼の存在意義はそこにあったのだろう。彼の髪の毛を使って紡がれる「空気さなぎ」は何を宿すのか? 彼が最後に見た子犬だったりして? それは邪悪なものなのだろうか? そしてもしかしたら、天吾の父親も二つの月を見ており、ベッドに横たわる肉体は彼のマザであり、影のドウタはNHKの集金人となって、リトル・ピープルの媒体として青豆・ふかえり・牛河という身を潜めている同類を攻撃していたのかも。それを息子によって否定された以上、存在するは許されないことだったのだろう。あたかも神話的世界の父親殺しに通じるように。

首都高への階段を昇り、月が一つの世界に戻ったかのような天吾と青豆。そこはガソリンスタンドの虎の向きが左右逆になっている、もう一つの世界だ。天吾と青豆が出会うために月が二つの世界が存在したのなら、二人が出会った後は当然ながら、月が一つでも、別な三つめの世界でなくてはならない。小さなものを護りながら、新しい世界で生きていく決意に至ったのは、村上春樹の小説世界ではもしかしたら画期的なことで、ピーターパン的世界から一歩、大人の世界に歩みだしたかのようなものなのかも知れない。ワタクシ的には、まぁ、ちょっと中途半端なラブ・ストーリーだったなぁ、という感じか。ほら、恋愛って、消去法で成り立ってるものじゃない? 選ぶ事が出来なくなったらゲームオーバーみたいな。必然になってしまった天吾と青豆のラブストーリーは、何だか小奇麗になってしまったのよね。必然のラブではオモシロくない(個人的な好みですが)。だが、男より素早く大人になっていく女にとって、いつまでもピーターパンな男はいかがなものだろう?



だが、ふかえりを媒体として成就した天吾と青豆の「子を生す儀式」から産まれてくる子は、やはりマザとドウタとかの関係でしかないのだろうか。そうだとしたらツマラナイことだ。「1Q84」では、ふかえりや青豆、そして天吾のように、10歳ごろに親という存在から否応なしに何かしらの力の脅威を受け、自分の中の何かを喪失したものが「ドウタ」を持つ、つまりは損なわれた部分がマザの「心の影」として分離して在るのだろう。言い換えれば、自己分離を経て、自己が再構築されるステップを踏まぬ限り、二つの月を一つにはし得ないという事だろうか。二つの月(マザとドウタ)を一つにできないと、森に棲むリトル・ピープルたちの通路になってしまう。二つの月を見て、分離したまま死んでしまった牛河のように。これって、やっぱり村上春樹的教義本なの?

しかし「1Q84 Book1,2」を読んだのはもう1年半も前で、印象すらほとんど薄れていたし、やっぱりこういうものは全部まとめて読んだ方がいい気がする。「Book3」が出るのを知っていたら、揃うまで読まなかったのになぁ。踊るあほうにもなれんかった、と反省。




ここにお借りした猫は、バルセロナ在住の友人・緒田原文子さんの作品からやって来ました。こういう太平楽な猫の町なら、しばらく暮らすのも悪くはないかもしれない、なんて初夢的に思うのでした。今年も愉しむぞ〜!
| るな | 本の愉しみ | 15:15 | comments(0) | trackbacks(0) | -
新・時代小説
私は時代劇が好きである。と書くと、チャンバラものが好きのように思われるかもしれないが(確かに好きではある)、剣豪の奥義を極める類の話は、正直苦手だ。極めることは個人的精進の法であり、別段剣豪でなくてもみんな同じじゃん? という不遜なワタクシが顔を出すのである(まことにもって…、はぁ)。



かといって、究極人情話のような類も苦手だ。それなら落語を聞いた方がいいように思う。人情話の一つや二つは、生きていれば個々の中にあるので、それを改めて字面で見るのはなんだかなぁ、という気がする。「芝浜」など聞いた方が断然面白いし。「落語は絵だ」という言葉が納得できる。人情は時代を超えても存在し続けているのであろうが、現代的状況でド〜ンと書かれれば気恥ずかしいものだ。ところがそれがお江戸調でなら、何となくこの気恥ずかしさをちょっと遠くに置いておける。泣いちゃったりしてもいいか、と自分にも優しくなれる。しかしオチがみんな同じようになってしまうから、人情噺だけではツマラナイ。懐深い話にするには噺家の巧みか、書き手の巧みが肝心なのだろう。

で、江戸モノが好きな私は、その辺りがミックスされたような「捕り物帖」的時代劇が結構好きで、池波正太郎の「剣客商売」「鬼平犯科帳」など、既に古典とも称せるものや、最近では宮部みゆきのちょっと妖しの世界も面白い。彼女には人の闇が闇であった時代の怖さと哀しみがある。

最近お勧めということで読んだのが、冲方丁の「天地明察」。スッスッと読めて、まことに手際よく一気に読ませる物語本であったが、直ぐに忘れてしまいそうだ(既にもう、朧な印象しか残っていない、何たる事でしょ)。碁打ちであり続けながらも、大和暦を考案した日本最初の天文学士・渋川春海の、何事も布石を敷いての詰めの一手か、ということを妙に納得させてくれる「よくできた物語」。起業家成功物語風だし、まさしく新・時代小説なんだろうが、なんだか物足りなさが残るのは何故なんだろうかと、うつらうつらと考えていたら、そうだ、ここには悲哀がないのだった。人間の闇が描かれていないのだった。物語の筋を追うことが主で、人が描かれていないのだった。いや〜、伝記物はワタクシ好かんのよね、とまたもや不遜な。

闇ということに関すれば、まとめ読みしたのが夢枕獏の「陰陽師」。イケメン安倍清明(逢ってみたい!)と笛の名手・源博雅という、ボケと突っ込みがちょっと心地好いパターンを生み出していて、私の大好きな平安時代、人の闇が鬼をも生み出すという、本当ならもっともっと怖〜い世界に行きそうなところを、ひどくサラリと仕上げてある。同じ素材を宮部みゆきが扱ったら手強い闇に引きずり込まれそうなのだが、この清明と博雅という組み合わせが何とはなしに潔く、他者を引きずり込まないように仕上がっている。「ゆこう」「ゆこう」というパターンが不思議な安心感を与えてくれるのだ。



このシリーズの一話に「無呪」という話があり、私はふとパトリック・マキリップの「妖女サイベルの呼び声」を思い出した。この作品は私に「言霊」ということについて、深く思いを馳せさせた幻想小説の名作だ。陰陽師の「無呪」に出てくるのは、この世で最も古い神「混沌」で、陽炎のように未だ形を持たず名を持たぬ混沌は、人が己の心の中に思い描いた姿に成ろうとする性を持つ。名を与えられるという事は、その形に当てはまろうとする事なのであって、それは混沌自らの死を意味する。つまり混沌とは混濁した意識そのものだった訳だ。
そして妖女サイベルは、力ある妖獣をマインド(心)の強さで屈服させ、己の支配下に置く。その方法とは妖獣の名を呼ぶ事で、彼女のマインド(支配力)が妖獣の力に勝った時、妖獣はその召喚に応じる。マインドの強さを持ち続ける事で、妖女サイベルは妖獣たちを「名前=己自身」という檻に閉じ込めているのだ。

あら、そう考えれば犬の調教に似ている。まぁ、マインド(我)の強いモノが制するっていう事では、人間同士だって同じといえば同じだけどね。おほほ。




久しぶりの帰郷で、四半世紀ぶりに霰を見た。内側に水彩絵の具でいろんな色を塗った小さな紙の箱を作り、その中に霰を入れて振ると、霰にいろんな淡い色が付く。小学生の頃、私が考案した秘かな冬の遊びで、アラレ万華鏡と呼んでいた。久しぶりにやってみたかったが、残念ながら霰は積もることなく溶けてしまった。

この時季、北陸の空は鈍色に変わる。毎朝、ご近所の子犬を借りて一時間ばかりの散歩を愉しんだ。画像は村の山寺と、お散歩友達のタイガ君。私が子供の頃、鹿や猿が里に下りてくるなんて事はなかったのに、今は庭先で遭遇するんだとか。茸や山菜採りに気軽に入れる山ではなくってしまったんだそうな。



それでも今年は柿の生り年で、何処へ行っても枝に多く残っているのが見え、あの柿色の温かみが嬉しかった。久方ぶりに収穫の楽しみも味わった。熟した柿をもいで食べると、しみじみと晩秋を、そして迎えつつある初冬の、あの震えるような空気を、肌で感じる事ができた。

ブータン国王夫妻の影響で、幸福度という不思議な度合いを測るのが流行りらしい。福井は「一番暮らしやすい県」として名を挙げたが、今や「一番幸福度の高い県」らしい。今あるものに満足する県民性なのかもしれない。多くを望まないことこそが「足るを知る」という事なのかもなぁ。わが故郷・若狭は、今再び原発問題に直面している。脱・原発を目指すらしいのだが。人の営みというのは、難しいものだ。


来る年が、実り豊かな年でありますように。穏やかな新年をお迎えください。
 

| るな | 本の愉しみ | 16:29 | comments(0) | trackbacks(0) | -
命を繋ぐ歓び
今年もスペインのダルクラブ大会が開催された。ビセンス会長の交友の輪から、毎回ダルの本家イギリスから、著名なブリーダーでもある審査員が、ボランティアで審査を引き受けて自費で来て下さる。ありがたいことだ。会長宅に滞在、ミニ・バカンスを兼ねてという事で、皆さん喜んで参加してくださるのだ。イギリス人というのは素晴らしいホスピタリティを脈々と受け継いでいる人たちである。今回のStef Kazana氏はダル・クラブとしては最も古い歴史を持つ「North of England Dalmatian Club」の前会長を長らく務めていた方で、おっとりと温かな人柄。私たちの質問にも真摯に対応してくださった。



クラブ大会は全て手作り、ボランティアで成り立っている。昨年から私が再度担当しているが、仕事の役割分担が何とかうまくいき、当日はみんなが会場設置なども進んでやってくれるので、私自身はその前の準備さえしてしまえば、結構気楽に参加できるようになってきた。こういう事はやはり回を重ねる、何とか頑張って続ける事が大事なのだと思う。日本のクラブがなし崩しで消滅するのは、このボランティアとホスピタリティの認識が甘いからではないだろうか。


今年で6回目を迎えたクラブ大会で、昨年生まれた我が家のダルがベスト・イン・ショウ(BIS)を獲得し、今年のクラブ・チャンピオンになった。夫の病気や初産のリミットなどを考え迷い抜いた末、友人のベジェス会長とマヌエルの支持、応援があってこそ出来た離れ業的出産計画であったが、無事に命を繋いだという思いがしみじみと湧いてくる。



思えば来年はクラブも10周年を迎える。我が家の血統の初代ベルはもう13歳になろうとしている。ようやく3代目であるからブリーダーとしては数少ない出産であるが、代々チャンピオン犬を輩出できた事は、私の静かな誇りである。美しく力強い犬が駈ける姿を見るのは、本当に心震える素晴らしい歓びだ。

クラブ大会はクラブ創立に関わった私たちの悲願とも言うべきもので、第1回クラブ大会の際にはベジェスの友人でもある偉大なイギリス人ブリーダーJoan Atkinson女史(映画「101匹ダルメシアン」の主人公ポンゴのブリーダー)が審査員を務めてくださり、我が家のマツとランがキングとクィーン、そしてマツがBISに選ばれるという快挙に酔うたものであった。第2回は後に我が家の仔犬たちの父親となるリスリングがBISを獲得、今回からはその子供たちが活躍する時代になった。ゆっくりとではあるが着実に実りの季節は続いていくのだと信じたい。


いろんな事があって、自分が中年になったという実感がそろりそろりと湧いてきた。これは「もう若くはない」というのとは違う感覚である。肉体的には当然衰えるし、若い姦しい騒ぎにはついていきたくもないが、そういうのとは違う「中年の愉しみ方」みたいなものが、何となく腑に落ちてきた気がする。男も女も本当に面白いのは50過ぎてからだという、ちょいとほくそ笑みたくなる様な感じなのだ。「まだ行ける、もうひと花咲かせたる」というおぼろな感覚がホワホワとあって、それはそれで愉しいものだ。いや、別に色気づいてる訳ではありませんが。もう気忙しく暮らしたくない、好きなものにだけ関わってのらくらいこうやないの、という心持は、やっぱり関西弁やないと味がないんやね。お国言葉というものは、やはり肌身にぴたりと沿う気がしますわなぁ。


| るな | ダルメシアン | 06:08 | comments(0) | trackbacks(0) | -
満員御礼
バルセロナのモニュメンタル闘牛場の約2万席が、満員御礼、熱狂的なファンで埋め尽くされた映像を見たのは、初めての気がする。70年代のローリング・ストーンズのコンサート以来だとか。バルセロナ、いやカタルーニャにおける最後の闘牛が、今年のメルセ祭のお祭り気分を盛り上げた。ミケル・バルセロ(Miquel Barceló)が最後の興行ポスターを描き、街に貼りだされたのが9月の中旬。ポスターを貼る場所が限られているバルセロナ、貼られるやいなや引き剝がされたりして、大きな話題を呼んだ。


 

カタル−ニャにおける闘牛が禁止になったのが2010年の夏。禁止にすべきかどうかで大きな議論を呼んだが、概してカタラン人は「良かったんじゃないの?」という反応。La Vanguardis紙のアンケートでは、「カタルーニャで闘牛が禁止になった事に満足しているか」という問いに、Siと答えたのが65%だそうだから、さっさと終わって片づけて欲しい、といった感じかも。今回の最終興行を祝いに、闘牛場周辺に集まった反対運動の闘士たちはカバで乾杯をして実ににこやかだった。最後の興行の立役者はポスターを描いたバルセロと、当代きっての闘牛士ホセ・トマス(José Tomás)だろう。トマスを担ぎあげて外へと繰り出したファンたちのほとんどは、国内移民と言われるアンダルシア出身の人たちと、闘牛興行が行われている南フランスや中南米の闘牛ファンが多かったとか。

闘牛士はスペイン語でToreroだが、「Torero! Torero!」と言うのは囃し言葉で、ちょっとカッコつけてる輩に対する、おちょくりと言うか冷やかしと言うか、そういうニュアンスで使うものだと思っていたのだが、トマスを肩に担ぎあげた群衆が口々に「トレロ! トレロ!」と叫んでいる映像を見て、まぁ、本当にそのまま闘牛士賛美の言葉にも使うものだったのね、とびっくり。





歴史を刻んだこのバルセロのポスター。闘牛ファンに加えて、現在のスペインで最も高値の付く画家バルセロのものとあって、譲って欲しいというファンは後を絶たなかったそうだが、販売などは一切されず1500枚限定だそうな。強烈な接着剤を使用している為、うまく剥がすのはほぼ不可能だと云うコメントもあったが、競売でなんと約2000ユーロの値がついた。うまく剥がした人がいた、ってこと、よね?

バルセロと言えば、この闘牛ポスター騒動と同時に、日本の是枝監督の「奇跡」が最優秀脚本賞を受賞したサン・セバスチャン映画祭でも話題となった。 作家であり画家であったマリ出身の20世紀のフランス人François Augiérasの姿と、アフリカのマリを旅する21世紀のバルセロの姿を重ね合わせるように撮ったドキュメンタリー風ドラマ「ダブル・ステップ 原題:Los Pasos Dobles」(監督:イサキ・ラクエスタ)が、第59回ゴールデン・シェル賞を受章したのだ。今やアントニオ・タピエスを抜いて、スペインで最も知られたアーティストだと言えよう。

このカタラン人の若手映画監督イサキ・ラクエスタ(Isaki Lacuesta)の受賞、そしてゴヤ賞を総なめし昨年のスペインで最も評価の高かった(カタラン語による映画だと言うのに! スペイン内戦時の物語だと言うのに!)「Pa negre(黒いパン)」の監督アウグスティ・ビジャロンガ(Augstí Villaronga)と言い、ヒューマニティ溢れる抒情的な映像が美しい。「Pa negre」はオスカーの外国語部門に指名されたそうで、これはカタラン語による映画としては初の快挙であって、カタランの映画界はとても活気づいている。傷が疼いてやまなかったスペイン内戦時を、やっと語れる様に、描ける様になってきたという事なのかもしれない。少し引いた処から映像に出来る世代によってしか、描く事は出来ないと言う事なのかも。

「Pa negre」はとても重く暗いお話なので、いい映画ではあるけどもう一度見たいかと言うと… でも多くの人に見て欲しい映画ではある。「大人たちの嘘が小さな怪物たちを育てる」と言うキャプションが怖い。こうやって自分の中に巣くう怪物を育てて生き延びてきた子供たちが、ちょうど今80代を迎え、その苦い黒パンの味を伝えられた世代が我々の世代に近い訳だが、この味は次の時代にはどう伝わっていくのだろうか。日本は第二次世界大戦が終わって高度成長を遂げ、戦争時に苦い味を味わった世代から今や飽食の甘い味へと移り変わってしまったが、大災害を境に少しずつ意識が変化してきている気がする。少なくともTVからくだらないグルメ番組がしばらくなかったのは、実に良かった。ここスペインも近年飽食の味わいが強かったが、未だに底の見えない不況が若者たちの上に長い影を投げかけている。飽食は腐敗を生むかもしれないが、この焦燥からはいったい何が生まれるのだろうか。


バルセロナはまた再び夏が戻って来たかのような気配。日中はこのところ27〜29度、そうはいっても朝夕は12度辺りまで下がる。あんなに雨の多い地方と言うイメージのガリシアのビーゴ(Vigo)ですら、この時期に水不足で街中の噴水を制限し始めたから驚きだ。各地でキノコ祭りが始まったようではあるが、収穫量は少ないようだ。こんなに雨が少なくては今年は期待薄かもしれないなぁ。だが嬉しい事にしめじ栽培が始まったらしく、スーパーに日本のようにパック売りが並ぶようになった。何故かなめこは冷凍で出ている。あのヌメヌメが苦手なんだろうか。こちらでもぬめりのあるキノコはあって(mocosoという)独特の風味がある。冬になると青物が何もなくなった昔に比べれば、栽培法の発達とグルメ志向のお陰でか、スペインも食材は本当に豊かになった。

今年は晩秋に帰国予定だが、キノコや新米がちょっぴり心配だ。もうこの歳になれば蓄積するほどの年数を生き延びもしないだろうから、無駄な心配というものかもしれないが。でも、美味しいものと言うのは贅沢な食材と言うものだけではない、何の心配もなく心穏やかに親しい人たちとゆったりと食する事こそが、美味しいのであり贅沢なのである。仕事で豪勢なレストランで同席する事があるけど、美味しい食事が出来た試しはない。美味しい食事と言うのはいろんな意味で豊かな時間を食べる事なのであって、土壌汚染が心配なんて言っていたら台無しだ。本当に豊かな食事と言うのは、そういう意味では失われてしまったのかもしれないなぁ。

ところで、明日は村上春樹がノーベル賞を受賞するのかしらん? 村上ファンが多いスペインの下馬評では結構いける、という評価なんだけども、ねぇ… まぁ、平和賞っていうんじゃないから、ねぇ?


| るな | 雑記 | 23:47 | comments(0) | trackbacks(0) | -

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