風の色、海の色、バルセロナ色

バルセロナからの気ままな風。
バルセロナという街に

その日、私は早めに仕事を終え帰宅していた。久し振りに昼食を家でとり、のんびりした気分でいた。そこに仕事仲間から突然のテロの知らせが届いた。8月17日、バルセロナで起きた一連のテロ。多くの死傷者を出し、子供たちも数多く巻き込まれた。

 

 

スペインが警戒度4に指定されていることは知っていたが、何故かバルセロナは大丈夫と思っていた。移民受け入れのプロジェクトを推進している街、共存を図ろうと、少なくともそう努力している街で、己の首を絞めるが如きテロは起こすまいと、そんな思いがあった。だがそれは、ただそう思いたかったというだけだった。

 

観光という仕事に携わっているので、仕事仲間との無事確認のメッセージが飛び交った。第一報をくれた仲間は、まさに今から旧市街散策に出かけようとしていた時に、仲間からストップが掛かったと言う。私の身にも起き得た事態だ。ニュースで驚く前にと、日本が朝になるのを待って家族に無事の知らせをする最中にも、こちらのニュースは犯人追跡の模様をリアルタイムで流している。Mossos(カタルーニャ州警察)の迅速で冷静な対応が我々住民に与えたものは、平常を保つことの大事さだったように思う。カタルーニャ広場の国鉄、メトロが閉鎖になり帰れない人たちのために、事件発生から2時間後には食事や部屋の提供、タクシーの無料サービス提供などが相次いだ。それらの多くは、食事一人分、部屋一人分というような慎ましい提供であったが、多くの人が今の自分にできる事に考えを巡らせた行動だった。

 

翌日、事件のあったランブラス周辺の店や市場こそ一部閉鎖だったが、サグラダ・ファミリアも美術館もすべて平常通りに観光客を受け入れた。メインストリートのブティック街もみな店を開けた。午後には国王を始めスペイン首相も駆けつけ、カタルーニャ州大統領やバルセロナ市長と共にカタルーニャ広場に何千人もの人々が黙禱集会に参加した。やがて「No tinc por 私は恐れない」というシュプレヒコールが静かに始まった。午後には公共交通は平常に戻り、ランブラスにも人が戻り始めていた。テロに屈しない、という姿勢を皆が一丸となって貫こうとしている。恐れていては前には進めないのだ、と。図らずも、バルセロナという街の強さをまざまざと見せつけた事件だった。フランスやイギリス、ベルギーなどで起きたテロ直後の街とは、バルセロナは徹底的に違っていた。この街は猥雑でありながら、なんとも云えぬ潔さを持ち合わす街なのだ。街を誇りに思う感情が私にあることにも、気づかされた。

 

26日の追悼デモ行進には50万人が駆けつけた。残念ながら私自身は仕事中で参加できなかったが、友人たちの多くが参加した。仕事中に州警察官に思わず駆け寄り、彼らの勇気を称え感謝の言葉を述べた友人もいた。デモには「No tinc por 私は恐れない」と書いたプラカードと共に、「Felipe VI y gobierno español, cómplices del comercio de armas フェリッペ6世とスペイン政府は、武器輸出の共犯者だ」という大きな横断幕が掲げられた。スペインと仲の良い湾岸諸国の国に、スペインが武器や弾薬を売っている事がテロの温床となっているという抗議だ。10月1日に再度行われる独立の是非を問う住民投票は、前回の35%程度だった投票率を、恐らく大きく上回るのではないだろうか。イギリスのEU離脱騒動を踏まえ、より現実的になったと思われていたカタルーニャだが、今ここでその民族意識は高まりを見せ結束力を強めている。対話さえ拒むスペイン政府のやり方に不満も募っている。9月11日の「カタルーニャ民族の日」に向けて、バルセロナは今動こうとしている。

 

| るな | バルセロナという街 | 12:55 | comments(0) | trackbacks(0) | -
秋深まる


今年の秋は特に身に染む気がする。老犬介護が始まったのだ。この夏の厳しい暑さからか、かなり衰えを見せ始めてきていたオスが、とうとう自力で立つことが出来なくなった。ハーネスで胴と腰を支えてやらねばならず、病み衰えてきたとはいえ30キロはまだある大型犬となると、なかなかに容易なことではない。朝一番の、まだ自分の体が思うに任せないというのに、これはかなりな肉体労働である。日に三回、身体全体を支えながら、台車に載せて外へ連れ出してやっているが、時間のやりくりに追われる日々だ。

だんだん弱っていく老犬の介護の話をすると、スペイン人の犬友の多くが、苦しみを長引かせるべきではないと安楽死を勧める。もちろん、我々もそう考えている。犬が痛みに苦しんでいるなら、そしてもう回復の見込みがないのなら、安楽死を選択すべきだと。だが、我が家の老犬は自力で歩けなくなっているにもかかわらず、散歩に行く事を待っているし、食欲もある。もう目もほとんど見えず、耳も遠くなっているが、私の姿を探すし、撫でてやれば目を細める。まだ時期ではない、と思う。



あんなに活力に溢れていた犬が、老いて行く姿を見るのは哀しい。大型犬の12歳といえば、人間の85歳辺り。秋も終焉だ。到底この冬は越せまいと思いつつ見ているのも辛い。だが、いま安楽死を選べば、悔いが残るのでないかという思いに疼かされる。そして安楽死を勧める根底にあるのは、人間の生活に負担が掛かり過ぎるべきではない、という考えなのだろうと思う。そういう見切ることの勁さを感じるが、日本人とは死生観が違うのかもしれない。輪廻も復活も信じてはいないが、あってもかまわないとも思う。

朝の森は靄に包まれている。死んだらこんなふうに温かな靄となって、木漏れ日とひととき戯れ、やがて霧散していくのが良いなぁ。我が家の犬たちの遺灰は森に還すことにしている。毎日、生を謳歌した森に還るのだ。
| るな | 雑記 | 02:50 | comments(0) | trackbacks(0) | -
夏祭り
夏は祭りの季節だ。ピレネーの村に行くと、村々のFiesta Mayorと呼ばれる、村の守護聖人祭に行き会う。山あいの村の最大の祝祭だ。カタルーニャ州の守護聖人はサン・ジョルディ、バルセロナ市の守護聖人は慈悲の聖母マリア・メルセデスだが、この8月を彩る祭りといえば、グラシア地区の祭り。グラシアはかつて独自の村だったため、バルセロナ市に組み込まれる前の自らの守護聖人がいるのだ。



グラシア地区は若者に人気の地区。若いアーティストたちやイッピー的若者が多く住んでいる界隈だ。猥雑さに適度に洗練された部分が織り交ぜられている感じの、庶民的でありつつちょっと他とは違うよと、小粋に鼻を動かしてるような街。この区域のFiesta Mayorは通り毎にテーマに沿った飾付を競う。今年最優秀賞を獲得したのはベルディ通り、テーマは日本だ。



異文化コミュニケーションを好む街だけあって、日本の小物を売ってる店もちらほらある。朱の大鳥居、ぼんぼり、伏見稲荷風千本鳥居、中華的竜。今も昔も変わらぬ、日本。ディスカバーJapan。



垂れ幕や鳥居に書かれている文字が、気恥しくも友愛だの幻想だの超越だのと、単純に字面で愉しめない日本人にとっては、なんともこっ恥ずかしい。私たちがアラブ文字を字面で愉しむのと同じで、そこにどんな危険なメッセージがあっても知ったことではないようなものだ。



大鳥居が入り口だとすれば出口を飾るのは相撲取りと芸者。ゲイの友人が、まさしくこの組み合わせで仮装パーティに出たというので笑った。スペインで言えばカルメンと闘牛士みたいなものか? しかし、相撲取りが隈取してやしないか?(笑)



富士山がないよね、富士山が〜。といちゃもん付けつつブラ歩き。ワタシ的にはパリをテーマにしたアントニ通りの方が好み。こちらは芸術点で一位を獲得しただけあって、パリのちょっとくすんだ色合いが偲ばれる。



ムーランルージュのカンカン踊りや、こんな下着屋さん。実在しそうなデフォルメの具合がいい感じ。ちゃんとエッフェル塔もあった。



上を見上げると水のペットボトルも素敵なモザイク天井に。色水の微妙なトーンで、バルセロナのあくまでも明るい陽射しをパリの空に変えている。やはり、芸術点は高い。



住民総出で製作している手作り感満載のお祭りだ。どう見ても学園祭の飾り物にしか見えないものやら、冷やかし歩きが愉しめるグラシアの祭り。8月にバルセロナを訪れるなら、ぜひお薦めしたい街歩き。
| るな | バルセロナという街 | 17:41 | comments(0) | trackbacks(0) | -
ピタゴラスイッチ
私の好きな番組に「ピタゴラスイッチ」という番組がある。NHKの幼児向け教育番組らしいのだが、しかもミュンヘンで「6歳までのノンフィクション部門」で最優秀賞まで受賞しているという。え? 6歳まで? というのが、ちょっと驚きなのだが、なかなかに愉しめる。四角いフレームで構成された白い犬「フレーミー」のアニメもあって、四角い犬たちが出てくる。真っ白なのと、真っ黒な四角い犬がいてテリアがモチーフらしいが、白黒スポット犬のスポッティーは、私は勝手にダルメシアンだと決めてかかっている。だって、白黒スポットのテリアなんて、あり得ないでしょ?



あと、テレビの形をした何でも写し出す白黒スポット犬・テレビのジョン、これだってやはりダルメシアンに相違ない(笑)。



とにかく、この番組の構成がなかなかに面白い。マッチ棒10本で作る「10本アニメ」とか、「お父さんスイッチ(おじいさんも可)」とか。「アルゴリズム体操」はこっそり練習したのだが、1人では意味の無い動きが、2人並ぶと関連性のあるものとなる、というだけあって、一人でやってると実にアホくさいのであった。ならば、「アルゴリズム行進」はどうよ? アルゴリズムとは物を解くための手順、という事らしいのだが、この行進、一度やってみたいが、どういうメンバーでやるかがポイントかな(笑)。

15分という短い放送時間に、実に多様なコーナーがあって、いつ見ても結構新鮮。やはり一番のご贔屓は「ピタゴラ装置」 ドミノ倒しのような連鎖的動きが繰り返され、最後に「ピ」の文字が登場・ゴールとなる。先日深夜に「ピタゴラ装置大解説スペシャル」というのが前後編一挙に放送されていて(海外放送)、ついつい見入ってしまった。こんな複雑に絡まり合った装置を生み出す頭の構造の持ち主って、いったいどんな人? 「ビー玉ピースケの大冒険」も良かったが、「影の装置」もいい。「意味の変容」とか「もののふるまい」なんて、ちっともわかんない6歳児で愉しんでしまうのが一番だろう。どうやって?という疑問から、創ってみたいと思い、次のステップに移行する子供たちが増えることこそが、アルゴリズムの目指すところなんだろうし。このあっという間の装置のために、いったいどれだけの実験・検証が行われたのかと思うと、そんなところもじ〜んとしてしまう(笑)、ちょっと大人なドラマ性も楽しめる番組だ。面倒なドラマやグルメ番組など見ているより、余程に元気が出てくる。そして恐らくは、ただ妙に明るく元気な幼児番組じゃない、そんなところが好きなのかも。自分の中のピタゴラスイッチ的なものを、探してみるのも面白いかも。一度ご覧あれ。
| るな | 雑記 | 01:45 | comments(0) | trackbacks(0) | -
尊厳
今年は記録的な暑さだ。7月初め早々に、これ以上の緊縮を受け入れるか否かという、ギリシャの国民投票の結果が61%のNOで週明けを迎えたヨーロッパ。拮抗しつつも「YES」がわずかながら上回るであろうと予想された、欧州の「ギリシャ人の良識への信頼」を裏切る形の投票結果となった。押し付けられた緊縮策はもうたくさん、借金まみれになろうと「尊厳」を持って生きるんだ、ってどういうことなのだろうか。この結果を見て、ギリシャの民意はEU離脱したっていいよ、何とかなるさ、という半ば捨て鉢な感じなのかと思いきや、何のことはない緊縮反対の民意など、どこをどう見ても関係ない結末と相成った。反緊縮の同志であった筈の閣僚を更迭するという、最後はチプラス首相の何ともなりふり構わずの遅き姿勢を露わにしたばかり。



日本でも今話題になっている粉飾決算、いわゆる嵩上げ会計で自分の会社が健全な運営をしているという信用度を高めようという事なのだろうが、これが国家を挙げての粉飾となると、ここにこそ実はギリシャという国の「尊厳思考」があったのではないかという気がする。西欧社会における哲学の概念を生み、民主主義という概念発祥の地であるという誇り、それが今、EUという枠の中で経済性で競わざるを得なくなり、弱い国と言われるスペインやポルトガル、しいてはイタリアなどと並列にされることへの不快感、我が民族が彼らより劣って良い訳がないというような意識、それが多額の借金返済に追い詰められた時、虐げられているという意識へと繋がったことで、仕事のない若者たちの現状への不満が出口を求めようとしたら、EUから離脱してでも緊縮を拒否したい、という事しかなかったのではないだろうか。しかし、そこには例えEUから出ようと自分たちは西欧民族であるという自負があればこそ、という気がする。いくらロシアや中国が支援の手を差し伸べようと言っても、ギリシャがロシアや中国の権力圏に入る気など毛頭ないだろうし、そもそもEUの一員で亡くなったギリシャにロシアも中国もさほど魅力は感じないだろう。どちらにしろEUの中で生きるしかないのだ。



チプラス首相はアテネ中心部の投票所で1票を投じた後、「反対票によってギリシャ国民は『尊厳をもって欧州に生きる』との断固たるメッセージを送る。誰も民意をないがしろにすることはできない。今日は民主主義の祝日だ」と述べた。だが結局はEUからのさらなる支援を得るためには緊縮策、年金削減を受け入れる提案をせざるを得なかった。失業率は25%越え、25歳以下の若者の失業率が49%という数字はスペインと似たようなもので、スペインだって緊縮策に喘いでいることに変わりはない。だがギリシャの様に国が不安定になったら観光客が来ない、観光立国でこれは大変な痛手である。ギリシャは不安定な状況である限り、観光客の足が伸びることは少ないだろう。これこそ負の連鎖だし、結局のところ耐えてきたスペイン人の方がお利口なのかもしれない。何と言ってもスペインには観光とサッカーがある。今年度上半期のスペインを訪れた観光客は2900万人、記録を更新したそうだ。今年は所得税の源泉徴収が21%から19%に切り下げられ、7月には15%に再切り下げされた。政府は我々はギリシャとは違う、回復に向かっていると強調してやまないが、失業率は相変わらず23.78%と高止まりだし、若者の失業率は50%を超えたまま。



だが、妙に居丈高に民主主義の勝利と満面の笑みを浮かべたチプラス首相を見ながら、そしてその後のEUに結局はおもねった姿勢を眺めながら、民主主義って何よ?と思わざるを得なかった。ギリシャの国民投票は、ただ単にさぁ、NOと言ってみよう!という事だけだったのか? 国家レベルでは民意において多数決の原理は存在しないのか? では、カタルーニャの住民投票は何なのだろうか? 日本だって国民投票という形で、集団自衛権に関する安保法案の賛否を直接問えばいいのにと思うが、やっぱり民意は活かされないのかも。まぁ、そういう国会議員を選出しているんだから、致し方ない訳なのか。

5月に統一地方選挙をやったばかりなのに、カタルーニャは9月27日に強引に州選挙を前倒しで実施すると言う。独立派連立政党のようなものを作り上げて、自分たちに投票しないものは「カタルーニャに反旗を翻すものだ」と、独裁者的発言までしでかす有様。この選挙で独立派連立政党が政権を獲得した場合は、 即座に独立に向けての準備を開始するとしており、中央政府がこれを妨害するようで あれば、準備期間すら置かず、その場で独立宣言を行なうであろう、と中央政府に対し脅しとも言える発言を行なった。確かに昨年11月に実施された独立の賛否を問う住民投票では、「1.カタルーニャが国家になるべきか」「2.その国家に独立を望むか」という質問に、80.76%がYES-YESと答えたが、これは中央政府が言う通り、何の執行力もないものだからこその数字だと思う。これがそのまま民意と言いきれないところに、カタルーニャ人の歪がある。すわ独立か、と騒がれ過ぎたせいか12月の世論調査では、反対派が賛成派を上回った。カタルーニャ人は「カタルーニャは一つの国家である」と考えてはいるが、実際的思考では独立が可能とは考えていないのではないだろうか。



だが、住民投票自体が主権のない洲が行うのは憲法違反だと言われると、ムカッと来る。というのが心情だろう。スペインという国家は、カタルーニャの納める税金に頼っているくせに、他の地方よりインフラ整備が遅れているという不満、それが不当に搾取されているような感覚に繋がり、フランコ政権時代的なものへのアレルギー反応として出てくる。ギリシャの国民投票だって、押し付けられた緊縮策にNOと言おう! 我らの尊厳を示そう!とは言うけれど、そうなった時のリスクについての明確な説明が、賛成派からもしっかりあったとは思えない。同じことがカタルーニャでも起きている。カタルーニャを一つの国に! カタルーニャ語による教育を行える国に! フランコによって潰された夢の共和国に! とは言うけれど、仮に独立した場合、通貨はどうするのか、EUに参加するための条件をどう満たすのか。



夢は夢である。そう自覚しながらも、夢を口にせざるを得ないところに、カタルーニャの深い歪みが存在する。そして、この独立を掲げるナショナリズモは、常に独裁への危険性を孕んでいる。真の政治的平等など、もはや栄光のギリシャにも何処にも存在しえない。共同体は大きくなればばるほど分裂解体を繰り返すものだし、マイノリティーに光が当たれば足るほど、細分化する。カタルーニャ人の真の願いは、危ういバランスに揺れ動いているのだろう。9月末、この独立への道筋はどんな形になっているのだろうか。そして独立とあいなった場合、カタルーニャ人かスペイン人であるかを選ぶことになるのだろうか?
| るな | 雑記 | 06:32 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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