風の色、海の色、バルセロナ色

バルセロナからの気ままな風。
満員御礼
バルセロナのモニュメンタル闘牛場の約2万席が、満員御礼、熱狂的なファンで埋め尽くされた映像を見たのは、初めての気がする。70年代のローリング・ストーンズのコンサート以来だとか。バルセロナ、いやカタルーニャにおける最後の闘牛が、今年のメルセ祭のお祭り気分を盛り上げた。ミケル・バルセロ(Miquel Barceló)が最後の興行ポスターを描き、街に貼りだされたのが9月の中旬。ポスターを貼る場所が限られているバルセロナ、貼られるやいなや引き剝がされたりして、大きな話題を呼んだ。


 

カタル−ニャにおける闘牛が禁止になったのが2010年の夏。禁止にすべきかどうかで大きな議論を呼んだが、概してカタラン人は「良かったんじゃないの?」という反応。La Vanguardis紙のアンケートでは、「カタルーニャで闘牛が禁止になった事に満足しているか」という問いに、Siと答えたのが65%だそうだから、さっさと終わって片づけて欲しい、といった感じかも。今回の最終興行を祝いに、闘牛場周辺に集まった反対運動の闘士たちはカバで乾杯をして実ににこやかだった。最後の興行の立役者はポスターを描いたバルセロと、当代きっての闘牛士ホセ・トマス(José Tomás)だろう。トマスを担ぎあげて外へと繰り出したファンたちのほとんどは、国内移民と言われるアンダルシア出身の人たちと、闘牛興行が行われている南フランスや中南米の闘牛ファンが多かったとか。

闘牛士はスペイン語でToreroだが、「Torero! Torero!」と言うのは囃し言葉で、ちょっとカッコつけてる輩に対する、おちょくりと言うか冷やかしと言うか、そういうニュアンスで使うものだと思っていたのだが、トマスを肩に担ぎあげた群衆が口々に「トレロ! トレロ!」と叫んでいる映像を見て、まぁ、本当にそのまま闘牛士賛美の言葉にも使うものだったのね、とびっくり。





歴史を刻んだこのバルセロのポスター。闘牛ファンに加えて、現在のスペインで最も高値の付く画家バルセロのものとあって、譲って欲しいというファンは後を絶たなかったそうだが、販売などは一切されず1500枚限定だそうな。強烈な接着剤を使用している為、うまく剥がすのはほぼ不可能だと云うコメントもあったが、競売でなんと約2000ユーロの値がついた。うまく剥がした人がいた、ってこと、よね?

バルセロと言えば、この闘牛ポスター騒動と同時に、日本の是枝監督の「奇跡」が最優秀脚本賞を受賞したサン・セバスチャン映画祭でも話題となった。 作家であり画家であったマリ出身の20世紀のフランス人François Augiérasの姿と、アフリカのマリを旅する21世紀のバルセロの姿を重ね合わせるように撮ったドキュメンタリー風ドラマ「ダブル・ステップ 原題:Los Pasos Dobles」(監督:イサキ・ラクエスタ)が、第59回ゴールデン・シェル賞を受章したのだ。今やアントニオ・タピエスを抜いて、スペインで最も知られたアーティストだと言えよう。

このカタラン人の若手映画監督イサキ・ラクエスタ(Isaki Lacuesta)の受賞、そしてゴヤ賞を総なめし昨年のスペインで最も評価の高かった(カタラン語による映画だと言うのに! スペイン内戦時の物語だと言うのに!)「Pa negre(黒いパン)」の監督アウグスティ・ビジャロンガ(Augstí Villaronga)と言い、ヒューマニティ溢れる抒情的な映像が美しい。「Pa negre」はオスカーの外国語部門に指名されたそうで、これはカタラン語による映画としては初の快挙であって、カタランの映画界はとても活気づいている。傷が疼いてやまなかったスペイン内戦時を、やっと語れる様に、描ける様になってきたという事なのかもしれない。少し引いた処から映像に出来る世代によってしか、描く事は出来ないと言う事なのかも。

「Pa negre」はとても重く暗いお話なので、いい映画ではあるけどもう一度見たいかと言うと… でも多くの人に見て欲しい映画ではある。「大人たちの嘘が小さな怪物たちを育てる」と言うキャプションが怖い。こうやって自分の中に巣くう怪物を育てて生き延びてきた子供たちが、ちょうど今80代を迎え、その苦い黒パンの味を伝えられた世代が我々の世代に近い訳だが、この味は次の時代にはどう伝わっていくのだろうか。日本は第二次世界大戦が終わって高度成長を遂げ、戦争時に苦い味を味わった世代から今や飽食の甘い味へと移り変わってしまったが、大災害を境に少しずつ意識が変化してきている気がする。少なくともTVからくだらないグルメ番組がしばらくなかったのは、実に良かった。ここスペインも近年飽食の味わいが強かったが、未だに底の見えない不況が若者たちの上に長い影を投げかけている。飽食は腐敗を生むかもしれないが、この焦燥からはいったい何が生まれるのだろうか。


バルセロナはまた再び夏が戻って来たかのような気配。日中はこのところ27〜29度、そうはいっても朝夕は12度辺りまで下がる。あんなに雨の多い地方と言うイメージのガリシアのビーゴ(Vigo)ですら、この時期に水不足で街中の噴水を制限し始めたから驚きだ。各地でキノコ祭りが始まったようではあるが、収穫量は少ないようだ。こんなに雨が少なくては今年は期待薄かもしれないなぁ。だが嬉しい事にしめじ栽培が始まったらしく、スーパーに日本のようにパック売りが並ぶようになった。何故かなめこは冷凍で出ている。あのヌメヌメが苦手なんだろうか。こちらでもぬめりのあるキノコはあって(mocosoという)独特の風味がある。冬になると青物が何もなくなった昔に比べれば、栽培法の発達とグルメ志向のお陰でか、スペインも食材は本当に豊かになった。

今年は晩秋に帰国予定だが、キノコや新米がちょっぴり心配だ。もうこの歳になれば蓄積するほどの年数を生き延びもしないだろうから、無駄な心配というものかもしれないが。でも、美味しいものと言うのは贅沢な食材と言うものだけではない、何の心配もなく心穏やかに親しい人たちとゆったりと食する事こそが、美味しいのであり贅沢なのである。仕事で豪勢なレストランで同席する事があるけど、美味しい食事が出来た試しはない。美味しい食事と言うのはいろんな意味で豊かな時間を食べる事なのであって、土壌汚染が心配なんて言っていたら台無しだ。本当に豊かな食事と言うのは、そういう意味では失われてしまったのかもしれないなぁ。

ところで、明日は村上春樹がノーベル賞を受賞するのかしらん? 村上ファンが多いスペインの下馬評では結構いける、という評価なんだけども、ねぇ… まぁ、平和賞っていうんじゃないから、ねぇ?


| るな | スペイン事情 | 23:47 | comments(0) | trackbacks(0) | -
マニータ
11月末の日曜は恒例のダル・クラブの遠足会。カタルーニャ州議会の選挙でもあった。今年最高の見ものになるクラシコ(バルサ-レアルマドリッド)戦は日をずらしたが、たかがお犬の遠足、大した影響はないし。




お犬の遠足は我が家のお孫たちが3匹参加。マツの娘のダナとニキータ、そして今回のランの娘カリン。そしてなんとマツの孫まで! う〜ん、やっぱり外孫より内孫の方が可愛いのは、致し方ないか。こうして親娘で歩いているのは可愛いもの。カリンは5カ月ながら将来が楽しみなメスで、今月はいよいよ本格的にショウ・デビュー。オーナーが愉しんでくれるのが何より大事で、負けて面白くないからすぐに諦めてしまったり、あろう事か犬に当たるような態度では好い犬を作りだす事は出来ない。結局、犬の躾というのは飼い主の気分にむらがあっては出来ないものなのだ。





選挙はカタルーニャ連合(CiU)の復活大勝利で終わったが、やっぱりこの不景気を何とかして欲しい有権者が、安定感のある党のイメージが強いCiUを選 んだと云う事だろう。そういう意味で民衆党(PP)が一躍第3党に躍り出たのも、社会党(PSC)の出口の見えない現状に相当頭に来ているんだろうと思わ れる。だって、カタルーニャでフランコの流れをくむ党が躍進するなんて、ちょっと考えられない事だったもの。世界はみんな右にと流れて行く気配がして、何 となく思考も不景気になる。しかも元バルサの会長だったラポルタ(こちこちのカタラン主義者)率いる新党 (Si) が躍進し、4議席も獲得したのもちょっと面白くない。バルサ会長時に金銭面での不正が囁かれ、バルサの中での影響力を保持しつつ政界に打って出ようという野心が丸見えだったし。政治の道具にされるのを嫌って、グアルディオラが監督続投になかなか首を振らなかったという噂もある。

ペップ・グアルディオラがやっと続投を決めたのは、次期会長選が終わってからだったが、長期のオファーにも首を振らず、結果を出せなかったら辞める、長期政権にはしない、という彼の公約通り1年契約だった。来季はせめて2年契約くらいにしてもらって、あまりヤキモキしなくて済むとありがたい。

変わって4年契約で「自分が最高の監督」とのたまわって、バルサに勝つために宿敵レアル・マドリの監督として乗り込んできたモウリーニョ。まぁそのお行儀の悪さに頭に来ているのはバルサっ子だけではなく、ことごとく相手をこきおろし揶揄するその口調にメディアのおちょくりも面白い。その対比の仕方も、“モウ“対“ペップ”では”傲慢“対“謙虚”、チームでは“カルテラ(財布=選手買い取主義)“対“カンテラ(採掘=選手育成主義)”、辺りが最も頻繁に目につく。

モウの挑発的で計算高い陰湿な男、というイメージは、先日の「耳打ち作戦」によく顕れている。イエローカードをチャラにさせるためにワザと選手二人にファウルを取らせ、次の決勝戦はゼロカードから始めようとしたという疑惑(この監督、頭がいいのか悪いのか…?)で、スポーツ精神に欠けると云うので関わった選手を含め高額の罰金を喰らったが、この策士“モウ“の執拗とも思われる挑発的発言には、謙虚な“ペップ”も相当に頭に来ていた模様。それが5対0という忘れ難い勝ち方をしたのだから、カタルーニャがお祭り騒ぎとなったのは当然かも。通りには誰もいない夜。同日だったら、誰が選挙により高い関心を持ち続けるだろう? 

この“モウ“と好いコンビのタカビー・ロナウドの「マドリから8点を奪えるものならやってみろ」発言、バルセロナが弱小チームのUDアルメリアに8-0と大勝したことについてのものだが、強敵マドリ相手に5-0なら、どっこいどっこいだってことくらい本人だってさすがに自覚しているだろう(それすらなかったら問題だ)。おまけにペップのちょっとしたおちょくり挑発に乗って監督を小突くと云う頭の悪いキレ方。抗議の仕方なら、それこそいくらだってあるだろうに。モウ監督秘伝の技、中指一本上にあげるだけだって十分なのだ。

だがメディアがこぞってロナウドやラモスの顰蹙シーンを繰り返し報道するのは、まぁその平常の傲慢な態度に問題があるんだろうし、モウ監督のアンチ・フェアプレー精神に対する嫌味も含まれているのかもしれない。「スペクタルの極みというべき試合を世界に見せる責任がある」とのたまったモウ監督、その責任を果たせたのかどうか問われるところだが、あれだけのお喋り自意識過剰監督が、選手にも自分にも緘口令を敷いているのが、実にオカシイ。しかし、サッカーってものすごく政治的スポーツなのねぇ、と今更ながらに感心するのでした。会長席の隣はカタルーニャ州大統領席が定席、この日はまだモンティージャ州大統領だったけど、会員席にいたCiUのマス代表がアップで映し出され、政権交代を実感させていたのが印象的だった。選挙での大勝とバルサの大勝、CiUにとっては堪えられない夜だっただろう。




スペイン・リーグのイケメン大賞を決めたピケ(当然よね!)が広げた5本の指、これが“マニータ”、小さな手というのが直訳だが、サッカーでは5得点ゲームをこう呼ぶのだそうで、当分バルセロナではこの挨拶が流行りそうだ。勝利の美酒はかくも美味し。翌日の新聞ではこの“マニータ”と“バニョ(圧勝)”という見出しが、クレ(バルサっ子)の購買欲をいやがうえにも高めたのである。あ、もう一つ、“ファミリー”対“チルドレン”というのもありましたね、チームプレーに徹したバルサと、うまくいかないとすぐにキレるお子ちゃまマドリ。しかし、去年の監督のペジェグリーニは温厚で素敵な紳士という感じだったし、長年主将だったラウルも洗練されていて感じ悪くなかったのに、監督一人で変わるもんなんですね〜。現主将のカッシージャが気の毒な感じ。マドリ唯一の生え抜きなのに。


さて、このピケが広げた手を見て、何故かミロの作品を思い出したワタクシ。ミロにはいくつか手をモチーフにした作品があるが、スペインではテロ行為などに対する抗議デモの際に、手を白く塗って掲げる。Mano limpio、汚れなき手、無実という意味合いだが、Mano negro 黒い手は、黒幕というような意味合いになる。




フランコ独裁政権下で制作を続けていたミロにとって、1954年に描かれたこの「半開した空が我らに希望を取り戻す」という作品の中の白い手、踊る骸骨。もっと後期の作品では白地に黒い手のものもある。ミロというとあの明るい、世界が全開したような作品のイメージが強いが、意外に暗く重たげな作品を書いていた時期が長い。厳しい目、両性具有の怪物的人物など、独裁政権が彼に投げかけていた影は暗く深かった気がする。

マドリの愛称“ブランコ(白)”が、モウ監督で”ネグロ(黒)”になってしまわないように、な〜んちゃって。






これは「鳥を捕まえる手」という題。捕まえているのか、遊ばれているのか。ほとんど自由という字義と等しい? 青い空にのびやかに遊ぶ小鳥と手。この青は地中海の色だ。


もうすぐ年越し。平穏な新年を迎えたいものだ。みなさま、穏やかな年越しでありますように。

| るな | スペイン事情 | 20:31 | comments(0) | trackbacks(0) | -
狂うのは牛か人か
カタルーニャで闘牛がついに全面禁止となった。3年ほど前に禁止騒動が盛り上がり、一旦禁止になると言われながらも観光客用に生き延びた感があったが、再度の議決で賛成67、反対59、棄権5という際どい過半数原理で採決された。



そもそもカタラン人に闘牛への思い入れは少なく、闘牛もフラメンコも自分たちの文化ではないと思っている人が多い。だがこうもはっきりと賛成か反対かを問われた時に、その行為の残虐性と、そしてよく言われる芸術性とを天秤に掛けると、こういう数字になってしまうのかもしれない。むろんその芸術性だけではなく、観光都市であるバルセロナなどは経済面への配慮も働くのだが、これを「スペインの国民的祝祭」「国技」と呼ぶことには、カタラン人であればほとんどが反発するだろう事は難くない。それならそこから抜けさせて貰おうじゃない、って感じか。

暗い通路を抜けると光溢れる闘牛場、そこには死を祝祭へと変える群衆の歓喜の声。銛で打たれ槍で突かれ、死の舞を強制され、そして雄々しく死ぬ事を美とする群衆の歓声によって狂気へと導かれる牛。狂っているのは牛なのか?

いかにその身近く牛をかわすことができるかを競い、華麗に赤いムレータを翻し身を反らす。我が身の危険と背中合わせのダンスを踊り、見得を切る。延髄に深々と短剣を差し入れる妙技。時をかけて培われた精神性を伴う芸術だとしても、赤いムレータに狂うのは牛なのか、人なのか。

2007年の夏から国営放送のTV1が闘牛の生放送を取り扱わなくなったのも、国民の2/3が関心がないという数字が示す人気低迷度を反映してだが、イギリスでキツネ狩りが禁止となるなどの動物愛護運動の盛り上がりが後押しをしている。貴族の愉しみであるキツネ狩りをスポーツ文化と見るのか、鯨漁を食文化と見るのか、高い技術を伴い己の命をも賭けたマタドールの舞を無形文化財と見なすのか。

すべてのものに、光と影がある。ギリシャ神話の流れをくみ、古代ローマではクリスチャンの剣闘士と動物を戦わせる残虐なショウの流れを汲む闘牛が花開いたのは、12世紀のスペインだが、その闘牛に魅惑された芸術家は多い。ゴヤ、ピカソ、ダリ、ミロ…。




だが正直なところ、個人的には闘牛は残虐だし嫌い、必要性を感じないと思っている人が大半を占めるにしても、それを議決によって禁止してしまうことには抵抗を感じる人は少なくない。カタルーニャの詩人のギム・フェレールが「闘牛を禁止することは、ピカソやミロ、バルセロを禁止することと同じだ」という発言をしている。「例えばサッカーが嫌いだからと言って、私はサッカーを禁止しろとは云わないよ。見たくなければ見なければいい。問題は見たくないから禁止、と言うのでは表現の自由に制限を与えることになるだろう。それにカタラン文化でないから価値を認めない、というのは以前の独裁政権下のスペイン的な間違った考え方みたいじゃないか」という意見には賛同者が少なくない。かつてフランコ独裁政権によって、民族の踊りサルダーナを禁止されたことをチクリと皮肉ったところは、カタラン人には根深い恨み辛みがまだあるのだという事を垣間見せてくれる。

今回の禁止議決に対し、これは純粋に動物愛護精神からなのか、それともカタルーニャ文化ではないから除外するのか、そこのところの曖昧さが何となく気にかかる。動物愛護でならあらゆる狩猟は禁止されるはずだし、カタルーニャ文化でないからなら、バルセロナではフラメンコだって禁止になるかもしれない。これがカタラン主義の嫌な側面であり、砂糖衣の毒薬だったりするのは愉快ではない。



しかし、国技とされる闘牛興行の実況中継が廃止になったのに、毎年7月のサン・フェルミン祭が始まると国営放送のTV1が、牛の走り抜ける様を1週間ほどの祭りの期間中、毎朝実況中継するのは、はっきり言って納得できない。いかにヘミングウェイによって知られたスペイン三大祭りのひとつであろうが、所詮は一地方の祭りである。それが税金によって制作運営されているTV1で放映するというのは、納税者の一人としてはちょいとムカつく。あんなのを毎朝、朝食の時間帯に見て仕事に行くって、どういう神経なんだろうかと思ってしまう。当然ニュースの時間は後送りだ。所詮スペイン人にとって時事問題は、サッカーと祭りの前では影が薄いのね〜、とまぁ妙な納得をするんだけども。




| るな | スペイン事情 | 19:04 | comments(0) | trackbacks(0) | -
疾走する牛、そして自転車
7月になるとパンプローナの「牛追い祭(エンシエーロ)」が始まる。ヘミングウェイの「陽はまた昇る」で有名になり、これに魅かれてやってくる人も多い。てっきりパンプローナ特有の祭りだと思っていたが、ナバラ地方では結構あちこちで牛追い祭りは行われるらしい。織りの夏季集中クラスにパンプローナから避難してきた娘さんがいて、このサン・フェルミンの期間(7月6日前夜祭〜14日まで)は街全体が狂騒に包まれ、塵だめの様になるとか。

毎年TVが朝8時きっかりに始まるこの牛追いを実況中継する。牛が走るのは800メートル余りで、時間にして3,4分のことだ。トラブルがなければもっと早く駆け抜けるし、事故が生じれば長引く。この3分ほどの実況中継、事故が起きたシーンの録画を何度も何度も写し、ご丁寧に解説員が状況分析までやっている。何ともはや、な、お祭りなのだが、今年は14年ぶりだかで死者が出た。逆走してきた牛の角で首を刺された27歳の若者だ。壮絶なシーンが朝食時間に全国に送り込まれる。

それでも、祭りは続く。翌日も1分間の黙祷こそ挙げられたが、アンダルシアの有名牧場からやってきた牛たちは追われ、逆上し、角をふりたて、やがては駆り出されて死んでいく。雄々しきもの、それは牛である。肝試しで前を駆け抜ける人間ではない。人は牛の前を駆けずとも生きていける。そして今朝も何人かの男が角に刺され振り回されていた。リスクは承知の上の、大人の遊びなのだ。それでも陽はまた昇る。それが祭りであり、民族の血なのだろう。

疾走するのは牛だけではない。今年は44年ぶりに「ツール・デ・フランス」がバルセロナを駆け抜けた。過酷なピレネー越えの映像は毎年の夏の風物詩であり、年によっては雪が降ることもある。この自転車群団がなんと我が街を通る、というので早速見物に行ってみた。



何とも賑やかにフランス語とスペイン語、時にカタラン語を交えてのスポンサー宣伝車が先掛けをして行く。時々何か広告のおまけの帽子やら蛍光テーピングやらを投げてくれるのだが、我が家は3個のグッズをゲット。これって凄くない? やはり我が家はお祭り好きなのだった…。3ユーロも出して帽子を買っている人たちもいて、これが結構な売れ行き。そして待ちくたびれた果てにやってきた自転車群団は、それこそあっという間で…



一体何処に日本人選手がいたのやら。
| るな | スペイン事情 | 17:33 | comments(0) | trackbacks(0) | -
カサ・ルラール
Casa Ruralとは、スペインの田舎屋などを1軒ごと、もしくは一部屋毎に貸す方式のもので、キッチンが付いているので自炊も出来るところが多い。大きなものは十数人も泊まれるものがあり、仲の良い友人家族同士で共同で借りることも可能だ。最近のエコ・ブームにもあやかって、自然の中でのんびり過ごしたい人向きで、急速に増えてきている。ペット同伴も可、というところも多いので、それも魅力。

カン・コィへようこそ!

我らが友人のベジェス兄弟も、双子なので当然ながら定年を迎えるのも同じ誕生日なのだが、現在諸事情から早期退職を検討中だ。そして長年の夢であったCasa Ruralに向けて準備を始めている。

リタイア後は大好きなダルメシアンとのんびりと田舎暮らしを愉しみたい、と彼らが廃屋探しを始めたのは2001年。再婚後、仲違したままだった父親が亡くなり、遺産の半分が兄弟に残されたのがきっかけだった。建築的アドバイスが欲しいという彼らに付き合って、私たちも幾つかの廃屋探しに付き合った。ブリーダーとして多くの犬を飼っているので(と言ってもプロに比べれば少ないが)、周りに気兼ねしなくて済むように、また十分な運動を与えられるように、野中の一軒家である事と、当分は仕事を続ける為にバルセロナへ通勤可能な距離である事、などの条件を満たすカン・コィに巡り合ったのが2002年の初夏。

廃屋のカン・コイ

当時屋根が一部落ち、以前の持ち主の古い家具などが放置されたままだった廃屋は、電気、ガスは無論のこと水道もない状態だった。持家を売却したお金を改築費として、彼らは夏休みからこのインフラの整っていない環境で暮らしつつ改築を始めた。暖房のないまま5歳の子供を抱えてその冬を過ごした彼らには、あらゆる意味で試練が待ち構えており、それは今もある種の禍根を残す事になった。

人はある程度の年齢になると、自分に必要なものが何か、本当の意味で解ってくる。結局のところ、心静かに暮らせる暮らしを維持する、という事だけなのかも知れない。少なくとも紆余曲折の末、彼らが得たのはそういう結論のようであり、ある意味西欧的自我の発露なのかも知れない。夫婦だ、子供だ、家族だなどというより、自分の個としての生き方が尊重されるべきだという考え。エゴイズムと表裏一体とは言え、ある意味、そこまで割り切ってしまえば楽だろうと、私には羨ましくも思われるが…。




さて、この家をCasa Ruralとして申請して行くには、水の確保が欠かせない。この地方の民家は昔はすべて雨水を屋敷の地下に貯めて使っていたが、洗濯やシャワーなどで使用量が比較にならないほど増えた現在の暮らしでは、無論足りる訳がない。もともと川からも遠く、降水量の少ない地方だから、この水の確保が大きな問題だ。ガスはオイルガスのタンク、電気は太陽電池と発電機の組み合わせで、何とか用は足りるが、問題は命の水。井戸を掘らねばならないが、その深さ約150〜200メートルだと言う。

先日、兄のビセンスが水の位置が分かったと電話してきた。石の揺れで水の位置を推し量るという、昔ながらの手法だと言う。あのビクトル・エリセ監督の映画「El Sur」の中で見たシーンが脳裏に蘇る。挫折の果ての孤独にしがみついている父親と、その孤独の実態を知らぬまま憧れつつも畏怖する娘が、荒野で懐中時計を下げて水を探すシーン。私たちが渡西する直前の86年に日本で公開され、「ミツバチのささやき」とはまた違う世界に、魅せられた。市民戦争など深く理解もしていなかった頃に、初めて感じたスペインの影。

意外と知られていないがアデライダ・ガルシア=モラレスの原作があり、映画の後で読んだせいか、原文への理解力が弱いせいか、やはり映像ほどの残像は残らなかった覚えがある。ただ映画は未完の状態に近い(続編が作られるという噂もあった)が、父親の自殺後セビーリャに行った娘が父の過去に巡り合う事で、一人の男としての父親を理解する、という構図はちょっと切ないものでもあった。しかし「ミツバチのささやき」もそうだったが、自閉的な父親と家族(娘)、という構図が繰り返されているのが興味深い。久しぶりにビクトル・エリセの映画を見直してみたくなった。ガルシア=モラレスの本も読み返してみようかな、そのうちに。

さて、話が横道に逸れてしまったが、あの映画の如き(ただし懐中時計というオシャレなものではなく、ただの石ころと荒縄)水探しをこの目でみたいと言う私の要望を聞き入れて、ビセンスが実演してくれたのがこのシーン。石が円を描いて左に振られているのが分かるでしょうか?



やはり誰にでもできる訳ではない様で、ビセンスの円の描き方が最も大きく、時には直径80センチほどの円を美しく描く場所がある。私もやってみたが、20センチ程度の円をどうにか描く程度だった。水を身体に伝える電流の様なもの、波長の様なものがあるのかも知れない。緩やかに動き出す石から大地の力を感じ取る不思議。今も昔も変わらぬ世界は、確かにあるようだ。

スペインの田舎生活を味わってみたい方、いかがですか? トリプル 1部屋、ダブル 2部屋、ミニ・サロン付き。朝食付き。共同キッチンで自炊も可。ペット可。2泊から。お問い合わせはメールにて、cancoll@bosquedesantcugat.com まで。
オリーブ畑とブドウ畑を渡る風に吹かれてみませんか? もちろん愉快なダル付き!
| るな | スペイン事情 | 10:51 | comments(0) | trackbacks(0) | -
スペインの家庭料理
日本スペイン協会から「スペインの家庭料理」という本が届いた。私も2,3年前に依頼されて幾つかのレシピを寄稿したのだが、そうしたものがまとまって、スペインの100の家庭料理が紹介されている。

スペインの家庭料理

私はダル・クラブで毎年主催しているカタルーニャの焼き葱「カルソッツ」や、カタルーニャの名物デザート「クリーマ・カタラン」などを書いたと記憶しているが、スペイン各地の地方色豊かなお料理が簡単レシピで紹介されている。アントニオ・フローレスさんの絵タイル風なイラストが素敵。でも、何故か写真がむか〜しの総天然色風なのが不思議。なぜ? 料理は見ても愉しめるものであるべきで、写真も現代的なものだったらもっと美味しそうに見えるのに、とチョイと残念。そう思いつつパラパラと見ていたら「料理の写真は参考イメージとして載せてあります」というミニな記載を発見。う〜む…

でも、ま、みなさま、この本見かけたらちょっと手に取ってくださいませ。「愛は胃袋から生まれる」と言われるスペインの食生活の多様性が垣間見れるかも。何と言ってもギリシャ、ローマにケルト、そしてアラビアの様々な食文化、さらに新大陸まで加わった食卓、それがスペインの家庭料理なんですから。
| るな | スペイン事情 | 21:38 | comments(2) | trackbacks(0) | -
スペイン版仲良しの秘訣
今朝のラジオでのお話。

「そんなの簡単よ! “可愛いね“と、“うん、そうだね、君の言う通りだよ”と、言い続ける事よ!」
「カップルが長続きするコツは?」と男性リスナーから聞かれた女性ジョッキーが、即答したのがこれ。

ちなみにスペイン語だと(スペイン語の特殊文字が打てないので音だけ)“エスタス・グアパ”、“シィ、カリーニョ、ティエネス・ラゾン”となる。 とにかくこれをのべつまくなく言われていたら、どんな女性だってそうそう文句は言わないだろう。そう言えば、スペイン人男性は奥さんに向かって良くこう言っている。家庭円満の秘訣でもあるんでしょうね。

スペインは長らく離婚が成立しにくい国だったけれど、現在8分毎に1組が離婚しているそうだ。熱烈なカトリック教国であり、独裁政権下であったスペインは、教会は絶対的な権力を持っていたから、神の前で結婚の契約をした夫婦が、神との誓約を破っていいわけがなく離婚は認められない、という時代が長かった。

今では市役所へ行って市長の立ち合いで結婚の契約書にサインを交わし、教会での式を敬遠するリベラルなカップルが増えている。これは単にリベラルなだけでなく、離婚がしやすく、そして再婚もしやすいと言う利点(?)もある。教会で一度式を挙げると、戸籍上の離婚はできても神との契約破棄はできないから、2度と教会で結婚式は挙げられない、という話も聞いた。どうも神の世界は今でも別世界の法則で成り立っているらしい。

さて、最近ぐっと離婚が増えた最大の理由は「ローンが払えなくなって家庭も破綻」という事らしい。長らく好景気が続いたスペインも、世界と足並みをそろえ急転降下、銀行が「どうぞどうぞ」と貸してくれた時代(友人はマンション価格の120%融資を提示されたそうな。だが50年ローン!)、この世の春がまだまだ続くとお金を借りた若いカップルは、変動式で率の上がったローン、育児費、物価高、先の見えない長いローン返済の重み…、あらゆる苦難を前にして、高度成長期で蝶よ花よと自由を謳歌して育ってきた世代には、「可愛い」も「君の言う通り」も大して役には立たなかったのかな。



| るな | スペイン事情 | 19:48 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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