風の色、海の色、バルセロナ色

バルセロナからの気ままな風。
風が吹いている
麦畑には、なぜかいつも風が吹いている。そんな気がする。私が暮らしているのはバルセロナの近郊だが、電車でほんの30分も走ればバルセロナは田舎に戻れる。仕事で街を歩く私は、オフになった途端に街も人の群れも必要がなくなる。休日など、たぶん犬を飼っていなかったら一歩も外へ出ずに済む気がする。犬は偉大である。



晩春の早朝の光。オレンジ色を帯びた朝日の昇る頃、麦畑に吹き渡る風の孤独な冷たさ。橙色という言葉を、ふと思い出す。そういえば、小学生の頃、私は写生会でいつも最後に提出する子であった。早々に仕上げて帰宅する子もいる中で、時間はさほど私にとって重要ではなかったのだろう、いつも最後まで色にこだわっていたりした。日永同じ風景に向き合って、色が移ろっていくのに焦燥と、そして取り残されていくかの微かな不安を感じたり。



頭の上に、はらりぱらりと花が散る。シジミ蝶のような花蘇芳が降ってくる。見上げれば、緑の鸚哥が花を食しているのだ。そういえば一足早く咲いていた、私が愛してやまぬ山桜に似た桜の花も食していた、憎きやつ。鳥が苦手な私は鸚哥も鸚鵡も区別がつかないが、虫など食べているのかと思えば意外や、花の蜜が主食なのが多いとか。むろんバルセロナに元より生息している訳はないのだが、ペットで逃げ出したり捨てられたのが、大繁殖してるらしい。鸚哥を大量に輸入してきた船が港で事故に遭い、逃げ出した彼らが群れとなっているのだとか、いろいろ説はあるが、ガウディのグエル公園やディアゴナル通り、モンジュイックの丘など、ナツメヤシを街路樹としているところでは大繁殖している。ナツメヤシの樹は巣にもなれば、その実を食することもでき一石二鳥という訳だ。ぎゃおぎゃおと姦しいこと極まりない。我が家の隣にヒマラヤスギが何本かあり、その巨木に巣を作っているが、それが朝一斉に飛び立つ姿は壮観だ。一度我が家のテラスのガラス戸に激突したらしく、屍骸が転がっていて驚いたことがある。



この時期、森に入ると野生の蘭に出会うことが出来るのも愉しみ。下草の中に咲いているから、ほとんどの人は気づかないだろうが、今年は大きな株に出会えて嬉しい。昨年から茶道の会に参加していて、毎回花を添えるのが愉しみになっている。基本、森の散歩の途中で出会う花を持っていくのだが、さすがに希少種に手を出すのは恐れ多い。一般にランは蘭菌と言われるものが栽培に不可欠らしいが、この周辺には蘭菌が存在しているのだなぁ、と地面をしみじみと見てみるが、違いなどさっぱり分からない(笑)。



こちらは本当に地味な蜂蘭。花の形がクマバチの仲間の蜂のメスとそっくりなので,本物の蜂と間違えたオス蜂が交尾しようとやってくるのを利用して、受粉の助力をさせてしまうという面白い習性をもった蘭なのだそう。そう言われればクマバチがぶら下っているように見える。



紫リモドリュウム。にょきっと地面から突き出るように地味に咲いているので見過ごしがちだが、これも蘭の仲間。野の花を愉しむのは私の暮らしを彩る重要なアイテムだが、茶道を再開してから一層愉しみかたが広がったように思う。お道具に凝る気はないが、毎回添える花は大切にしたい。これはおもてなしの心意気であり、花から広がる会話もまた拝見の醍醐味のひとつだと思う。今日のお花は、と思いを巡らすことにより、より一層に四季の移り変わりに敏感になった気がする。



これはヤセウツボという寄生植物。何とも不思議だが、白詰草などに寄生するのだとか。根が繋がっているらしい。地中海原産だが、日本の国立環境生物所によると、牧草によって混入した非意図的外来種で、日本では要注意外来生物に指定されている。植物でも人間同様にあるんだわね、要注意外来種(笑)。

それから、お菓子。今年は八重桜の花と葉の塩漬けに挑戦してみた。道明寺粉がなかなか手に入らないので、糯米の干飯にも挑戦すべきか悩んでいる。ちょっと季節遅れだが、桜餅はやはり関西風に限る。お茶仲間と今日のお菓子はこれ、今日のお花は何々と、そんな会話から見えてくる世界は意外に静謐だ。季節の花、季節のお菓子、自ら心を砕いたものを添えて客を迎えることこそが、亭主の心意気というものなのだろう。そういえば大阪城で見た秀吉の金の茶室、贅を尽くしたとも言えない、まことに金に飽かした見事なまでの下品さであったなぁ。

今日は蓬を摘んだ。遠い昔、祖母と一緒に爪を黒くして蓬摘みをしたことを思い出した。そんな思い出を包んで、蓬餅を作ろうと思う。幼少年期の記憶は慈愛の味わいだ。
| るな | 野の花を摘みながら | 20:35 | comments(0) | trackbacks(0) | -
森で茶を摘み、テラスでお茶を
 やっとお天気が回復してきたのか、急激に気温が上昇し、身体的には微妙な季節。日本は新茶摘みが始まったそうな。昔、我が家にも茶畑があり(今も存在はするが、もう摘む人がいない)、祖母が新芽を摘み、揉み出ししていた姿を思い出す。茶の葉は灰汁が強くすぐに指先が黒ずんでしまう。あの茶花の甘い香りは、今も脳の中の何処かに漂っている。

森には西洋サンザシが満開である。8年ほども前になろうか、犬の散歩で毎月曜に会うオジサンたちがいた。ふとしたきっかけで私が声を掛けたのが始まりで、聾啞のおじさんとその奥さん、そしてご近所の仲良し叔母さんの3人組は、毎週月曜、森で会うベルにおやつを持ってきて峠で待っていてくれるようになった。そのキッカケとなったのがこの西洋サンザシ。



三人組のおじさんたちが、ちょうど今頃、この花と葉をせっせと摘んでいたのを見かけた私が、「食用?」かと気になって、声を掛けたのが始まり。「血液循環に効くのよ。お医者さんから勧められたんだけど、何もハーブ屋さんで買わなくってもここらの森には一杯あるから、1年分を採りだめするのよ」と、おばさんたちはニコニコと親切に教えてくれた。その時に名前も教えてもらったのだが、記憶からはポロリ。時々摘んでは飲んでいたのだが、血液循環に良いという言葉を思い出し、花の名前を質問できるサイトで問い合わせたところ、すぐに名前を教えて頂いた。感謝。アイルランドではこの木が3本生えている処には妖精が隠れていると言われ、名前だけは憧れの樹として知ってはいたけれど、こんなにも溢れかえるように森にあるとは思ってもみなかった。

ヨーロッパでは古くからハーブティーとしての効能が有名で、「心臓の草」とも称されているそうな。更年期障害、高血圧、低血圧、血管拡張、不整脈にも効くという。利尿作用もあるとか。秋にはリンゴのような小さな実が付くが、これを乾燥させてもいいそう。学名「Cratagus monogyna」、英名「Hawthorn」スペインでの俗称は「Majuelo」10m程の高さにもなり、白い花弁が雪のように舞い散ってくることがある。



長年気になっていたこの樹の名前が分り、しかも効用まで知ることができたので、今年は頑張って収穫しておこう。枝には思いがけず鋭い棘があるので気を付けないと。キリストの棘の冠はこの木の枝で作られたという説があり、西欧では聖なる木と呼ばれているそうだ。

以前に街でばったり会った折、おばさんが足の手術をした為もうハイキングはできなくなったと言っていたけど、あの聾啞のおじさんは今も元気だろうか。穏やかな笑顔で一生懸命コミュニケートしようとしてくれた優しさが、今も忘れられない。

5月になると我が家の傍の広場に植えられている樹に花が咲き、樹液が飛ぶのか足元がねとねとする。割に地味だが、やはり花だから咲いている時には目を留めるのだが、花が終わった後まではあまり気に掛けることがなかった。去年の秋、風の強い後に足元に一杯落ちている葉と種を見て、なんだか見覚えがあるような気がして仕方がなかった。ちょうど通りかかった友人に聞いたら、「Tilaだよ」と言う。「え? あのお茶の?」 道理で見たことがあった筈、ティーバッグのパッケージに描かれている葉だったのだ。



学名「Tila europea」、和名は「西洋菩提樹」 あの悟りの樹ではなく、シューベルトの方の菩提樹。意外と昔から名前を知っているにもかかわらず、その姿と一致しない樹が多いものだなぁ、と今更ながらに気が付く。30年以上も前になるが「千夜一夜物語」を読んだ時に「めぼうき」という植物が分からず、長い間いったい何なのだろうと謎だった。古い翻訳ものにはこの訳名がよく登場していたが、何のことはないイタリア料理に付き物の「バジル(もしくはバジリコ)」だった。種を水に漬けておくとゼリー状のものができ、それで目を洗ったというので「目箒」、しかし謎かけですな、ここまで行くと。

翻訳文学愛好家だったせいか、本に出てくる樹や植物の名前に惹かれ、ずっと頭の中でもやもやと残っていることが多かった。ハシバミもよく小説の中に登場する名前だが、何のことはない「ヘーゼルナッツ」のことで、ピレネーに避暑に行った時(スペインではAvellana)群生していて感動した覚えがある。今はネットで何でも検索できて、そういう意味では便利ではあるが、あの不可思議な言葉の魅力というか、魔力は薄れてしまった気はする。ハシバミの繁みで愛をささやく、という文章が与えてくれていた世界は広大で、その光景を思い描く力を掻き立ててくれたものだ。確かに、ハシバミの繁みで囁かれる愛と、ヘーゼルナッツの繁みで囁かれる愛との間には、イマジネーションに大きな誤差が生じる。

さて、Tilaもやはり花の咲いている頃に葉共々摘むのがよいそうなので、人目の少ない時にちょっと摘んでみようかしらん。緊張を和らげ、血圧を下げる効果があるとか。夜眠る前に飲むといいと言っていたっけ。カモミールのようなものでしょうか。

ついでにもう一つ。和名はないとの事ですが、学名「Jasonia glutinosa」、スペイン名「Té de Roca」。もっともスペイン全体に分布しているわけではなく、地中海地区、カタルーニャ、バレンシア、そしてアラゴン地方、バレアレス諸島など石灰質の土壌に、その名の「岩場の茶」どおり、石灰岩の岩の上に黄色い花を咲かせる。葉は非常にねばねばしており、味は苦いが蜂蜜と良く合う。カフェインを一切含まないが、タンニンは多いそうで下痢に効くとか。



夏から晩夏に友人のベジェス宅に行くと、散歩がてら摘みに行くのが楽しみ。周りには野生のラベンダーが咲き、踏みしめる足元からはタイムの香りが漂う。車の通る音すらもせず、頭上高く時おり鷲が旋回する姿が見える。ダルたちとぶらりぶらり散歩をし、テラスでお茶を飲む。乾燥した大地を歩いた後の身体の火照りを冷ますにちょうどよい。




そういえば、もうすぐマンサニージャ(スペイン名 manzanilla、英名 chamomile、学名 Matricaria recutita)の花が咲き始める頃。カミツレ茶と言うと何となく薬っぽいけど、カモミールと言うとオシャレ? ピーター・ラビットがベッドでお母さんに飲まされていたシーンが直ぐに思い浮かぶ。作者のビアトリクス・ポターが暮らしていたというヒルトップ村、イギリス田園風景の美しさ…、などなど、想いは空を舞う鷹のように浮遊する。ウォルト・ディズニーがピーター・ラビットを映画化したいと申し込んだ際、自分の絵向きではないからと断ったポター女史。そういうところがイギリス人の良さなんだとしみじみ思ったりする。



森で摘んだ一杯のお茶から、何処まで遠くへ飛び立てるのだろう…。森は春から初夏へと装いを変えつつある。

| るな | 野の花を摘みながら | 11:15 | comments(0) | trackbacks(0) | -
メランコリーの妙薬
復活祭休暇とサマータイムが同時に始まったせいで、早朝の森で行きかう人はいない。夏のコースに変えたので、今まで挨拶を交わしていた人たちにも会わなくなった。禁猟区にようやく指定されたお陰か、ウサギたちも心なしか増えた気がする。

全く人に出会わないので、森の散策は自分の思いの中に深く沈み込んでいく感がする。鳥のさえずりが春を迎え華やかに夜明けを彩る。まさしく春は曙。遠い異国でさえ、そう思う。未だにこの第一段を記憶から引き出せるのは、声に出して読むことが如何に重要か、音の美しさと言うものは如何に忘れ難いものか、という事なのだろう。



スピノサスモモの花が満開である。英名Blackthorn、学名Prunus spinosa。棘のある灌木だが、この青い実を浸け込んでナバラ地方の特産パチャラン(Patxaran)と云うリキュールが作られる。花は白く小さく可憐だが、思いの外に棘は鋭く、これが刺さると化膿したりするので、この薮はウサギの格好の逃げ場であるらしく、我が家のダルたちも深追いはしない。麦畑の周辺に多いのは、恐らく囲いとして利用されていたからだろう。



濃紫色の実はスローと云うらしくジャムになるそうだが、私はこの青い実を始めて見た時、もしやブルーベリーではあるまいかと齧ってみたら、ひどく酸っぱかった。なるほどスモモと云うだけの事はある訳で、これを酢漬けにすれば梅干しのようなものになるんだとか。小梅ちゃんより更に小さい。



散歩の中頃に日の出を迎えるので、少しずつ世界が色を取り戻していくのをほぼ毎日のように見る事が出来る。スピノサスモモのように闇にも白く見える木々に咲く花から、足元に咲く小さな野の花へと光が届いていく。花に逢う喜びは単純なものであるからこそ、いいのかも知れない。ボリジの花も咲き始めた。ローマ時代から「メランコリーの妙薬」と称えられた花だ。中世からボリジは気分を高揚させ憂さを晴らす効果があるとされた。若葉と花をサラダとして食べられると聞くが、葉には細かな棘があるので本当の若葉でないと食べずらそうな気がする。花も味はほとんどないのでサラダの色付けや、スミレの砂糖漬けのようにケーキの飾りにはいいかもしれない。ローマ帝国時代にはハーブティーとして、またワインが名声を得ていたとか。青いワイン? ではなくて、白ワインに入れると青からピンクに色が変わるのが人気だったようだ。ボリジオイルは肌荒れに良いそう。



この美しく気品のある青が、所謂「マドンナブルー」であり、中世、聖母マリアの衣を描く為にこの花の汁が用いられた事に由来する。さぞ大量の花が必要だっただろう。英名Borage、学名Borago。和名はるりじさ(瑠璃萵苣)。瑠璃と云う美しい言葉が似合っている。瑠璃と云うと思い出すのは、夕顔の娘の幼名(後の玉鬘)。空蝉のように業が強くもなく、朧月夜の君のようにたおやか過ぎもせず、浮船のように流されもせず、源氏物語の中では珍しく、芯のしっかりとした愛嬌のある女性だった。ボリジはいつも俯くように咲いており、覗き込まないとその芯の色は見えない。スターフラワーと親しみを込めて呼ばれる青い星型の花びらに、意外にも嘴のように尖った芯がある。

青はメランコリーの象徴のような色合いのように思うけれど、これが憂さを晴らし勇気を与えてくれる花とあるのは、おもにハーブとしての効用が信じられてきたからのようだ。う〜ん、勇気? 花期が長いのでこれから5月中頃まで次々と咲き続ける。珍しい白花もあるが、やはり瑠璃色が似合う。春は青の花が次々と咲くので愉しみだ。今はムスカリが咲き始めた。やはり瑠璃ムスカリと云うそうな。



寛大なる愛、明るい未来、通じ合う心、失望、失意。これがムスカリの花言葉。愛を夢見た果ての、哲学的なお花だこと。しかし、これはなかなか妙薬とはいくまい。この花言葉が妙薬と取れるには時間がかかる。その前に、命短し恋せよ乙女、であろうか。
| るな | 野の花を摘みながら | 11:09 | comments(0) | trackbacks(0) | -
君の名は
ずっと気に掛かっていた野の花があった。それは春から初夏にかけて森の草むらの中に咲く白い五弁の花で、提灯の様にお尻が膨らんでいる。スペイン人は花の名前にはあまり関心がなく、バラやチューリップという類型的なものでしか捉えていない人がほとんどだ。日本人の様にやたらと花の名前に詳しかったり、あるいは知りたがったりはしない。野原でも「あぁ、花が咲いていて綺麗」という感覚重視で、名前があろうが無かろうが、美しく花が咲いているという事で満足なんだろうな、という気がする。



そこら辺りが私は日本人で、やっぱり花の名前が気になる。気にはなるが然程に固執はしない。勝手に自分で名前を付けたりして愉しんでいたりもする。だが、この花にはちゃんと名前があり、自分はそれを知らないのだ、という気持ちはずっと心の底にあって、それはちと居心地が悪い。この花も自分で「風炉草」だなどと勝手に呼んでいたが、今日その本名が判った。「シラタマソウ」という帰化植物だそう。学名 Silene vulgaris、英名 Bladder campion。



「そうか、そうか、君は白玉草と云うのか」と、何だか、妙に嬉しかったりする。ありがたい事に海外で見かけた植物の名前を問い合わす事が出来るサイトがあって、たまたまこの花を問い合わせた方がいらしたのだが、やっぱり皆さん、気になるんですね。来春、この花に再び巡り合う事が心待ちになってきた。

7月も中盤を過ぎると山火事のニュースが続く。煙草の投げ捨て、放火。山火事のほとんどが人的災害だが、先日は落雷に因る引火から大災害となり、4名の消防士が亡くなった。20年ほど昔、海辺の街の山手に暮らしていた時、裏山が燃えた事があった。夜、チロチロと見える赤黒い熾き火を龍の舌の様だと思ったのを思い出す。熾き火は伏して這う。幼子を抱きながら不安な夜を過ごした怖さが、今なお忘れられない。

こんなに乾燥した中で、Mora(ブラックベリー)が熟し始めてきた。大変に生命力の強い草木で、鞭のようにしなる棘だらけの枝を毎年ぐんぐんと伸ばしてきて、あっという間に人の背丈を超える生垣を造り出してしまう。眠れる森の美女のお城が囲まれていたのは、きっとブラックベリーと野薔薇に違いない、と私は想像している。こんなのに全身絡まれたら進めっこない。王子さまには自ら道を明け渡して行ったそうだから、そこがお話の良いところである。



因みにスペイン語のMoraは「桑の実」と云う意味もあって(フランス語も同様でMûre)、確かに実の形は似ている。桑の木はこちらでは木蔭を作る為の庭木として使われていて、実がボトボトと落ちているのを見て驚いた事がある。びっくりするほど立派な蚕が養えそうな、大きな葉が涼しげな影を創り出している。30年ほども昔、パリに留学していた友人が土産に「桑の実ティー」を呉れた事がある。彼女のお気に入りで甘い香りのする赤いティーだった。私は桑の実はジャムしか作った事がなかったので、「ほほう、フランスでは桑の実をお茶にするのか」と感心したものだが、今にして思えば何の事はない。これはもう一つのMora、ブラックベリーのお茶だった訳で、ごくポピュラーなものだ。語学は辞書引きだけでは解らない事が多い。

ピレネーの山ならまだしも、この辺りでは水気が少ないために粒が小さ目で硬いものが多い。熟したものを時々摘まみ食いしつつ歩くのが、お犬との散歩の愉しみのひとつでもある。「あぁ、美味しい」と思ったブラックベリーはイギリスで、やはり散歩のときに食べたもの。友人宅に滞在していた時、散歩に連れて行って貰った何と云う事はない野道で出会った。あの粒の大きさと瑞々しさは今も忘れられない。もう一度食べに行きたい。



このブラックベリーも、ジャムは言うまでもないが、やはり果実酒としても愉しめるらしい。長袖長ズボン、軍手の重装備で行かなくては、と思うとなかなか気力が出ないが、どうやらあのティーと同じく美しい赤のお酒になるようだ。そこまでの量を取る気合がないので、今日はタルトにして見た。これぞ地産地消?
| るな | 野の花を摘みながら | 12:05 | comments(2) | trackbacks(0) | -
秋の宝石、山桃
やまもも

10月に入ると朝夕の気温がぐっと下がり、早朝の散歩時にはガスのせいで森は適度な湿度に濡れている。バルセロナの夜明けは遅く、今の時点では7時半にならないと空が明るまない。秋から冬に掛けての犬たちとの散歩の時間、空はまだまだまだ暗く、家に付く頃にほの明るむというのがほとんど。週末の楽しみはいつもより遅い時間の散歩で、ようやく青さを増していく空の下で野の花に目を留める。

山桃の実が色づき始めた。

かつての峠越え、私の住む村からバルセロナへと続く旧街道には、馬車の轍の跡が岩に喰い込んで残っている。朝露で少し滑りやすくなっている足元に気を取られつつ登って行くと、不意に朱の宝玉が足元に。山桃の実である。

見上げるとまだ黄色味を帯びたものから、完熟した濃い朱色まで、取り取りな宝石が青い空に透けて見える。手に取ると少しざらざらとした細かな、棘とも言えないものだが、少しチクチクする。完熟のものは口の中で溶けるように、この棘が何処かへ紛れていく。フランス人は好んで食すそうだけれど、スペイン人はあまり食べないようだ。この季節、山へハイキングに行くと鈴なりになっている木がたくさんあるが、採って食べている人を見たことは無い。我が家のダルたちは大好きで、私が摘まんで食べているといつの間にか寄って来て、お流れ頂戴を待っている。

日本の山桃とは葉の形も実の生り方も少し違うようだ。日本のは実がいくつも纏まって房のように生るようだが、こちらは割にばらけて生っている。花は白い馬酔木に似た花で、実の生っている時期に同時に花も咲いているという、ちょっと不思議な木だ。割りに背が高く成長するので、頭上で赤い実が美しく散らばっているのが見えても、残念ながら手が出せない。成長の早い木で、山火事や伐採の後に素早く潅木を作り出す。その時はいくらでも手の届く位置に実があるので、ちょっと嬉しい。

日本のように美しく変化する紅葉を楽しめないこの森では、色付いた山桃の実が秋の訪れをそっと告げてくれる。週末は遠出をしてみようか,野薔薇の実も熟し始めただろうし…。
| るな | 野の花を摘みながら | 13:34 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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