風の色、海の色、バルセロナ色

バルセロナからの気ままな風。
秋深まる


今年の秋は特に身に染む気がする。老犬介護が始まったのだ。この夏の厳しい暑さからか、かなり衰えを見せ始めてきていたオスが、とうとう自力で立つことが出来なくなった。ハーネスで胴と腰を支えてやらねばならず、病み衰えてきたとはいえ30キロはまだある大型犬となると、なかなかに容易なことではない。朝一番の、まだ自分の体が思うに任せないというのに、これはかなりな肉体労働である。日に三回、身体全体を支えながら、台車に載せて外へ連れ出してやっているが、時間のやりくりに追われる日々だ。

だんだん弱っていく老犬の介護の話をすると、スペイン人の犬友の多くが、苦しみを長引かせるべきではないと安楽死を勧める。もちろん、我々もそう考えている。犬が痛みに苦しんでいるなら、そしてもう回復の見込みがないのなら、安楽死を選択すべきだと。だが、我が家の老犬は自力で歩けなくなっているにもかかわらず、散歩に行く事を待っているし、食欲もある。もう目もほとんど見えず、耳も遠くなっているが、私の姿を探すし、撫でてやれば目を細める。まだ時期ではない、と思う。



あんなに活力に溢れていた犬が、老いて行く姿を見るのは哀しい。大型犬の12歳といえば、人間の85歳辺り。秋も終焉だ。到底この冬は越せまいと思いつつ見ているのも辛い。だが、いま安楽死を選べば、悔いが残るのでないかという思いに疼かされる。そして安楽死を勧める根底にあるのは、人間の生活に負担が掛かり過ぎるべきではない、という考えなのだろうと思う。そういう見切ることの勁さを感じるが、日本人とは死生観が違うのかもしれない。輪廻も復活も信じてはいないが、あってもかまわないとも思う。

朝の森は靄に包まれている。死んだらこんなふうに温かな靄となって、木漏れ日とひととき戯れ、やがて霧散していくのが良いなぁ。我が家の犬たちの遺灰は森に還すことにしている。毎日、生を謳歌した森に還るのだ。
| るな | 雑記 | 02:50 | comments(0) | trackbacks(0) | -
ピタゴラスイッチ
私の好きな番組に「ピタゴラスイッチ」という番組がある。NHKの幼児向け教育番組らしいのだが、しかもミュンヘンで「6歳までのノンフィクション部門」で最優秀賞まで受賞しているという。え? 6歳まで? というのが、ちょっと驚きなのだが、なかなかに愉しめる。四角いフレームで構成された白い犬「フレーミー」のアニメもあって、四角い犬たちが出てくる。真っ白なのと、真っ黒な四角い犬がいてテリアがモチーフらしいが、白黒スポット犬のスポッティーは、私は勝手にダルメシアンだと決めてかかっている。だって、白黒スポットのテリアなんて、あり得ないでしょ?



あと、テレビの形をした何でも写し出す白黒スポット犬・テレビのジョン、これだってやはりダルメシアンに相違ない(笑)。



とにかく、この番組の構成がなかなかに面白い。マッチ棒10本で作る「10本アニメ」とか、「お父さんスイッチ(おじいさんも可)」とか。「アルゴリズム体操」はこっそり練習したのだが、1人では意味の無い動きが、2人並ぶと関連性のあるものとなる、というだけあって、一人でやってると実にアホくさいのであった。ならば、「アルゴリズム行進」はどうよ? アルゴリズムとは物を解くための手順、という事らしいのだが、この行進、一度やってみたいが、どういうメンバーでやるかがポイントかな(笑)。

15分という短い放送時間に、実に多様なコーナーがあって、いつ見ても結構新鮮。やはり一番のご贔屓は「ピタゴラ装置」 ドミノ倒しのような連鎖的動きが繰り返され、最後に「ピ」の文字が登場・ゴールとなる。先日深夜に「ピタゴラ装置大解説スペシャル」というのが前後編一挙に放送されていて(海外放送)、ついつい見入ってしまった。こんな複雑に絡まり合った装置を生み出す頭の構造の持ち主って、いったいどんな人? 「ビー玉ピースケの大冒険」も良かったが、「影の装置」もいい。「意味の変容」とか「もののふるまい」なんて、ちっともわかんない6歳児で愉しんでしまうのが一番だろう。どうやって?という疑問から、創ってみたいと思い、次のステップに移行する子供たちが増えることこそが、アルゴリズムの目指すところなんだろうし。このあっという間の装置のために、いったいどれだけの実験・検証が行われたのかと思うと、そんなところもじ〜んとしてしまう(笑)、ちょっと大人なドラマ性も楽しめる番組だ。面倒なドラマやグルメ番組など見ているより、余程に元気が出てくる。そして恐らくは、ただ妙に明るく元気な幼児番組じゃない、そんなところが好きなのかも。自分の中のピタゴラスイッチ的なものを、探してみるのも面白いかも。一度ご覧あれ。
| るな | 雑記 | 01:45 | comments(0) | trackbacks(0) | -
尊厳
今年は記録的な暑さだ。7月初め早々に、これ以上の緊縮を受け入れるか否かという、ギリシャの国民投票の結果が61%のNOで週明けを迎えたヨーロッパ。拮抗しつつも「YES」がわずかながら上回るであろうと予想された、欧州の「ギリシャ人の良識への信頼」を裏切る形の投票結果となった。押し付けられた緊縮策はもうたくさん、借金まみれになろうと「尊厳」を持って生きるんだ、ってどういうことなのだろうか。この結果を見て、ギリシャの民意はEU離脱したっていいよ、何とかなるさ、という半ば捨て鉢な感じなのかと思いきや、何のことはない緊縮反対の民意など、どこをどう見ても関係ない結末と相成った。反緊縮の同志であった筈の閣僚を更迭するという、最後はチプラス首相の何ともなりふり構わずの遅き姿勢を露わにしたばかり。



日本でも今話題になっている粉飾決算、いわゆる嵩上げ会計で自分の会社が健全な運営をしているという信用度を高めようという事なのだろうが、これが国家を挙げての粉飾となると、ここにこそ実はギリシャという国の「尊厳思考」があったのではないかという気がする。西欧社会における哲学の概念を生み、民主主義という概念発祥の地であるという誇り、それが今、EUという枠の中で経済性で競わざるを得なくなり、弱い国と言われるスペインやポルトガル、しいてはイタリアなどと並列にされることへの不快感、我が民族が彼らより劣って良い訳がないというような意識、それが多額の借金返済に追い詰められた時、虐げられているという意識へと繋がったことで、仕事のない若者たちの現状への不満が出口を求めようとしたら、EUから離脱してでも緊縮を拒否したい、という事しかなかったのではないだろうか。しかし、そこには例えEUから出ようと自分たちは西欧民族であるという自負があればこそ、という気がする。いくらロシアや中国が支援の手を差し伸べようと言っても、ギリシャがロシアや中国の権力圏に入る気など毛頭ないだろうし、そもそもEUの一員で亡くなったギリシャにロシアも中国もさほど魅力は感じないだろう。どちらにしろEUの中で生きるしかないのだ。



チプラス首相はアテネ中心部の投票所で1票を投じた後、「反対票によってギリシャ国民は『尊厳をもって欧州に生きる』との断固たるメッセージを送る。誰も民意をないがしろにすることはできない。今日は民主主義の祝日だ」と述べた。だが結局はEUからのさらなる支援を得るためには緊縮策、年金削減を受け入れる提案をせざるを得なかった。失業率は25%越え、25歳以下の若者の失業率が49%という数字はスペインと似たようなもので、スペインだって緊縮策に喘いでいることに変わりはない。だがギリシャの様に国が不安定になったら観光客が来ない、観光立国でこれは大変な痛手である。ギリシャは不安定な状況である限り、観光客の足が伸びることは少ないだろう。これこそ負の連鎖だし、結局のところ耐えてきたスペイン人の方がお利口なのかもしれない。何と言ってもスペインには観光とサッカーがある。今年度上半期のスペインを訪れた観光客は2900万人、記録を更新したそうだ。今年は所得税の源泉徴収が21%から19%に切り下げられ、7月には15%に再切り下げされた。政府は我々はギリシャとは違う、回復に向かっていると強調してやまないが、失業率は相変わらず23.78%と高止まりだし、若者の失業率は50%を超えたまま。



だが、妙に居丈高に民主主義の勝利と満面の笑みを浮かべたチプラス首相を見ながら、そしてその後のEUに結局はおもねった姿勢を眺めながら、民主主義って何よ?と思わざるを得なかった。ギリシャの国民投票は、ただ単にさぁ、NOと言ってみよう!という事だけだったのか? 国家レベルでは民意において多数決の原理は存在しないのか? では、カタルーニャの住民投票は何なのだろうか? 日本だって国民投票という形で、集団自衛権に関する安保法案の賛否を直接問えばいいのにと思うが、やっぱり民意は活かされないのかも。まぁ、そういう国会議員を選出しているんだから、致し方ない訳なのか。

5月に統一地方選挙をやったばかりなのに、カタルーニャは9月27日に強引に州選挙を前倒しで実施すると言う。独立派連立政党のようなものを作り上げて、自分たちに投票しないものは「カタルーニャに反旗を翻すものだ」と、独裁者的発言までしでかす有様。この選挙で独立派連立政党が政権を獲得した場合は、 即座に独立に向けての準備を開始するとしており、中央政府がこれを妨害するようで あれば、準備期間すら置かず、その場で独立宣言を行なうであろう、と中央政府に対し脅しとも言える発言を行なった。確かに昨年11月に実施された独立の賛否を問う住民投票では、「1.カタルーニャが国家になるべきか」「2.その国家に独立を望むか」という質問に、80.76%がYES-YESと答えたが、これは中央政府が言う通り、何の執行力もないものだからこその数字だと思う。これがそのまま民意と言いきれないところに、カタルーニャ人の歪がある。すわ独立か、と騒がれ過ぎたせいか12月の世論調査では、反対派が賛成派を上回った。カタルーニャ人は「カタルーニャは一つの国家である」と考えてはいるが、実際的思考では独立が可能とは考えていないのではないだろうか。



だが、住民投票自体が主権のない洲が行うのは憲法違反だと言われると、ムカッと来る。というのが心情だろう。スペインという国家は、カタルーニャの納める税金に頼っているくせに、他の地方よりインフラ整備が遅れているという不満、それが不当に搾取されているような感覚に繋がり、フランコ政権時代的なものへのアレルギー反応として出てくる。ギリシャの国民投票だって、押し付けられた緊縮策にNOと言おう! 我らの尊厳を示そう!とは言うけれど、そうなった時のリスクについての明確な説明が、賛成派からもしっかりあったとは思えない。同じことがカタルーニャでも起きている。カタルーニャを一つの国に! カタルーニャ語による教育を行える国に! フランコによって潰された夢の共和国に! とは言うけれど、仮に独立した場合、通貨はどうするのか、EUに参加するための条件をどう満たすのか。



夢は夢である。そう自覚しながらも、夢を口にせざるを得ないところに、カタルーニャの深い歪みが存在する。そして、この独立を掲げるナショナリズモは、常に独裁への危険性を孕んでいる。真の政治的平等など、もはや栄光のギリシャにも何処にも存在しえない。共同体は大きくなればばるほど分裂解体を繰り返すものだし、マイノリティーに光が当たれば足るほど、細分化する。カタルーニャ人の真の願いは、危ういバランスに揺れ動いているのだろう。9月末、この独立への道筋はどんな形になっているのだろうか。そして独立とあいなった場合、カタルーニャ人かスペイン人であるかを選ぶことになるのだろうか?
| るな | 雑記 | 06:32 | comments(0) | trackbacks(0) | -
廃屋の春
今年は春の訪れが遅かった。いつもなら2月に入ればアーモンドの蕾がほころび、ミモザが咲き始めるというのに、いつまでも冷たい風が吹いていた。ようやく春めいてきたある日、花を訪ねて森深くに入った。毎年必ず訪ねて行く花がある。森の中の廃屋に咲く桜と李の木である。

 

桜といえば日本では染井吉野が一般的だが、私は昔ながらの山桜が好きだ。スペインでは桜は実のなる桜ん坊の木を指し、花を愉しむという感じではない。この廃屋に咲く桜は風情が山桜に似て、赤みを帯びた葉が花と一緒に出てくる。花の色も山桜に比べるとやや濃いのだが、このふわりとした咲き方が好ましい。



日本で言う桜色はほぼ白に近い色合いだが、ほんのりとした紅が美しい。桜を待つ心は変わらない。

 

もうひとつの花が、李の樹だ。夏に付ける小さく甘い実は散歩の時の愉しみのひとつ。春一番にアーモンドが咲き初め、あぁ、春が近いと思っていると、突然白い花が一斉に咲き出す。桜、李、スピノサスモモ、林檎に山査子。毎年毎年繰り返されるこの豊穣を、少しばかり胸が締め付けられるような思いで迎える。かつては収穫のために植えられていたアーモンドや李、林檎の木も、今は放置され野生へと帰っている。胡桃や無花果も、今は収穫する人もおらず、栗鼠や鳥たちの格好の食料だ。



畑地を囲むように咲く小さな白い花の灌木。スピノサスモモはその鋭い棘で放牧地の生け垣として使われたらしく、今はそれがどんどんと広がっている。この棘は思いのほかに鋭く、家畜に刺さると化膿するのだという。キリストのイバラの冠、そのイバラは何だったのか諸説はあるが、もっとも可能性が高いのはイスラエルに多く自生するトゲハマナツメとトゲワレモコウだが、ヨーロッパではイメージのつかみ易かったこのスピノサスモモや西洋サンザシなどの説もある。いずれにしても鋭い棘が特徴で、スピノサというのは棘を意味する植物名。要するに棘李だ。この灌木が夏になると青い美しい実を付ける。始めて見た時、ブルーベリーだと大喜びした私はさっそく齧ってみたが、渋くて大失敗。役に立たぬくせに盛大な実の付け方だと思ったが、なんのこれがナバラ特産のパチャランになるという。これを発酵させてお酒を作るのか、と驚いたが、何のことはないアニス酒にただ漬け込むだけだそうな。アニス酒自体が甘いから砂糖も何もいれず、香り付けのために数粒のコーヒー豆を加え漬け込むだけで良いそうだ。自分では飲まないくせに果実酒作りが好きなので、 一度作ってみると面白いかもしれない。



そういえば果実酒は色々作ってみたが、色味の美しいラズベリーや、杏、花梨も、焼酎の代わりにドライジンと氷砂糖で美味しく作れる。コツというほどのものはない。ただ、いかに収穫してくるか、そして熟成を待つ時間こそが愉しみなのだ。

ピレネーの山村に行かずとも、この近くにも廃屋は点在している。ピレネーの山村の廃屋は別荘として好まれ、入手は年々難しくなっていたが、経済不況のため今はどうなっただろうか。かえって街に近いところの廃屋の方が、中途半端な形でそのまま放置されているのかもしれない。私が花見に行く廃屋も、人が住まなくなってそんなに長い年月が立っているわけでもないし、私の家からだって歩いて1時間程度のところだ。十分に生活圏だと思うのだが、うち捨てられている。

私の友人が廃屋を買って自分たちで修復改築しつつ暮らして、もう十年以上経つ。別な友人も農家の作業小屋だったのを買い取って、自分たちで手を入れながら別荘として使っている。都会に暮らしていると、時に自然回帰の本能のようなものにどうしようもなく引きずられ、田舎の生活が恋しくなる。日本もどんどん廃屋が増えると聞くが、日本の廃屋の画像や映像を見ると、なぜか凄惨な感じがするのは何故だろう。木の家と石の家では崩壊の仕方が違うからだろうか。ピレネーの山村に行くと、歯が欠けたように家と家の間に廃屋があり、屋根が落ち木の梁が朽ちているのが見える。恐らく使えそうな瓦などは持ち去られたのだろう。



日本は空き家が異常な数で増えているそうだ。崩壊しそうな空き家やゴミ屋敷の様になっている空き家などは、特定空家に指定され税金が6倍になる制度ができたと聞く。更地にするにもお金がかかるし、更地にしたからといって売れるわけでもないと、どんどん空家化していくだろう。仕事仲間の日本の実家が空き家になっていたのが、突然買い手がついたと言う。自分たちは既に持ち家があり、もう誰も住まないと判っている実家なのに、売れた時には泣いてしまったそうだ。女三界に家なし。とは言え、女にとって実家というのは幾つになっても心の拠り所でもあるのだ。

昨年友人の母上が亡くなった。九十歳を超えての大往生であったが、母親を失った今、私の友人は痛切に故郷の喪失を感じていると言う。母の居た処こそが故郷であったのだ。別な友人は生涯独身だった叔母たちの後片付けに追われている。子がない場合、やはり九十歳を超えて最後はどうするのか、誰が決断するのか。大きな責任を負わされ友人は疲労困惑していたが、最終的には施設に入所させたそうだ。今は子供がいても最後は施設に入る時代だ。一体いつ、いかにして自分に決断させるのかを考えていなくてはいけない時代なのだろう。我が母は、あと十年は頑張ると言っている。嬉しい限りだ。逆縁にだけはならないようにと思いもし、私が故郷だと思ってくれるであろう我が子のためにも、次の春を待とうかと思う。
 
| るな | 雑記 | 19:39 | comments(0) | trackbacks(0) | -
立春大吉
この冬は遅くに寒波がやって来た。暖冬とばかり思っていたら、後ろから濡れ手でやられたという感じのする寒さの来かた。元来弱かった気管支系統が打撃を受けて肺炎寸前に陥り、10日間の安静を言い渡された。7年ほど前にもほぼ肺炎という状態になってペニシリン治療を受けたことがあるから、これで2度目。冷たい風に弱いのである。世間の。と、言うわけで、普段飲み慣れぬ薬を5種類も飲まされ、忘れないようにするだけでも大変だ。肺に冷たい風を入れるな、極力出歩くな、ときつく言われてマスクを取りだしはしたが、さすがにこれで外は歩きづらい。以前にマスクをして早朝の散歩をしていたら、顔見知りに「どうした、何かあったのか?」とやたら言われて、こりごりである。早朝は時にはマイナスにもなる田舎住まいだから、散歩はネックウォーマーと帽子でほとんど目だけ出ている容貌なんだが、こちらの方が怪しまれない、というか。そもそも医者もマスクを勧めたりしない、そんな存在すら知られてない感じ。

今日は立春大吉。雪だ。初雪にして、恐らくは最後の。



新年のご挨拶に代えて、私の最新作です。

 
| るな | 雑記 | 20:31 | comments(0) | trackbacks(0) | -
Shall we ダンシャリ?
流行語に疎いので知らなかったのだが、断捨離という言葉を、最近よく耳にする。不要なモノなどの数を減らし、生活や人生に調和をもたらそうとする生活術や処世術のことだそうで、断=入ってくる要らない物を断つ、捨=家にずっとある要らない物を捨てる、離=物への執着から離れる、というヨガの行法の応用だと、Wikipediaには書いてある。初めて音として聞いた時には、ずいぶん強い響きにどきりとした。単なる整理整頓とは違うらしい。



ある日突然、森の中に出現した古びた籐椅子。毎日のように通る犬の散歩コースの、危うい傾斜を持つ位置に置き去りにされていた。むろん車の入れない森の中、一体誰がどんな思いでここまで運んできたのだろう。誰かを待つ椅子なのだろうか? 誰かがこの椅子から立ち上がり、そして何処かへと立ち去ったその後姿を、この椅子は記憶しているのだろうか? 妄想しつつ、横目に見つつ過ごした何日か後、出現したと同じ不可思議さで、椅子は森から消えていた。もう誰を待つことも無い世界に旅立ってしまったのだろうか。

姑が亡くなった時、家の後片付けをすることになった。彼女が病院に入院したときのまま、すべてのモノが放置された状態だったので、ただひたすらモノをゴミとして片付けなくてはならなかった。家族写真も昔の恋文も、趣味の陶芸やら絵も所詮他人にすればゴミである。素人の作品などゴミでしかないし、相当の金が掛かったに違いない茶道師範の看板も、当人がいなくては何の価値もない。毎日朝から晩まで、整理整頓ではない「捨」の作業をしているうちに、モノに対する感覚がどんどん麻痺していき、あらゆるものがゴミとしか感じ取れなくなってしまった。そして次第に腹が立ってきた。ゴミ掃除をさせられた事よりも、己の身仕舞いが出来なかった姑に対してである。モノをゴミとして処理させることを強要された思いが、強迫観念の様に迫ってきたのだ。



二十歳そこそこの頃、私が所有しているモノはとても少なかった。僅かな衣服と本、そのくらいだった。ある意味引っ越し魔でもあった私は、家移りの度にモノを処分していくのが心地よかった。一定量のモノしか持たないことが、家移りの目安でもあった。ラジオ好きだったのでテレビを持っていない時期もあったりして、部屋を見渡したNHK集金の人に、ほんとに持ってないんですねぇ、と感心されたり、なぜかテレビを持たないことを困窮と考える人たちから、テレビをプレゼントされたりもした。人は一体いつの時点から、モノを持つことが豊かさの極みのように思うようになるのだろうか。モノのない飢餓感は何に兆すのだろうか? 鞄一つで旅立てるような、そんなあり方を潔しとしていた私に、何が起きたのだろうか?

今、私はモノに囲まれた暮らしをしている。ひとつの家に二十年ほどの年月暮らし続けるという事は、こういう事なのだろうか。増え続ける書物、衣服(ちなみ に私には着ぼくろあり)。しかも私の実家には日本にいた頃のモノが定置網に引っかかった魚の様に蔵に溢れ返っている。母が健在なので今しばらくは私のモノたちも安泰だが、や がては母のモノの後片付けをする日も来るだろう。そして今、はたと考える。私のモノを片付けるのは、私の息子? もしくはその連れ合い? と、考えると、い やいや、これはちょっとばかしこっぱずかしいモノの山ではないか。



そこで少しばかり「断」に気合を入れる事にしようかと思う。歳をとってくると本当に必要なものは、実はそんなに多くないことに気付く。仕事をしていれば洋服だの小物だの不可欠なものがあるが、仕事 もいつかは終わる。自分の仕事の終わり時を自分で決められるのは自由業の良いところでもあり、思いがけぬ落とし穴でもあるように思う。いつまでもモノを断つことが出来ないまま、捨てることもかなわない、そんな未来が簡単に思い描けるのが怖い。だが、まず「断捨」ありきなのか? まず「離」ではないのか? モノへの執着を断つという事はある種の非情さを意味する。思い出の品を整理していくには、自分の過去への思い切りという非情さを伴うからだ。モノをあくまでもモノとして見る覚悟がいる。

バルセロナにフレデリック・マレス博物館というのがある。ひとりの人間が収集したコレクションの数々。コレクターとはこういうのを言うのかと思わせる、博物学というのとは少し違う、モノへの集中力と言おうか、執着心と言おうか。部屋から部屋へと廻るうちに、少し息苦しいような圧迫感を感じる。私自身はコレクターの資質はあまり持ち合わせていないと思うのだが、切手収集という類ともまた違う、あまりに雑多すぎるモノの集め方は、溢れるモノに囲まれていないと落ち着かない性癖のようなものを感じて、何だか暑苦しい。それは、いろんな色が混じり合いすぎている感じに近い。モノへの執着を断つというのは、色を絞って行く事に近いのかもしれない。



ちょっとばかり、色のない世界に行ってみる。そして、しばらくそこで浮遊する。白黒撮影ではないのに、このモノトーン的世界。そこでふと見つけた南天の赤い実のハッとする美しさ。そんな感じが、私の目指すところに近いのだが、そこに行こうと思えばまず、執着を断ち切らなければならないとすると…、いやはや、それは難しい。大体女がモノへの執着心を失くしたら、それはそれで寂しいようにも思うし。

そんなこんなで私の「断捨離」は遅々として進まない。取りあえず、今まで時間の合間合間に、何とか止めることなく繋げてきたタペストリー展をしようかと思う。個展が開けるほどの品数もないので、水彩画を描いている友人との二人展だ。画廊だから値段を付けることになるのだろうが、タペストリーなんぞ買う人がいるとも思えない。しかしそういう形で区切りを付け、気に入ってくれた人が自分の空間を飾ってくれればいいなと思っている。自分の作品を手放すことが出来るのも、一つの悦びなのかもしれない。

山は登って下りて、初めて「山に登った」と言えるのだそうだ。登ったまま下りれずにいるのを「遭難者」と呼ぶのだとも。山を下りることを考える年代になってきたのだが、私にとってのタペストリーは、山を下りるための杖なのだろうと思う。結局、ここに戻ってきたという思いがある。

来たる2015年が、美しい年でありますように。

 
| るな | 雑記 | 01:18 | comments(0) | trackbacks(0) | -
久し振りに日本に帰国して、何やら不可思議な時間の過ごし方をしたせいか、帰って来てから自分の中にちょっとした虚(うろ)が出来たような、妙な感覚がある。恐らく、いつもの事ではあるが、帰国直前までがとんでもなく忙しく、あらゆる物事にケリをつけまくるという濃密な時間の送り方をして、さて帰国したとなると茫漠とした時間が冬の靄のように漂ってしまうせいだろうか。今回の帰国直前も片づけて行かなくてはいけない案件を、律儀に新婚旅行の土産のようにひとつずつ済ませて行くという、とにかく日にちの限られた中で納めきらなくてはいけない訳で、とりあえず飛行機に乗った時は頭が絞り切られた感じであった、いつもながら。



「他者の死は、かならず思い出に変わる。思い出に変わらないのは、自分の死だけである」と、寺山修二は言った。思い出とは何かと、そろそろほころび始めた アーモンドの花を見ながらふと考える。私という人間が死んだら、誰かの中に思い出として残るのだろうか。結局のところそれが血族という事の、本当の意味な のかもしれない。

私の田舎の寺に行くと、百周忌の人の名が掛かっている。私の高祖母が今年百周忌で忌明けになるらしい。都会では十三回忌か十七回忌でお終いのような感覚だが、人の忘れられていく速さは、その人の生きていた土地の時空に比例するものなのだろうか。座敷に掲げられた高祖父母からの写真を見ていると、自分の血族というものを意識する。昔、山口瞳の「血族」という小説を読んで感じた、少し慄然たる思い。血族とは「本来は血の繋がりのあるもの、すなわち血縁者である」そうだ。配偶者は家族ではあるが、血族ではないのだ。

自分の中に流れている血の系譜を知りたいという感覚は、自己認識のひとつの方法なのだろう。私も十代にそういう事を考えたことがある。自分は何処から来ているのかを考えると、宇宙の成り立ちに思いを馳せて目を回すような、底なしの沼に吸い込まれそうに感じた、少しばかり哀しい感性だ。それからずいぶん経って、池波正太郎の鬼平の中で、男は過去を振り返り、女は今しか考えない、という様なくだりがあって、ほほぅ、と思ったものだ。命を、血を繋ぐことで女は今が精一杯、手一杯で、綺麗事の過去を振り返るのは最後の最後でいいのかもしれない。昔話でお茶を飲むなんて、たぶん私には退屈すぎる。過去は忘れるもの、今を生きる糧とするものであればよい。

もう誰も知らぬ我が高祖母の百回忌は、血族の中で明るく語られ、そして連綿と続く流れの中に消えて行く。死が明るく語らるというのは、実にいいものだ。生を全うして生きた人への餞だ。私の租父母の百回忌を語るのは、私の曾孫の世代だ。それが血族の記憶だとしたら、私の中だけで消えて行く記憶、人との記憶がある。過去というほどの重たいものではなく、誰に伝わるでも伝えるでもなく、私の中だけで生まれ、あぶくの様に消えて行く、無数の人との記憶。生きているうちにもう一度会いたいと、もう一度ささやかな思いを伝えたいと思う人がいることは、それ自体が幸せな事なのかもしれない。生きるという事は記憶の積み重ねなのだとしたら、私が死ねば閉じる記憶が無数にあるという事だ。私は今日も、一つの記憶を重ねる。今日の新しい記憶と、すり硝子の向こうにほのかに透けて見えるかのような、どこか懐かしい記憶を私は無数に抱いて、光の扉の向こうに行くように死ぬのだとしたら、それは一つの恩寵のように思える。だって、あなたも私もいつ死ぬかわからないもの。

だから、逢いたい人には会っておこう。伝えたい一言を、今伝えておこう。人は、明日という日には消滅してしまうかもしれない存在なのだから。ものすべてに復活の兆しが見受けられる春は、もう還らぬものがあるという認識の下で、静かな哀しみを増幅する。そうです、今の私に会えるのは今だけです。
| るな | 雑記 | 22:11 | comments(0) | trackbacks(0) | -
植田正治寫眞館
写真というのは、何か特別なものだった。少なくとも私の幼児期においては、寫眞館で映してもらう写真というのは、ひどく改まった余所行きなものだった。私には美人の叔母がいて、彼女の写真が街の寫眞館のウィンドーに長く飾られており、私の七五三の写真もその中に収まっていた。美しいままの叔母と、ちっとも成長しないままの私が収まったガラスの向こうの世界。もう今は、その寫眞館もない。



東京駅にギャラリーができ、私の好きな写真家・植田正治展が開催されているというので、復元されたという東京駅を見がてら出かけてきた。生誕百年だという。土門拳の仏像もいいが、私にはあのリアリズムはあくが強すぎるし。植田正治の心象風景的世界の方が、私のリアリズム感により近い。そもそもリアリズムって何なのか、という根源的疑問すらさらりとかわしていそうなところがいい。



まず、東京駅が全体的に見えるところを探して眺めることに。アムステルダム中央駅がモデルと久しく言われていたが、間違いだそうだ。レンガ建築は、まぁ、そこそこの感動しか受けない。みんな眺めているのでドームの上を見上げる。1914年竣工だそうだから、まだ百年に満たない訳だが、東京大空襲による破壊を経ての復元ということらしい。ヨーロッパの大きな吹き抜けの空間とは違い、意外と小さな空間だ。やっぱり和の空間に仕上がっているのが面白い。ギャラリーは煉瓦壁が見える回廊式で、照明が暗めで落ち着いた雰囲気。ルノアールだのモネだのように、どわっと人が多くないのがいい。

植田正治の写真に出会ったのはずいぶん昔のことだが、不思議な内的空間を持つ写真家として記憶に残っていた。今回の写真展は生誕百年という節目に企画されただけあって、年代を追っての展示は見ごたえがあったし、一人のアーティストが熟成して、そして発酵していく様が垣間見れたように思う。やはり、発酵するという段階が大事なのであって、そこに至らぬままに終わってしまうのは、人が何かしらのモノを生み出せる過程においてもったいないことなのだ。

 

しかし、白と黒というのは美しい世界だ。バルセロナのピカソ美術館に晩年のシリーズ「レス・メニネス(官女たち)」という、ベラスケスの絵を下敷きにした作品がある。完成作は白黒(むろんその間に存在する無数のグレーがある)だが、白黒に至る前の鮮やかな色彩の下絵がある。その夥しい色彩とスケッチを経て発酵したものが、白と黒よりなるモノトーンの世界なのだという事を、なかなか人は理解しきれない。色そのものが持つ意味合いを除去して普遍の世界へと到達する方法が、このモノトーンの世界なのだという事を。植田正治の世界には、そのモノトーンの世界ゆえの普遍性が存在する。

その白と黒のモノトーンの世界では、エロスさえもが普遍的に浄化されている感じだ。まるでセルロイド人形のような、少し硬質で異界的なエロス。白黒で映した妻女と、カラーでの妻女とでは、何だか肌合いが全く違ってしまう。ちょうどあの寫眞館で寫したいつものありのままの自分ではなく、時代を超えて残ろうとする意志を持ったかのような硬質さと、いきなりスナップ写真のごとく自分をさらけ出している卑近さの違い。晩年のカラー作品の大写しの花のエロス。花って、もの凄くエロティックだ。受精するものなのだから、当然なのだが。だが、これがモノトーンだったら、これほど匂い立つようなエロスは感じないのではないだろうか。



植田正治は砂丘をキャンバスとした写真家として有名だが、風により刻々と姿を変える砂丘と雲というモチーフは、彼の柔らかで流動的な感性そのものだ。私も「植田=砂丘」のイメージがあったけれど、今回の作品展でより強いイメージを受けたのが、「道」だった。人は道に立ち、その道は遥かな空間を招き入れている、あたかも人が生まれ出てきた、あるいは往くべき道のごとく。過去と未来の狭間が今という空間だとすれば、我々が立っているこの道こそがその「今」なのかも知れない。砂丘という水平性と、道という軸が交差する植田正治の空間性、世界観。そこで人は、少年は笑っている。



あの、遠くに、人がいる。人が人として存在している。私とか僕とか、そんな私的なものが剥ぎとられた形で。

そんな取りとめないことを想いながら、もう少し歩こうかなと考えているのが、今の私です。2014年、さぁ来なさい! と、言ってみたいね。
| るな | 雑記 | 01:58 | comments(0) | trackbacks(0) | -
遠花火
何となく出かけることが少なくなってしまった。子供が大きくなって親と連れ立って出かけることがなくなってしまったのが理由の一つだが、むろんそれだけではない。
私の母も商売をしていたので、人が遊ぶ時が仕事の忙しい時で、一緒に祭などに出かけた記憶があまりない。小さい頃は祖父に連れられていろんな処に行ったが、中学に上がった頃からは友達と出かけるようになった。夏の愉しみは花火大会だった。



日本の花火は本当に美しい。花火の音を聞くと、早く早くと急かされているような、胸が少しばかり締め付けられるような思いがしたものだ。早くしないと消えてしまう、そんな思いで生きていたのだ。若い頃はどうしてあんなに時間がないと思っていたのだろうか。実質、今の方が遥かに時間はないというのに。

海から上がる花火。屋台の人混みの中を蚊に刺されぬよう、団扇を使いながら浴衣で歩いた海岸通り。祖父に連れらて見た料亭からの花火。芸者さんを始めて見た幼い私は、別世界に強烈な憧れを抱いた。鰻の好きだった祖父は、八十五歳を超えて胃癌のため胃全摘出手術をしたが、麻酔から覚めて言ったのは「鰻が食べたい」だった。祖父は声を荒げることのない、静かな慈愛とユーモアに満ちた人だった。政治的な葛藤があったにせよ全ての責任から逃げる術しか持たなかった私の父に対し、祖父は私の前では一度も非難の言葉を口にしたことがなかった。私の母も長い間何も語らなかった。私は思いは胸の内で育て処理するもの、と習い親しんできたのだ。思いは沈殿し、そして徐々に発酵させてゆくものなのだ、と。



祖父は私の母に対し「去る者は追わず」と言ったのみだったそうだ。私の愛してやまぬ祖父よ、幼い私をひたすら慈愛の目で見つめてくれたのは、あなただけであったと、今思うのだ。胃癌手術の後、私は幼い息子と帰国し、ひと夏を一緒に過ごした。病院に息子を連れていくと、息子は祖父のベッドでよく昼寝をしていた。本人は覚えてはいないだろうが、彼は大変な祖祖父孝行をしてくれたのだ。彼もまた祖祖父に無償で愛されたのだった。幼い頃に得た無償の愛ほど、その後の記憶を豊かに育んでくれるものはない。私たちは記憶の中に生きているのだ。とても静かに。そして記憶の中でしか愛せないものも、存在することを知っている。


| るな | 雑記 | 23:37 | comments(2) | trackbacks(0) | -
盆の月
このところ暑い日が続いている。それでも夜半には20度を下回るようになり、夏が少しづつ後退してきている気がする。暑さと、それでいてそこはかとなく感じる夏の衰えの中、思いがけぬ訃報が届き、それはあまりにもかけ離れた知らせのようで、ただ茫然としてしまうばかりだった。だが、これからそういう知らせが増えていく年齢になってきたのだなと、不意に気づかされる事でもある。

大きな災害が相次ぎ、多くの方が亡くなった。今もあちらこちらで絶え間なく起きている紛争、テロ、列車や飛行機の事故。そういう不可知の死と隣り合ってはいながら、不意に届く訃報はいつも哀しみに満ちている。



精霊船は、そんな哀しみを海に帰すための残された者たちの祈りの形であろう。我が故郷若狭には、今も僅かながら海沿いの地方に精霊船(しょうらいぶね)の行事が残っている。もうずいぶん昔、三十年以上も前に見たきりだが、五色旗を手にした子供たちを先陣に練り歩いた後、読経の流れる中、船はやがて男手によって海に引き入れられ、漁船に引かれ彼方西方の海へと流されて行く。船が見えなくなるまで読経は続いていた。彼方に消えること、それが徐々に消えて行くこと、そこに深い慰めがあるように感じた。

お盆は人の記憶を呼び起こす行事だ。そして生きていく為に、ふたたび優しくその記憶を送り返す日でもある。

記憶の中にしかもう残っていないものに、盆踊りのまっさか音頭がある。私が小学生の頃は盆踊りが盛んで、二重三重の輪が出来ていた。お盆の三日三晩を踊り明かすために、叔母たちも大張り切りだったし、毎晩踊る衣装の浴衣を変えるのが嬉しかった。盆踊りの最後は何処の村でもまっさか音頭と決まっていた。それまで見物に興じていた祖母も、この踊りの輪に入っていた。意味不明な音頭、テンポ早く変わるステップ、子供にはとても難しくて、いつかこのまっさかを踊れるようになるぞ、と思っていたものだったが、あれは何の唄だったのだろう?振り返ってみる最後の西日のように、私の郷愁を誘う。あの、裸電球の黄色い光、ノイズの多いレコードの唄声、いつもレコード係を務めていた男の人、噂話、久し振りに帰郷した人たちの顔。お盆とは、つまりはそういうものだった。

| るな | 雑記 | 18:09 | comments(0) | - | -
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