風の色、海の色、バルセロナ色

バルセロナからの気ままな風。
ガス燈の灯り その2
さて、カレル橋も見たし、クリスマスの市を見学した後はチェコの人形劇を見に行くことに。寒い中ビールを飲んで寒さにやられた夫は、一足先にホテルへ。ここからは私と女友達とで見学に行くことにする。私は昔から人形浄瑠璃が大好きで、日本に帰る楽しみの一つは浄瑠璃をまったり見に行くことなのだが、チェコのドラマティックな人形劇も昔からTVでよく見ていたので、ぜひ本物を見てみたかった。国立マリオネット劇場は、え? というほどの小作りな劇場で、演目はモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」のみ。マリオネットだから、舞台の上には操る手が見えるのだが、その手がやたら大きく見える。人形が交差し、時には別な操り手へと投げ渡され、大きく派手な動きが舞台で繰り広げられる。女たらしの男の話ではあるが、浄瑠璃のあの艶っぽさとは別な世界。セックスや死に関する概念が違うのだから当たり前だが。ドン・ジョバンニを地獄へと引きずり落とす石像を演じるのは人間だが、オペラ風なのでなかなかに良い。もう少し時間があれば、もうちょっとシュールなチェコ現代人形劇も見てみたかった。



面白かったのは、この黄金通り。天井に頭が閊えそうなほどの低い家並みは、かつて衛兵たちの住まいだったそうだが、何処かホビットの暮らしを彷彿とさせて興味深い。昔のトイレの仕組み(仕組みというほどのものではない、単に椅子付オマルだが)や、台所、小さいのに何故かやたらと背の高いベッドなど、ちょっと暮らしてみたい気にさせる。一人暮らしのおままごとのような空間。閉所恐怖症の気のある私は、すぐに閉塞感を抱いてしまうだろうけど。カフカも一時期暮らしていたというのだが、彼は閉塞感に囚われなかったのだろうか。



チェコはボヘミアン・グラスの国。切り子にしようか、エッチングカットにしようかと、美しいシャンパン・グラスを探す。本当は6個セットで欲しかったが、観光の途中で持ち歩くには重いので断念。後で買いに行けたらと思いつつも、時間がなくて戻れなかったのが残念だ。美しいグラスで飲むと、カバの美味しさもひときわなのに。

さて、お次はミッシャである。しかしここでは誰もミッシャ(フランス語読み)と言っても解らない。ムハというのがチェコ読みだそう。お城の中にあるカテドラルのステンドグラス、ムハ美術館、そして市民会館の天井画と、優美なムハを堪能。スラブ民族の歴史を描いた大作「スラブ叙事詩」が特別展として開催されているとかで、どちらにするか迷ったが、市内の他の建築も見て回りたいという夫の提案で、市民会館の見学コースに参加した。ムハ(ミッシャの方が馴染み深いが)とくれば、やはり日本の「明星」の表紙を思い出す(山川登美子記念館でも見た覚えがある)のだが、アールヌーボォの双翼のひとりと言っても良いだろう。ロートレックの退廃的な線とは異質な、どこか硬質なクリスタルのような美しさだ。



この天井画のある市民会館では、かつてオーストリア帝国領であったチェコという国の、豊饒さを垣間見る事が出来る。何より素晴らしいのはシャンデリアなどの照明のデザイン。チェコ・クリスタルの素晴らしい技術をいかんなく発揮した照明デザインは、アールデコの直線的スタイルにぴったりだ。照明の画集があれば欲しかったほど。生活を彩るという点において、照明というのは非常に重要な要素である。同じクリスタルでもイタリアのムラノ島の照明デザインより、うんと洗練されている気がする。また通風孔やカーテンなどの細部に至るまでデザインされており、イタリアの貴族趣味とはまた違った趣。やはりハプスブルグ家は偉大な帝国だった、という事か。



ぶらぶらと街歩きは続くのだが、プラハが建築的には驚くほど豊かなところであったことに、来てみてびっくり。アールヌーボォの次にはキュービズム建築。この「ブラック・マドンナ」という建物中にあるカフェ「オリエント」、なかなかに素敵な内装。何故かエッフェル塔を思い浮かべてしまった階段の、破綻的リズム。ここは明るいうちに来て細部をじっくり見たかった気がする。行き当たりばったり的すぎた感があるのだが、知り合いがいるという心安さからか下調べ不足だった感は否めない。まぁ、また来よう。今度は陽の長い季節がいいな。




これがダンシング・ビルだったっけ? フランク・ゲーリー設計。ゲーリーと言えばビルバオのグッゲンハイム美術館とか、ワインセーラーのホテルとか、お魚が跳ねてるとか。何でもダンシングしている感じのデザインだ。自由自在な曲線が構築物として出来上がるのは、数式の偉大さなのだろうか。現代建築は設計・構造計算・施工の三位一体、チームでないとできない形というのもあるんだろうけど。人が住む、日常を営む、そんなレベルの建物が、私は好きだ。




これはオフィス・ビル。だよね。いつもいつも思うのだが、このプラハの街にしても、東京にしても、バロックやアールヌーボォ、キュービズム建築(これはプラハだけだそう)に続く、こういった現代建築が100年を超えて鑑賞され続け、ある種の感動を与え続ける事が果たして出来るのだろうか? そういう意味では、私は保守的なのかも知れませんが。このアンバランスさ(室内は普通だったりして)は、ガウディの有機的アンバランスとは違い、不安定な気持ちを起こさせる。そういえばガウディのペドレラ(カサ・ミラ)も1910年頃に建てられたのだから、プラハのキュービズム建築とほぼ同時代だ。片やキューブ(立方体)、片や有機曲線。不思議。まぁ、ペドレラも醜悪、不気味と言われ借り手がなかなか見つからなかったそうだが、100年たてば世界遺産だものねぇ。

抒情的な街プラハを後にして、何故か私たちはそのままバルセロナ空港からバルサの試合を見にCamp Nouへ。日本から来ている友人の見たいもの、行きたいところリストを網羅するためにパズル的日程を組んだ結果、こういう脈絡のない旅の終わりとなったのだが、Camp Nouではメッシが担架で運ばれるという、前代未聞の光景に興奮。旅の叙情は吹っ飛んだのでありました。




チェコの民芸品わら細工によるスラブ的な、農婦の如く豊饒なマリアが抱く幼子キリストとともに。Merry Cristhmas! Felices Fiestas!


| るな | 旅にしあれば | 19:47 | comments(0) | trackbacks(0) | -
ガス燈の灯り
ほんの一時、バルセロナも冷え込んだが、このところとても冬とは言えない暖かさだ。冬至を過ぎ、確かにこれから日射しは春に向かって行くのだが、毎日18度ほどにもなると何だか妙に居心地が悪い。冬にはやはり凛とした、冬の空気というものがある。



12月の初旬にプラハを訪れた。ちょうどクリスマスの市が始まったところで、街中がクリスマスの飾りつけで賑わっており、北国らしい色彩の豊かさ。大きなクリスマス・ツリーが広場に据え付けられているのも、いかにもな雰囲気だ。スペインではそもそもクリスマス・ツリーとか、雪にトナカイとか、サンタクロースなどは実感が伴わないので、なんだか作り話めいて感じられる。サンタクロースを愉しむのは、やはり長い冬に閉じ込められる北国の在り方なのだろう。ホット・ワインも体を温めるにはぴったり。



仕事に追われていたせいと、プラハ在住の方を頼っていく旅でもあったので、ただチェコと言えば人形劇、ミッシャ、プラハの春、ボヘミアングラス…くらいの把握しか出来ていないまま、何の下調べもせずに旅することになった。あ、あと「のだめ」の映画に出てきたカレル橋とか。息子が数年前に旅した時に、何処か小高いところから取ったこの橋の画像が美しかったので、そのイメージが強かったけれど、これは春の明るい光の下。今回は冬という事で、午後は4時を回れば暗くなってしまう。もうこんなに暗いと思って時計を見ると、まだ6時くらいで感覚が妙にずれる。



これが午後5時辺りの光の具合。このカレル橋の灯りはガス燈で、未だに火をつけて回るマントを着た点灯夫がいる。グラスハープの音色が、水面に映るガス燈の柔らかな光と冬の凛とした空気に似合っていた。川には餌付けされた白鳥がゆったりと泳いでいるかと思えば、水鳥が静かにホバリングして餌を貰いに橋げたに群がっている。何処か時間の流れが緩やかで、街の中を川が流れている風景はいいなと思う。京都でもパリでも。バルセロナはやはり海のある街だ。人は川に向かう時と、海に向かう時では心の在り様が違うのだろう。流れて行くものを見るのは内へと向かう気がする。



これがヴァーツラフ広場。ここがプラハの春弾圧のため、1986年ソ連軍が軍事侵攻し戦車で占領した広場。共産党による共産党改革が社会主義によって弾圧されるというのは、私の理解をはるかに超えている。ワルシャワ、連帯、ワレサ委員長…、そんな言葉があり、そんな時代があった。なんだかちょっぴり哀しい。東欧というのは、私には何処か哀愁を思い起こさせる国々なのだ。もし本当に社会主義という概念が「自由、平等、友愛」から生まれてきたのであれば、こんな暴力的な独裁とは一線を画すと思うのだが、やはり破壊することによってしか生み出せなかったフランス革命という背景を思えば、そう遠くはないのだろうか。私の父は昔でいう社会党議員だったが、社会主義なるものを日本で実現出来うると本当に信じていたのだろうか? 彼が生きている間に聞いてみれば、良かったのかもしれない。



こんな、街中に在った車止めもどこか革命兵士的。それぞれ表情が違うのが面白い。個性がある革命兵士たち。今回も例の如く妄想で愉しむ街歩きです。

| るな | 旅にしあれば | 23:38 | comments(0) | trackbacks(0) | -
パリを歩けば その3
前回のフランス家族旅行では、三人三様に見たいものが違って決裂し、最終日は自由行動日にしたという我が家の歴史から、今回は夫との二人旅ながらも、それぞれの見たいものを優先し、同じ部分は時間を共有するというやり方で行くことにした。ミュージアム・チケットで美術館を回るのだが、見たいものが違うからだ。私は最初に最低限行きたい美術館を指定(オルセー、オランジュリー、クリュニュー、そしてルーブル)しておいたので、それ以外はお互い気儘にという事になった。私はモンマルトルに行ってギュスターヴ・モロー美術館に行ってみたかったし、彼は大学の図書館とパリ国立天文台が見たいとの事。



1986年の12月にリニューアル開館したオルセー美術館は、1900年の万国博覧会の時に作られた駅舎だとかで、当時の大時計が残されている。私たちがパリに滞在していた86年の8月末から9月は、まだオープニング前だったので、今回が初めての訪問になる。ゴッホの自画像とミレーの「晩鐘」が見たかったが、残念ながら「晩鐘」は貸し出し中。後は主に建築の方を愉しむ。何故かここにもヴィオレ・ル・デックのスケッチなどの展示がある。うむむ、どこまでも付いて廻るのだった、あいも変わらず建築が。



次に行ったのはクリュニュー美術館。これは前回すでに書いたが、ここにはデュクが修復改修を行った、ノートルダム寺院にちなんだ歴代王の頭部像が展示されていた。この辺りで何だか嫌な予感が走るのだった、結局いつもの如く建築に振り回されることになるのではないだろうか、と。しかし私も辛抱強い…(笑)。さて、友人に教わった学生街のビストロで昼食。ビストロは昔から大好き。いわゆる定食屋さん? 家庭料理が基本でボリューム目いっぱいだが、私の好きなタルト・タタンがあったので、しっかりデザートも。こうなるとまた消化のために歩くわけですね。



通り道すがらノートルダム寺院前を横切っていく。長い入場待ちの行列ができているのを横目に、夫は何をやっているのかと思えば、かのデックの銅像が何処かにあるんだが、あれだろうかこれだろうかと首を捻っている。ふん… せむし男とかがいるんじゃないのぉ?
しかしすごい観光客である。ノートルダム寺院は以前観たし、この行列ではねぇ、というのでパス。ポンピドゥー・センターへ向かう。入るといきなり、何故かまた建築展。しかもあろうことかアルド・ロッシ! なんとまぁ… 



これは船に浮かぶ劇場「世界劇場」のスケッチ。「たまたま建築家になった詩人」と称されたロッシらしい世界観だ。これがヴェネチアの海に浮かんだ姿を見てみたかったなぁ。イタリアの歴史的都市の中にあるからこそ美しいのであって、ニューヨークや東京に出来てしまったらただのポストモダンだったのかも知れないけど。



こちらもロッシの模型? オブジェ? とにかくポンピドォーの中で唯一オモシロかったのは、「La Tendenza(ロッシ展)」 しかしポンピドォーはなんであんなに退屈な展示物ばかりなのだろう。ロッシは建築は記憶の集合といったそうだが、私の記憶には残らない作品ばかり。しかしウォーホルって…、まだ現代美術なの? 近代、現代、同時代、この棲み分けがよう解らんのであった。

そういえばこの春、金沢に旅行した時に「金沢21世紀美術館」を、やはり建築を見るという観点から訪れたのだが、建築も展示作品も一過性のものとしか感じなかった。もはや鉄筋コンクリート造りの現代(失礼、同時代建築というべき?)建築は所詮、一過性的モノであり歴的的建造物としては残り得ない、という事なのだろうか。地域活性には役立っていると思うが。そんな鬱々としてツマラナイ「21美」を後にした直後、偶然に見つけた谷口吉生設計による「鈴木大拙館」で、久方ぶりに建築の持つ美という概念に触れた気がしたのだった。思想が寄り添わない建築というのは、ロッシの言う記憶を集合していく場にはなり得ないのかもしれない。妹尾の小奇麗に纏め上げようとする努力が痛々しいほどに垣間見える「21美」に対し、「鈴木大拙館」の伸びやかさ、無駄なものを省くという精神的作業を経て削り落とされた末に見えてくる美を表現しようとする試み。大拙を正しく理解した建築たろうとした建築家、谷口吉生の姿勢がみえる。私たちが訪れた時にはまだ建築雑誌に発表されていない段階だったので、知る人ぞ知るという処だったのだが、こういうものに不意に遭えてしまうところに縁があるのかも、私たちと建築、とは。



それにしても…、日本の現代・同時代建築が華奢に(もしくはチャッチク)見えてしまうのは、歴史や都市に対する認識・理解不足のままモノを作るという事のみが先行してしまうからではないだろうか。歴史の中に、街の中に残る建築、そういったことを現代の建築家は疎かにし、何だかウケを狙ったものばかりが増えてきたような気がする。ま、それは日本ばかりでなくここ、スペインでもご同様なのだが。好例が維持費にばかり金が掛かり、まったく使い物にならないカラトラバの作品群。こういうスペクタクルな要素を好むというバレンシア人のご贔屓のせいもあるが、まったくねぇ、どうにかならないのかしら、って感じ。建築雑誌に載せる写真の構図ばかり気にしてると、こういう作品が出来上がるのかもね。構造における美は大事だが、肝心の機能をちゃんと果たしていなければ意味など何もない。



翌日はまず何よりも見たかったモネの「睡蓮の間」、オランジュリー美術館に。自然光を柔らかく取り入れた楕円の展示室で、ゆったりと作品の持つ空気に包まれて朝の時間を過ごす。奥の部屋にはグループが入ってこないので静かで、お茶でも飲んでいたくなる空間だ。これは2000年から大改築が始まったとあるので、私たちが滞在していた間は開館していたのだろうか? 見た記憶がないので、夫と二人首を傾げてばかりいる。3週間の滞在中にパリはそれなりに歩いて廻ったはずなのだが、記憶が欠落してしまっているのは、私が妊娠中で散漫だったからばかりでもない。写真が残っていないせいなのだ。86年の夏の終わり、私たちはオリエント急行でドイツからウィーンへと建築を見て回ったのだが、それらの旅のフィルムは現像する前に、バルセロナに到着した夜に泥棒に盗まれてしまい何も残っていない。しかし、ポンピドォーやルーブル、クリュニューに行った記憶はあるのに、オランジェリーだけがない、というのはやはりオカシイ。何かしらの支障があって閉館していたのかもしれない。まことに写真は記憶の玉手箱なのだという事を、改めて感じる。デジタルになってから現像をしないせいか、アルバムを作らなくなってしまったが、時間が出来たらアルバムにしておこう。定年後の仕事が一つ、また増えた?

う〜む、しかしこう睡蓮に囲まれた庭園の雰囲気を味わうと、次回は、近郊のジヴェルニーにあるモネの庭を訪れてみたくなる、やはり睡蓮が咲く季節に。



さて夫は大学の図書館とパリ天文台を観たがっていたが、いずれもが、許可申請しておかないといけないとかで(なんと天文台は3か月前に!)、これは行って分かった事なので致し方ない。パリ天文台に何があるかと言えば、カッシーニのパリ子午線が通っているのだとか。前々日にサン・シェルピス教会で子午線が描かれたオベリスクを見に行き(私は疲れて居眠りしていた)、すっかり「ダ・ヴィンチ・コード」と「聖杯伝説」にハマっている夫は、今日のルーブル美術館で、またもやその痕跡を偶然見つけ喜んでいる。しかしまぁ、いかに自分の好きな領分とはいえ、これだけ歩き回れるようになったのだから、大したものだ。

ルーブルはとんでもなく俗世界で、ぐったり。彫刻では一番好きなサモトラケのニケを、真横のベンチに座ってしばらく眺める。階段で転んで怪我をした人がいて、血が飛び散って大騒ぎ。すわっ、殺人事件か!?(笑) そういえば昨日も地下鉄の階段で倒れた人がいて救急車が来て大騒ぎしていたが、パリはバリアフリーに関しては遅れている。地下鉄なんて車椅子の人には、ほぼ利用不可能。ほとんどが階段だけで、エレベーターはおろかエスカレーターもない駅ばかり。弱者に対して決して優しい街ではないようだ。日本もそうだけど。バルセロナはオリンピックを機に、一気にバリアフリー化が進んだのだが。

ミロのビーナスにはさほどの人だかりはない。この人の(?)デッサンをよくしたので、何だか昔馴染みに会ったような気がしないでもない。美術をやった人の多くがそういう感慨を抱くのではないかしらん。しかし、何、あの人だかりは! ルーブルといえば「モナ・リザ」という事なんだろうが、防弾ガラスの中に、しかも警備員付。昔は間近にまじまじと観て、「小さい!」と思った記憶がある。しかし、ほとんどの輩が腕を上にあげて必死になって写真を撮っている。無礼な奴ら。どうして美術館で写真撮影を許すのだろう。写しただけで満足して作品に向き合う人(向き合おうにも、押し合いへし合いで頭が変になりそう)など、ほとんどいないのでは? 本当に作品を見せたいなら、美術館は撮影を許可すべきではない。実に不愉快。

この春の帰国の際、毎日新聞社などの主催で開催された「ダ・ヴィンチ展」のオープニング・パーティに招かれて「ほつれ髪の女」や「岩窟の聖母」の弟子バージョンなどを見たが、やっぱり本物は素敵。ダ・ヴィンチでもこういう作品の周りに人がほとんどいないのは、やっぱり何だかな〜という感じ。私は「モナ・リザ」より、この「岩窟の聖母」や「聖アンナと聖母子」の方が好き。特に聖アンナの微笑みが。今度はロンドン・ナショナル・ギャラリーの「岩窟の聖母」を見に行こうかな。写真を撮ろうという気もないし、絵葉書を買おうという気もない。ただ実物が見られたので、それで満足。

この日は午後は夫とは別行動をする予定だった。私はモンマルトルのサクレクール寺院に行ってからギュスターブ・モロー美術館に行きたかったし、夫は大学の図書館を見てから建築博物館に行くという。だが、またもやサンジェルマン・デュプレ界隈をウロウロした挙句、図書館は呼び鈴を押しても誰も出てこず、仕方ないのでサクレクール寺院に一緒に行くことに。この辺りで時間のロスがあって、残念ながらモロー美術館には間に合わず、帰り道だからと言われ結局、建築・文化財博物館へ一緒に行くことになった。ここでもデックが修復・改修した建築の歴史的建造物の型取りした複製を展示している。フランスの近代建築はデックなくしては語れない、と実感。修士論文で伊藤忠太におけるデックの影響を論じた夫は、自分は正しかったのだと感動中。ロマネスク好きの私としても、19世紀に既に保存の重要性を認め複製を作っておこうという考えには感心する。これらの複製を基に、第一次世界大戦で破壊をされた彫刻を修復出来たとか。



そしてここにはコルビジェのユニテのアパートが再現されている。閉館間際のすれすれに、「5分だけ、じゃ2分だけ!」と粘って、何とか撮影できた室内空間は、徹底的に合理的な空間だ。この階段、シンプルの極みだけどちゃんと手摺が付けてある。カッコだけじゃないんだなぁ、人が生き、活動するという事が考えられている。



これは外から見た処。機能ってやっぱり美を伴う事が出来るんですよねぇ。ユニテは前回のフランス旅行で見てまだ記憶に新しいので、追経験という感じで制作過程がみえてオモシロかった。



この建築博物館のすぐそばからはエッフェル塔が真正面に見える。フランス人は何を、どう見せるかを心得ている。ここで記念にツー・ショットでもとってもらおうと、ホモの恋人たちに撮影を頼んだら、何と塔の上がちょん切れているっ! 許せない奴らである、もちっと感性良くないといかんよ、坊やたち、という感じ。しょうがないなぁ。エッフェル塔は夜10時から30分間だけ、ちかちかと可愛くライトが点滅して、なかなかによろしいのであった。パリは晴れ。せいぜい24度くらいと言う涼しさの中、久し振りに決定的に決裂することもなく、無事に終わったヴァカンスだった気がするのだが? まぁ、見残したものがあって、今度はあれね、と思う処に旅の余韻があり、糧があるのかもしれない。同じ街も歳を重ねていくと、見えるもの、見たいものが違ってくるのが醍醐味だが、パリとはそういう許容の幅がある街、という事なのだろう。

さて、バカンスの後、8月は猛烈な暑さの中、仕事です。
| るな | 旅にしあれば | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0) | -
パリを歩けば その2
何処の街に行っても必ず訪れるのが、市場と花屋。今回は週末だったこともあって市場にはちゃんと行けなかったが、友人とクスクスを食べに行こうという事になり、その時マレ区にあるアンファン・ルージュ市場という、パリで最も古い市場に連れて行ってもらった。有機栽培、無農薬野菜のお店が頑張っていて、不揃いな野菜たちがいい感じ。いつから野菜や果物はみんなおんなじ規格品になってしまったのだろう。



ここは食材も売っているけど、どちらかというと各国料理が味わえる屋台街みたいな感じ。好きなものをあれこれチョイスしてテラスで頂くのも愉しい。近くで働く人たちでお昼は結構な込み具合だった。タジン料理が流行りのモロッコ料理屋さん、まだ早いしと、ちょっと周りを一回りして戻ったら、あっという間にテラス席は埋まり、順番待ちの列ができていたのには、びっくり。タジン料理とクスクスの違いがもうひとつ判らないが、あっさりした味付けで美味しかった。アルコールはナシなので、最後に甘いアラブ系のお菓子とミントティー。



今回は エスニックも含めてお昼はビストロ、いわゆる定食屋さんで美味しく頂く。友人に教えてもらった学生街のビストロは、地元っ子が多くボリュームたっぷりで良心的なお値段。夜は部屋でのんびりつまみとワイン。やはりフランスは白ワインがいい。赤はスペイ ンに美味しいものがたくさんあって、お値段もうんとリーズナブルだし、シャンペンはカタルーニャに美味しいカバがあるし。でも、白はフランスに敵わない。それとチーズ!



パリの街角には小さなお花屋さんがたくさんあって、こんな色合わせはバルセロナでは絶対にお目に掛かれない。胸が少し締め付けられるほどに、壊れ物のような 淡い薔薇の色合い。中間色の花が多いのが羨ましい。もっともこれをバルセロナで見たら、強烈な光の中では何の魅力もないのだろうが。黄昏時から夜にかけての花束だ。こんな違いの発見も街を歩く愉しみ。



ちょっぴりスパイスの効いたブーケを持って、恋人の家に夕食に行く。よく冷えた白ワインと。みんな小さなブーケなのがいい。恋人に大げさな花束を持って行くなんて、芸能人の追っかけじゃあるまいし。



う〜ん、美しいものを見ると心の襞が広がる。バカンスで目いっぱい襞を広げて、あの忙しい日常へと戻っていくのだ。ひとつの街にじっくり滞在し、その街を歩くと愛おしさが満ちてくる。そしてやっぱりパリはいいなぁ、という気にさせてくれる。
| るな | 旅にしあれば | 14:59 | comments(0) | trackbacks(0) | -
パリを歩けば
久し振りにパリに行く。珍しく5日間の空白が出来たので不意に思い立ち、航空券やホテルの手配も、何と出発3日前という慌ただしさ。小さな子供のいる同僚たちは長期の夏休みを取らざるを得ないので、子供の手の離れた人や家族持ちでない人が夏の当番のような感じになる。私もかつては8月はひと月ほどの休暇を取っていた。ありがたい事に子供は成長し犬の世話共々、留守番をしてくれるようになった。



街の中を川が流れている街というのは、何だか心が落ち着く。フランスにはそういう街が多いが、橋がそれぞれに美しい。初めてパリに来た時、私たちは合計3週間ほどこの街にいたのだが、お腹が大きかった私はさほどに出歩かなかったのか、これはという情景が浮かんでこない。ただあの頃のパリは薄汚くて、足元には犬の糞やらゴミが散乱していた記憶があったが、今回街はとてもこざっぱりしていた。ずいぶん英語も通じるし。パリっ子は人当たりが冷たいようによく言われるけど、私はパリでは不愉快な思いをしたことは一度もなく、毎回なんだかんだと結構親切にしてもらった覚えがある。息子はおもちゃ屋がないのでパリは嫌いだと、今でも言っているけど。不思議なことに中心部でおもちゃ屋というのは皆無だった。



パリの細道を、入り組んだ緩やかに歪曲した道を歩いていくと、何という事のない小さな店に出会う。有名ブティックに興味のない身としては、店主の横顔が窺えるような小さな店が好きだ。時間や人に合わせてという制約なく、自分の見たいものだけをゆっくり見るための美術館巡りをしたかったし、ようやくそうできる歳になってきた。何処へ行っても、自分の欲しいものだけは伝えられるようになってきた、というのは歳を喰った証? ま、いい や。と思う事がそうなのかも。



こんな何気ないウィンドーの飾り。パリの街の色合いの美しさ。光と影の淡いばかりの境目。スペインの過酷なまでの光と影の亀裂から抜け出して来た身には、肌寒いほどのパリの朝は静かに、ただ静かにやってくる。バカンスシーズンという事もあって、多くの店が閉まっており、街を行きかう住民も少ない。パリのわんこはこんな服を着せられておるのか?!という、ワッハハなお店も。アホかいな。



昔はとても大きく、複雑なように思えたこの街も、歩いてみればさほどでもない。ホテルは凱旋門の近くで静かな住宅街だったが、そんなごく普通のカフェで、カフェ・オ・レとクロワッサンのシンプルな朝食が二人で12ユーロほどするのには驚いた。もっともホテルで朝食をとると一人14ユーロもするらしい。14ユーロって、お昼の定食にしたって高くない? パリに35年ばかりも暮らしている友人も、「庶民はとても行けない」と言う。カフェもレストランも、ホテルも、何だかなぁ、という値段の付け様で、非常によろしくない気がする。私たちのホテルもネットで68%OFFというので申し込んだのだが、最後の日は部屋をグレードアップするからチェンジしてくれと言われ、別段気にもせずOKしたら一番いい部屋にしてくれたらしく、何と799ユーロだとドアに書いてあり驚いた。友人共々、じゃあ5星とかだったらどんな値段なの? どんな人が泊れるの? と、正直パリのばかさ加減に目が点。



サンジェルマン・デ・プレのカフェで居心地良く、昔ながらのカフェとミルクのポットを前に、懐かしい映画に出てきそうな「カフェ・デュ・マゴ」の、パリッと糊のきいた長い前掛け姿のギャルソンを眺めて時を過ごす。ここはスノッブの極致かも。夫曰く「サルトルやボーヴォワールが哲学論を戦わせていた所」なんだとか。かのサルトルですら(さえと云うべき?)神に囚われている。キリスト教の神の概念を持たない私のような八百万の民的人間にとっては、実存も本質もその境目は曖昧模糊であり、何だかんだ言ったって、己は己であり、そこに神だの何だの責任者を求めなくったていいじゃないかという、そんな感じですかね。哲学嫌いなので。ま、いいか。ここもカフェが5.5ユーロだが、ショバ代とこのこれ見よがしな古典スタイルのギャルソン姿を愉しめると思えば、まぁ良しとするか。ただしカフェは旨くない。で、チップなんか置かない。



ま、いいや。で、どうしてももう一度訪れたかったクリュニューに行く。ここはかの「貴婦人と一角獣」のタペストリーがある。初めて訪れたパリで「館」の空間性に感銘を受けた処だ。子連れで来る処ではなかったので、25年ぶりの再会。私も歳を重ねたが、この石組みのただ在る事の美しさと言ったらない。一角獣のタペストリーは展示方法がしっかりして見せることに重点が置かれていたが、かつては暗い館の石壁に素朴に並べられていただけだという記憶がある。石壁を飾るタペストリー本来の持つ、用途と美の強靭さがあった。そういえば、パリってこんなに明るかったけ? なんだかちっとも中世的色合いじゃないような? 雨に濡れた石造りの城館、というイメージだったけれど?



フランス革命の際に破壊された王たちの頭像。これはノートルダム寺院のファサードを飾っていた歴代の王の彫像のものだが、民衆による新しい歴史の幕開け時に破壊され埋められていたのが発見されて、ここに並べられている。ノートルダム寺院の現在のものは、19世紀にヴィオレ・ル・デュクによって復活されたものだとか。修復と呼ぶか改築と呼ぶかは意見の分かれるところで、デュクには常につきものの論点だ。何だかんだと言いながら、今回も建築話は付いてまわるのだった。



ホテル近くのモンソー公園に夕方の散歩に行く。高級住宅街の中にある廃墟風庭園には、お手伝いさんに連れられて砂場で遊んでいる子供たちがたくさんいたり、散策している人たちもとても静かで、ちょっと世離れした感じがする。ガーディンやターナーの廃墟画好きな私としては、作為的ではあるけどこういう庭園は嫌いではない。



この公園の入り口には、ルドゥー(出た!)のパビリオンがあるというので来た訳だが、25年前にも彼のラ・ビレットの関門を見た(記憶にないが)から、国立製塩工場と合わせて彼の作品はこれで大方観たことになる。完成度の高い建築を見て歩くのは、訳の判らぬ高級ブティックを見て歩くよりは、愉しい。街を歩く愉しみは、そこに歴史があり生活があるからだが、最近はあまり物を買わないようにという気持ちが働くためか、人物ウォッチングも含めて、もっぱら見る愉しみ、眺める楽しみの方に傾いている。今回も結局お買い物はナシ。タペストリーの絵葉書数枚と、半額セールのタペストリーの小袋を買っただけで、息子へのお土産はマカロンとチーズ、食べ物が一番。旅は非日常への一歩、思い出が出来ればそれで良し。
| るな | 旅にしあれば | 00:26 | comments(0) | trackbacks(0) | -
今日は風花、明日は雪
どうにか少し春の気配がし始め、芽吹いてきたねこやなぎを夫が散歩のついでに手折ってきてくれた。そんな春めいた日には行き交う誰も彼もが、長かった雨の後の晴れ間に心なしか表情が明るい。

だが、今朝は雪が舞った。風花だ。鈍色の雪空は懐かしい故郷の空を思い出させる。

帰国していた折も、よく雨が降った。日本の初冬の時雨は深々と足元が冷えた。そんな雨の一日、懐かしい人の記念館が出来たと聞き、出かけてみた。明治の歌人・山川登美子記念館である。

山川登美子と いっても知らない人がほとんどだろうけれど、与謝野鉄幹に見いだされ、晶子と並び称される 「明星」の歌人であった。彼女の生家が記念館になったというので、再訪することにした。高校の頃に文化祭の登美子研究で訪れて以来なので、実に35年ほどの時が 経っている。あの頃、私の持っていた暗い登美子のイメージと呼応するような、生け垣に囲まれ武家屋敷の面影を残していた庭は、何だかひどく明るくなってい た。奔放な晶子に比べ、あくまでも己に厳しく律せざるを得なかった登美子は、鉄幹から「白百合の君」と呼ばれ、「白萩の君」と称された晶子と鉄幹を競い 合った。“君が才をあまりに妬し”と晶子にその才能と美貌を詠ませながら、二十九歳で亡夫から移された結核が元で亡くなっている。

記念館は生家を公開したもので、実に保存状態良く手入れされた屋敷であった。同じ敷地内に新宅を建てられた山川家の寄贈によるものだという。生前に登美子 が使っていた懐刀や自筆のノート、短冊などが展示されていて、昔拙いながらも研究していた折、こういうものを実際に見せて頂いていたらまた違ったであろう なぁ、などと自分勝手な感慨を抱いた。ま、十八の小娘にどれだけ深く登美子の懊悩が理解できたか疑問ではあるが。



白芙蓉

私は登美子は「芙蓉の君」だと長い間思っていて、芙蓉のちょっと儚げな花を見るたびに、彼女の

わが息を芙蓉の風にたとへますな十三絃をひと息に切る

この歌を思い出し、この芙蓉の儚げなさに秘められた芯の強さに、何かしら若狭びととしての気概と云うか、誇りのようなものを感じたものだったが、実は鉄幹は「白百合の君」と呼び習わしていたという記述を見て、あぁ、そうだった、昔も何故か疑問に感じ、実は登美子自身も「白百合」と呼ばれる事に少しばかり思う処があったのではないか、と想像していた事を思い出した。白百合の気品を鉄幹は良家の武家育ちの登美子に感じ、そのイメージを押し付けたのではあるまいか。 そういう点では女の直観の方が優れていて、鉄幹が「白萩の君」と呼んだ昌子に対し登美子は、

それとなく紅き花みな友にゆづりそむきて泣きて忘れ草つむ

と、紅い花を譲るに足るだけの、何処か強さを感じさせるイメージを抱いていたと思われる。大体において鉄幹というのはいい加減な男であったし、登美子はそういう男の本質的な弱さを鉄幹に見ていたのではないだろうか。晶子にしても、人を見出し批評をする才はずば抜けたものがあったにせよ、おのれ自身の才の輝きは短命であった鉄幹に対し、明治時代にあれだけのスキャンダルを引き起こした挙句に奪い取った男に対する自分自身への気概があり、それが彼女を奮い立たせていたのではないだろうか。彼女に楚々たる白萩を見たという鉄幹など、夢想の世界に遊んでいる男に過ぎない事を、登美子も昌子もとっくに知っていたという気がしないでもない。それでも女にとって、明治の時代にイメージ豊かに遊ばせてくれる男は稀であり、貴重であったのだ。そんな事を深々と冷える登美子終焉の間で、彼女が最後の時にも見ていたであろう庭に向かいつつ思った。人は三十になるかならずで逝った登美子を薄倖の歌人という。だが生き永らえて何になろう。歌は命の燃える時に詠まれるものだ。登美子は命が燃え尽きたのが若かったと言うに過ぎない。明治の時代、厳格な武家の娘としての教育を受けた彼女の生き様は、商家の娘としてその本質に奔放さ、節操のなさを持つ昌子とは違った生き様であったという事だろう。

おつとせい氷に眠るさいはひを我も今知るおもしろきかな

登美子が詠んだ病の中の歌。不可避な運命に対する静かな諦め、服従、ストイックな内省。この歌が今、しみじみと心にさざ波を呼ぶ。若い頃は奔放におおらかに女性の性と自由を歌いあげた万葉的な晶子に共感を覚えたりもしたが、この登美子の静謐な感性は去りゆく者の感性であり、若い頃には解りえなかったものだ。年を経るのも悪いことではない。

館員の方が「髪長き…」の歌碑が小浜公園の入口にもありますよと言われ、はて、そんなのがあったかいな? 展望台のようなところに随分と無骨な歌碑があり、おまけに「北国人と歌はれにけり」とあって、若狭びとは北国人ではないんよね、おまけにこんな代表作でもないものをむりくり風土に押し込めようと歌碑に仕立ててと、むかし写真に撮りに行った時に反発したものだが、代表作と云われる浪漫的な明星歌調の新しい歌碑があるそうな。

別な日にぶらぶらと海沿いの公園に出かけてみた。冬の鉛色の海風に吹かれながら、探すともなくすぐに歌碑はあった。ま、妥当なとこか。

髪長き少女とうまれしろ百合に額は伏せつつ君をこそ思へ



そこから更にぶらぶらと常高院に行く。休暇中の身の幸いはあてどもなく歩く事が出来ることだ。焼けた山門、国鉄と国道に分断された参道、山の上にある菩提所、というのが私の持つこの寺のイメージだったのだが、なんと山門が再建されていた。おまけに実にあっけらかんとした本堂まで。



何だかなぁ。ここまで息を切らして登ってくると、若狭瓦の街並みと海が見渡せ、後ろには焼け残った山門、というのが好かったのになぁ…。このお寺はかつての小浜藩主・京極高次の正室、常高院(織田信長の妹お市の方の娘、お初の方)の菩提寺で、確かに由緒ある寺ではあるんだが。あの荒廃した無住のうら淋しさが、実に好きだったのになぁ…。

あの荒れた感じに、流浪の俳人・尾崎放哉のイメージはよく似合っていたものだったが…。ここにも句碑が建てられたそうな。

波音淋しく三味やめさせて居る

階段を下りて少し行けば今もベンガラ格子を残す花街、三丁町である。そこを通ると三味を爪弾く音がしたものだ。小浜では六十句ほどを詠んだ放哉だが、その中に「うつろの心に眼が二つあいてゐる」「淋しいからだから爪がのび出す」といった、ちょっと萩原朔太郎的世界を彷彿とさせる句がある。放哉は終焉の地・小豆島のイメージが強いが、須磨や若狭など、光をたたえた海が好きだったのかもしれない。静の放哉、動の山頭火とよくいわれるが、こちらは逆転して海と山。放哉の影響をいち早く受けたのが山頭火だったがそうだが、さびしさは少し質が違っている。

まつすぐな道でさみしい


流浪、漂泊…、ひとりの男の生き様として、それは何なのであろう。放哉も山頭火も、何よりも愛したのは自分だったのであろうか。わたしは何処まで行ってもひとり、ということか。いつかひっそりと静かな森に暮して、晴耕雨読、さびしさは分けあえぬものと思いきって暮らせたら、心のざわめきは平穏を得るのだろうか。そんな事を考えた冬の一日。風花もやんだようだ。
| るな | 旅にしあれば | 16:35 | comments(0) | trackbacks(0) | -
雑木林
私は落葉樹の雑木林が好きだ。 23年振りの、日本の晩秋から初冬の帰国。最後の紅葉と、そして冬の始まりを告げる雪に出会った。愛でるために設えられた庭園美ではなく、山道の中の雑木としての紅葉。晩秋から冬の山道は、妙に明るい陽射しが所々に射し込んでいたりして、空の高さというものを感じさせてくれる。



夕日に明るく照らされた紅葉が見れるのは、山を下る醍醐味。こういう雑木林がどんどん少なくなってしまった。



私の幼いころは林業が盛んだった。我が家の山にも大勢の人が杉や檜の切り出しに入り込んでいて、コールタールを塗った木馬道がうねうねと続いていた。時代は高度成長期とやらだった。山はすっかり明るくなって、その後に植林が行われたが、ほとんどが当時はお金になると思われていた杉や檜で、雑木林の落葉樹がどんどん消えていった。植林されたばかりの頼りなげな苗木を鹿から守るために、祖父は私を連れて散髪に行くとは、その髪の毛を持ち帰って苗木の周りにばらまいていた記憶がある。鹿は人の匂いを嫌がるという。すっかり明るくなった山には下草にいかり草や山紫陽花、笹百合が群生し、とくに笹百合は私の誕生月に咲く花でもあり、その芳香と淡い色合いが大好きで腕一杯に摘んで帰ったものだった。今は幻の花とまで言われるようになったらしい。



初冬の故郷の山道。毎朝ぶらぶらと散策をした。お正月飾りの裏白が目に付く。そう言えば昔は水仙が群生していたのだが、その後すっかり姿を消したようだったのに、今回再び群生しているのを見かけた。喜ばしいことだ。県花でもあり越前岬には有名な群生地があるが、こんな風に野の畦道や土手に咲くのも穏やかに春を迎えようという気配がする。



もうひとつ、この時期に見たかったのがやぶ椿。椿の木は思いの外に背が高く、足元に落下した花で所在を知ることもしばしば。庭の生垣がすべて椿だったので、この蜜を吸って遊んだり、蕾を茹で卵に見立てて庭でおままごとをしたり。残念な事に根が張りすぎて取り除かれてしまい、わが幼少の思い出としてしか残っていない。まだ少し早いかと思ったが、陽のあたるお寺の庭でようやく見つけた寒椿。椿には雪が似合う。



こうしてみると、私はずいぶんと季節とともに生きてきた人間だという事が、今さらながらに解る。季節折々の自然との対話というものが、私を育んできた土壌として確かに存在している。そこにこそ私のアイデンティティはあるのかもしれないなぁ、などと、やはり故郷の山を見て思ったりした。日本海の冬の海や空の色と言うのも独特なもので、鈍色の天空、鈍色の荒海、雪の降りやんだ早朝の群青色に明けていく空、山に降りかかる時雨。紅葉と共に、これが見たかった故郷の風景でもあった。冬は蟹や鰤、海鼠も美味しいし。日々暮す身ならば時雨がちの冬は辛くもあろうが、なかなかに捨てがたい季節ではある。

私の持つ雑木林のイメージは、松や杉などと交り合った雑木林だったのだが、次に友人が連れて行ってくれた伊香保温泉、榛名湖周辺の雑木林は落葉樹だけの雑木林らしく、まるで象の背のように地肌が透けて見える。ああいう森を歩くとずいぶん明るいんだろうなと思うと、犬たちと散歩をしてみたくなった。榛名湖は竹下夢二がアトリエを開いたところで、伊香保温泉にある夢二記念館では「榛名山賦」のオリジナルを見る事が出来る。ただこの絵のイメージは緋襦袢だったけれど、オリジナルは退色の為なのかサーモンピンクに変わっており、少し違って見える。夢二が描いた色は本当に緋襦袢で間違いなかったのだろうか。それに関する説明がないのでどうとも言えないが、与える印象も当然ながら違ってくる。代表作の一つでもあるので、何らかの説明があってもしかるべきかも。

今回の帰国では、友人たちと老後は何処で過ごそうかという話になった。皆そういう事をチラチラと考える歳になってきた訳だ。ある友人は暖かい処がいいから定年後は沖縄移住を願い、別な友人は故郷に帰り畑を耕すような生活を夢見ている。私は森と海がないと落ち着かないタチなのだが、犬と歩きまわれる雑木林があって、近くに湖か川があるのもいいかなぁ、などと榛名湖を見て思ったのだが、榛名湖は藻が繁っていて「絶対に泳いではいけない湖」なのだそうで、それは残念である。しかし、日本は温泉があるから魅力的。

それと同時に、誰と過ごすかというのも話題になった。当たり前のように夫婦で老後を、とばかりも言っていられない時代なのかも知れない。バツイチあり、子供のいない夫婦あり、ひとり身ありの我が友人たちは、それぞれの老後をどんな風にイメージしているのだろうか。性別に関わりなく気の合う友人同士で生活をシェアするというのも、これからの時代に沿ったあり方ではないかと思うのだが、ある友人曰く「掃除の仕方が違いすぎるとかだと、イヤ」 う〜む、完璧主義でも潔癖主義でもない私ではあるが、あまりに暮らし方レベルが違うのは確かに無理かも。そういう意味では違った環境で育ったもの同士で別な環境を作り上げてきた夫婦と言うのも、互いが依存しすぎない友人と言う関係に進めるのかもしれない。



落葉樹ばかりの雑木林は冬は淋し気で嫌い、と友人が言っていたのを思い出しながら、今日もバルセロナの森を犬たちと歩いている。これから少しずつ日が長くなっていく。もうひと月もすればアーモンドが咲き始めるだろう。近所のミモザの蕾も黄みを帯びてきた。冬支度をしていた日本を後にしてきたが、ここはもう春支度の感がある。もしここを離れたら、やはり恋しく思い出すに違いない。私の人生において、バルセロナは最も長く暮らしている街になってしまったのだから。


みなさま、どうぞ穏やかな新年をお迎えください。

| るな | 旅にしあれば | 10:19 | comments(0) | trackbacks(0) | -
犬連れバカンス その5
旅の終わりはル・コルビジェのユニテ。やっぱり建築で終わる。我が家らしいと言えば、これほど我が家らしい旅はないのかも知れない。マルセーユは21年振り。あの時もユニテだけを見に来た。今回も同じ。あの時もヴィオレ・ル・デュクのカルカソンヌ修復とコルビジェのユニテの旅だった。今回はルドゥーとコルビジェ。



少し約束の時間に遅れそうだと、息子の携帯に何度掛けても繋がらない。車から降ろした場所はちょうど市が立っており、黒い肌の人たちがいっぱいいた界隈とあって、「身ぐるみ剥がれたんじゃないか」と夫が言い出す始末。いや、それはないんじゃないの。しかし焦れば焦るほど道に迷い、一体ここは何処よ? という外れに来て、やっとガソリンスタンドで道を尋ねる。オニーサンが親切に教えてくれた標を頼りに、またひたすら市内に戻る。遅れること1時間半、ユニテ前のベンチに佇む息子の姿が目に入り、「いた!」

どうも彼の携帯は電波が届かないらしい。ま、いいけど、いたから。「屋上でゴロゴロしてたんだ。一人で見て良かったよ。やっぱり初見は大事」と満足そう。ユニテ内の家具屋さんにダルが店番してたとか。見たかったなぁ。



昔見た時よりもユニテは美しく感じた。補修を繰り返しながら大事に使っているというのが伝わってくる。天井が低いなぁと言う印象が強かったのだが、確かに3階部分の中央廊下は暗く圧迫感を感じるけれど、意外や側面の廊下は外光がふんだんに取り入れられ、明るく伸びやかな空間になっていた。この照明のエスカルゴ的曲線も好き。



しかしこの集合住宅方式というのが「輝く都市」のあり方なのかは、私には解らない。中空に浮かした船の様な、空中楼閣のようなあり方。中にはメゾネット式住居やホテル、そして3階に商店街やオフィス、屋上庭園には幼稚園。ひとつの島の様な考え方だが、ここですべてが収まりきる訳がない。私なんぞは都市からの避難場所なのが、人の暮らすスペースなんではないかと思うが。昔も感じたけれど、やはり3階の商店街スペースは暗くて、大規模ショッピングセンターにしてやられた日本の裏ぶれた商店街みたい。コルビジェ目当てでやってくる建築関係者で成り立っているかのようなホテルや本屋。唯一フツーのお店はパン屋だけだが、あまり日常生活の香りはしない。開かれたようでいて、その実、外に向かって閉鎖的な空間なのかも。室内空間を見てみたいならここのホテルに泊まんなさいよ、というのも小利口なやり方。カフェテラスすら宿泊客でないと入れない、っていうのもなぁ。

夕日が沈む屋上で海風に吹かれながら、旅の終わりを噛みしめる。ここが幼稚園として使われ、子供たちの歓声が溢れているのを見てみたいものだ。のんびりと青い空を見ていた息子の足。マツものんびりと屋上庭園をお散歩。



最後にモデュロールと一緒に記念写真を撮ってもらう事にした。息子は彼の希望でこの姿勢。そして私は、相変わらず建築物の添え物です。もうっ、建築家って好かん!





これから一気にバルセロナまで走る。約350キロ余り。走行約4000キロの旅ももうすぐお終い。しかし、夫の体力回復は目覚ましく、今回の如き強行軍を貫徹できるとは喜ばしい事だ。さぁ、明日はベルとランを迎えに行ってやらねば。いじけてるんだろうなぁ…。
| るな | 旅にしあれば | 13:14 | comments(0) | trackbacks(0) | -
犬連れバカンス その4
翌朝は快晴。ホテルは山の中だというのに水量たっぷりの川辺に立つ17世紀辺りのお屋敷。部屋数7部屋という家族経営のこじんまりと静かな宿だ。もう村の名前も記憶には無いが、結構な保養地である。8時からしか朝食が出来ないという事なので、まぁ、バカンス用ホテルだから致し方ない。



プロヴァンスの明るい陽光の下、まずはマツの散歩。その後この旅初めてのゆったり朝食を戴き(たいして美味くはないが)、ホテル一番のウリの川面を背景に記念写真を撮って、これから家族別行動の旅となる。農奴解放から共和制へ、何ちゃって。誰も自分の見たいものの為に、人に道は譲らないもの。



とりあえずこの村に近いセナンク修道院は一緒に行く事にし、それから夫は我々をそれぞれの街に下ろし、自分は自分の修道院探しに赴く事になる。修道院はミサが始まる為、中の見学はできなかったが、夫は運良くは入れたそうな。孤独、清貧、質素を旨としたシト―派の、何処か厳しい趣のある要塞のような修道院。プロヴァンスシト―派三姉妹のひとつ。だがここはラベンダー畑で有名で、私たちが行った時は既に刈り込まれていたが、一面に紫の海になった絵ハガキが美しかった。7月中旬から下旬が見ごろだろうか。観光シーズンはさぞや、と思われるが、観賞用ではなく収穫用だから、満開の前に刈り取られる筈だ。



夫はここから残りの二姉妹、シルバカンヌ修道院、ルトロネ修道院だか、マグラダのマリアの遺骸があったとされるサン・マクシアンだかに行く気らしい。息子はとにかくひとりになって街歩きがしたい、あぁだこうだと聞かされる前に、自分の目でコルビジェのユニテを見たいらしい。ユニテで待ち合わせという事を決めて、「ありがと」と息子は嬉々として車から飛び出して行った。私はエクスのタピストリー美術館でも行って、後は少し街歩きをするとしようかな。



昨日まで寒さに震えていたのが嘘のよう。デュベロン山を越えると、少し翳りを帯び始めたとは言え、ここはまだ夏の陽光が燦々と降り注いでいる。プラタナスの並木に下がるプロヴァンスの旗は、カタランの旗に似て懐かしい。かつて南仏はアラゴン=カタルーニャ連合王国領だったのだし。デュベロン山、プロヴァンスと言えば、ピーター・メイルの「南仏プロヴァンスの木陰から」が思い出される。爆発的に売れたあのシリーズの影響で、プロヴァンス人気は高騰し素朴さが薄らいだ気がしないでもない。だが、ブルゴーニュの小雨模様の陰気さから逃れてきたばかりなので、イギリス人がこの光を求めて止まないのは良く解る。ベルと同胎の兄弟犬ヤーゴの飼い主もイギリス人夫妻だが、長らく暮らしていたイビザ島は俗にまみれ過ぎたというので南仏に引っ越している。私もプロヴァンスは大好きだ。乾燥しすぎてもいないし、食も美味しいし。でも。P・メイルの作品で読めたのは2作まで、後は愉しめなかったなぁ。柳の下の泥鰌は2匹が限界かしらん。



セザンヌがご贔屓だったカフェ「ドゥ・ギャルソン」は満杯状態。せっかくだからミーハーしようかと思うが、待つ気はない(ここら辺りがミーハーになれない決定的要因か?)ので、とりあえず街をぶらつく。しかし…、凄い人出。修道院巡りの果てはやっぱりこの俗世、きらびやか過ぎるかも。孤独、清貧、え〜っと何だっけ、質素?

カテドラルは回廊が美しく、天井から太陽の光が降り注ぐ円形洗礼所は珍しい。それからやっとタピストリー美術館へ。建物は大司教の邸宅だったもので、賓客をもてなす為に壁に飾られていた17世紀から18世紀のタピストリーが展示されている。ドン・キホーテの物語や、ロシア旅行がモチーフのタピストリーもあり、異国情緒的なものが人気があったようだ。「何処から来たの?」と受付のおばちゃんが聞くので、ここはやっぱり「日本」て応えておくべきなんだろうなぁ。すると日本語のパンフがあるという。今や珍しい手書き文字。最近は何処に行ってもこういうのが用意され始めたが、でも、本当はスペイン語か英語のをもらった方が、遥かに説明が豊富だし、不可解な翻訳を解読する為に頭をひねる事もない。特に建築関係は、建築の構造を解っていない翻訳家が辞書引きの専門用語で訳していると悲惨だ。門外漢にとってそういう作業がどれだけ大変かは身に沁みて解っているので、お気の毒という感じ。





犬の絵付けが可愛いお皿。ちょっと迷うが買わない。プロヴァンスの民族衣装をまとったお人形たち。ここはおじいさんが制作、おばあさんが販売という感じで、とてもいい雰囲気のご夫妻だった。クリスマスのご生誕シーンのお飾りなどもあったけど、やっぱり買わない。う〜ん、可愛いし素敵なものは一杯あるが、あまりモノを増やす生活というのも、いかがなものかしらんとも思うでありました。掃除も大変だし。



本当はプロヴァンスの布地屋さんでゆっくり生地を選びたかったけど、狭い店内に余りにも人が多くてゆったり見ていられないのと、夫との待ち合わせまでの残り時間が気になって、気が急かされながら買うのは嫌いなので諦める。これが目的のひとつでもあったので、残念と言えば残念だが、次回はもっとゆったりスケジュールで来よう、一人でもいいや。

さて時間が無くなってきた。お土産を買わなくては。お土産は貰って困らない実用品、お菓子が一番。エクスの名物はカリソン。何処がいいかなぁ、と探し歩いていたら、どうやらマルセーユから来ているクルーズ・ツアーの団体が一か所に固まってガイドの説明に聞き入っている。ちょっと懐かしい光景。どうやら老舗カリソン屋さんの説明らしい。早速ベルとランを預かっていてくれるベジェス達の為に購入。後はチーズ。しかしマルシェが閉まっている午後は食料品屋があまりない。街じゅうが観光客用のお土産店と化している感。夏以外に来た方がいい街かも知れない。

さて、どうにかチーズも買って一安心。さっきから気になってるのだが、何故かやたらとマカロン屋さんが目に付く。マカロン・ミュージアムと称するマカロン専門店もある。30種ほどから好きなものを選べるので、ちょっといいかも。残念ながらカメラはバッテリー切れで、色鮮やかなマカロンが写せなかった。さぁ、いよいよマルセーユだ。
| るな | 旅にしあれば | 09:57 | comments(0) | trackbacks(0) | -
犬連れバカンス その3
そもそも今回の旅は、息子が「ここに行きたい」と指定した事に拠る。7年ほど前にオランダのワールド・ドッグショウに参加する為に、ベル共々フランスからドイツ越えでアムステルダムまで延々と車で走り、その帰路に立ち寄ったのがコルビジェのロンシャン教会と、ルドゥーの国立製塩工場。その時に見たルドゥーが忘れられないと、常々息子は言っていたが、もう一度見たい、という。



念願のロンシャン教会を見た後だったので、その石の重厚さと左右対称の幾何学的形態に私などは圧倒されてしまい、お腹にずっしり来たという思い出があるが、「この存在感、しっかり地面に足が着いている感じがいいんだよ」と息子は言う。やはり世界遺産。同じ建築家ではパリのラ・ヴィレットの税金徴収所があるそうで、夫に依れば私も見ている筈なのだがトンと覚えがない。

製塩工場の博物館は前回見たので、今回私はパス。夫と息子が熱心に見学中の間、マツと庭をぶらつく。ここはラウンドスケープの実験展示場になっていて、いろんな造園家が趣向を凝らしていてなかなかに楽しい。何の柵もないし、庭なら犬はOKと入り口で親切にも言われたので、マツは張り切って遊んでいる。しかし、みんな犬には優しい。フランス人は取っ付きにくそうに言われるけど、どうしてどうして人懐っこい笑顔を見せてくれる。これも犬連れのお陰かしらん。





かぼちゃと瓜のオブジェの庭。カラフルな梯子を登ってみると… マツ、何が見えます?





これは建設用レンガの乗っている台に色付けしたもの。このちょっとくすんだパステル調の色合いと花の色がうまく調和されていて、うむむ…。やはりフランス人の色彩感覚は素敵。この空の色とも良く似合う。



いつか庭のある家に暮らせたら、こんな東屋もいいなぁ。朝顔も素朴な感じ。

さてルドゥーの柱の力強さは、やはり石という素材を良く知っているからだろう。石も朽ちていくが、その朽ち方も作品の力である。ざらついて行く肌合いも愛おしいものに感じられる。この柱だけ真似ても何の魅力もないだろう。



おや、マッちゃん。何だか旅に出てから凛とした顔立ちになってきたじゃありませんか。いつものメス2匹の支配下から逃れて自由を満喫?



それにしてもルドゥーって不思議な建築家である。博物館にたくさんの作品模型があり、非常に見応えがあった。ビデオを見た息子の話では「王の寵愛を受けた建築家だった為、フランス革命の際に捕らえられ幽閉された人物」なのだとか。税金徴収の門を設計したりしたため、民衆の反感を買ったようだが、理想都市を築こうとしたらしく、その計画案が面白い。しかし、体制側の建築家なのに理想都市を思い描くとは、何たる矛盾だろうか。ワタクシ的にはこういう夢のある計画案が好き。完全なる球体の水車小屋と、舟形の橋桁が素敵な橋の模型。





さて、息子は一番見たかったものは見たので満足そうであるが、ここから一気にプロヴァンスまで南下しなくてはいけない。とりあえずお昼はボーヌでという事で高速を降りるも、空模様が怪しい。ボーヌは3度目。ブルゴーニュワインで有名なお土地柄、カーブが並び試飲をさせてくれるのが愉しいのだが、今回はそんなゆとりはない。それでもしっかりワインは買うのでしたが。ひたすらに小走り気味に街を駆け抜けて、更に南下しなくては。





あ、初めて見つけた! フランスの犬用ウンチ袋無料配布。そう言えば昔に比べれば、あまり気にせずウィンドーを眺めながら街が歩ける感じ。とうとうフランス人も愛犬の後始末は自分でする気になったのかな? 袋にちゃんとフランス語、英語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語で「ありがと」と書かれているのが可愛い。



しかし、今夜のホテルは地図にもちゃんと出てないような山の中なんだとか。しかも翌日はまた修道院を3つ回るとか言い出す。これは話が違うと息子と私は猛然と抵抗。息子は一人でマルセーユの街歩きをしたいと言うし、私は私でエクサンプロヴァンスの街を歩きたい。結局、再度決別。それぞれが別行動を取る事と相成った。なんたる家族でしょ!
| るな | 旅にしあれば | 09:44 | comments(0) | trackbacks(0) | -
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