風の色、海の色、バルセロナ色

バルセロナからの気ままな風。
バルセロナという街に

その日、私は早めに仕事を終え帰宅していた。久し振りに昼食を家でとり、のんびりした気分でいた。そこに仕事仲間から突然のテロの知らせが届いた。8月17日、バルセロナで起きた一連のテロ。多くの死傷者を出し、子供たちも数多く巻き込まれた。

 

 

スペインが警戒度4に指定されていることは知っていたが、何故かバルセロナは大丈夫と思っていた。移民受け入れのプロジェクトを推進している街、共存を図ろうと、少なくともそう努力している街で、己の首を絞めるが如きテロは起こすまいと、そんな思いがあった。だがそれは、ただそう思いたかったというだけだった。

 

観光という仕事に携わっているので、仕事仲間との無事確認のメッセージが飛び交った。第一報をくれた仲間は、まさに今から旧市街散策に出かけようとしていた時に、仲間からストップが掛かったと言う。私の身にも起き得た事態だ。ニュースで驚く前にと、日本が朝になるのを待って家族に無事の知らせをする最中にも、こちらのニュースは犯人追跡の模様をリアルタイムで流している。Mossos(カタルーニャ州警察)の迅速で冷静な対応が我々住民に与えたものは、平常を保つことの大事さだったように思う。カタルーニャ広場の国鉄、メトロが閉鎖になり帰れない人たちのために、事件発生から2時間後には食事や部屋の提供、タクシーの無料サービス提供などが相次いだ。それらの多くは、食事一人分、部屋一人分というような慎ましい提供であったが、多くの人が今の自分にできる事に考えを巡らせた行動だった。

 

翌日、事件のあったランブラス周辺の店や市場こそ一部閉鎖だったが、サグラダ・ファミリアも美術館もすべて平常通りに観光客を受け入れた。メインストリートのブティック街もみな店を開けた。午後には国王を始めスペイン首相も駆けつけ、カタルーニャ州大統領やバルセロナ市長と共にカタルーニャ広場に何千人もの人々が黙禱集会に参加した。やがて「No tinc por 私は恐れない」というシュプレヒコールが静かに始まった。午後には公共交通は平常に戻り、ランブラスにも人が戻り始めていた。テロに屈しない、という姿勢を皆が一丸となって貫こうとしている。恐れていては前には進めないのだ、と。図らずも、バルセロナという街の強さをまざまざと見せつけた事件だった。フランスやイギリス、ベルギーなどで起きたテロ直後の街とは、バルセロナは徹底的に違っていた。この街は猥雑でありながら、なんとも云えぬ潔さを持ち合わす街なのだ。街を誇りに思う感情が私にあることにも、気づかされた。

 

26日の追悼デモ行進には50万人が駆けつけた。残念ながら私自身は仕事中で参加できなかったが、友人たちの多くが参加した。仕事中に州警察官に思わず駆け寄り、彼らの勇気を称え感謝の言葉を述べた友人もいた。デモには「No tinc por 私は恐れない」と書いたプラカードと共に、「Felipe VI y gobierno español, cómplices del comercio de armas フェリッペ6世とスペイン政府は、武器輸出の共犯者だ」という大きな横断幕が掲げられた。スペインと仲の良い湾岸諸国の国に、スペインが武器や弾薬を売っている事がテロの温床となっているという抗議だ。10月1日に再度行われる独立の是非を問う住民投票は、前回の35%程度だった投票率を、恐らく大きく上回るのではないだろうか。イギリスのEU離脱騒動を踏まえ、より現実的になったと思われていたカタルーニャだが、今ここでその民族意識は高まりを見せ結束力を強めている。対話さえ拒むスペイン政府のやり方に不満も募っている。9月11日の「カタルーニャ民族の日」に向けて、バルセロナは今動こうとしている。

 

| るな | バルセロナという街 | 12:55 | comments(0) | trackbacks(0) | -
夏祭り
夏は祭りの季節だ。ピレネーの村に行くと、村々のFiesta Mayorと呼ばれる、村の守護聖人祭に行き会う。山あいの村の最大の祝祭だ。カタルーニャ州の守護聖人はサン・ジョルディ、バルセロナ市の守護聖人は慈悲の聖母マリア・メルセデスだが、この8月を彩る祭りといえば、グラシア地区の祭り。グラシアはかつて独自の村だったため、バルセロナ市に組み込まれる前の自らの守護聖人がいるのだ。



グラシア地区は若者に人気の地区。若いアーティストたちやイッピー的若者が多く住んでいる界隈だ。猥雑さに適度に洗練された部分が織り交ぜられている感じの、庶民的でありつつちょっと他とは違うよと、小粋に鼻を動かしてるような街。この区域のFiesta Mayorは通り毎にテーマに沿った飾付を競う。今年最優秀賞を獲得したのはベルディ通り、テーマは日本だ。



異文化コミュニケーションを好む街だけあって、日本の小物を売ってる店もちらほらある。朱の大鳥居、ぼんぼり、伏見稲荷風千本鳥居、中華的竜。今も昔も変わらぬ、日本。ディスカバーJapan。



垂れ幕や鳥居に書かれている文字が、気恥しくも友愛だの幻想だの超越だのと、単純に字面で愉しめない日本人にとっては、なんともこっ恥ずかしい。私たちがアラブ文字を字面で愉しむのと同じで、そこにどんな危険なメッセージがあっても知ったことではないようなものだ。



大鳥居が入り口だとすれば出口を飾るのは相撲取りと芸者。ゲイの友人が、まさしくこの組み合わせで仮装パーティに出たというので笑った。スペインで言えばカルメンと闘牛士みたいなものか? しかし、相撲取りが隈取してやしないか?(笑)



富士山がないよね、富士山が〜。といちゃもん付けつつブラ歩き。ワタシ的にはパリをテーマにしたアントニ通りの方が好み。こちらは芸術点で一位を獲得しただけあって、パリのちょっとくすんだ色合いが偲ばれる。



ムーランルージュのカンカン踊りや、こんな下着屋さん。実在しそうなデフォルメの具合がいい感じ。ちゃんとエッフェル塔もあった。



上を見上げると水のペットボトルも素敵なモザイク天井に。色水の微妙なトーンで、バルセロナのあくまでも明るい陽射しをパリの空に変えている。やはり、芸術点は高い。



住民総出で製作している手作り感満載のお祭りだ。どう見ても学園祭の飾り物にしか見えないものやら、冷やかし歩きが愉しめるグラシアの祭り。8月にバルセロナを訪れるなら、ぜひお薦めしたい街歩き。
| るな | バルセロナという街 | 17:41 | comments(0) | trackbacks(0) | -
食べ歩きを愉しむ
バルセロナの本格的観光シーズンが始まる前に、この時期いろんな地区でタパス・ツアーが催される。各ビール会社との提携で、Qintoと呼ばれるビールのミニ瓶とそのお店の一品が付いて、2.5ユーロ辺り。トレンディな地区から庶民的な地区まで、お店も色々だしつまみも色々だ。協賛しているバルには看板が出ていて、最近はネットで時間帯のチェックもできるから、いかに効率よく回るかツアー・コースを練って出かける。普段はちょっと入りづらいこんな親父バルも、友人たちとわいわいと連れ立ってなら平気だし。



スペインは観光立国だが、とりわけ現在はバルセロナの方が首都マドリッドより観光客が多い。昔よくあった首都巡りツアーも、パリ、ローマ、そして今はマドリッドではなくバルセロナに切り替わってきており、マドリッドに行かないツアーも増えてきた。ガウディの種々の作品を初め、ムンタネルなどのアールヌーヴォ期の建築物が街並みの中に融け合っていて、若葉の今の時期が街が一番美しく見える。まだ暑すぎず湿度も低い今が、街歩きには最適だ。



バルセロナは今グルメの街としても人気。むろんミシュランの星レストランが多いバスク地方が、スペインでは最もグルメな地方として有名だが、街自体の観光スポットが少ないから、食べて歩いて街を楽しめるバルセロナが交通の便の良さもあって一番人気。夏は気軽にメトロに乗って海水浴も愉しめる。この時期にバルセロナを歩いていると、自分はなんと美しい街に暮らしているのだろう、という喜びに浸れる。



そんなバルセロナのプチ・グルメを楽しめるのが、このタパス祭り。いろんな地区でやっていて、ラバル(El Raval)地区はバルセロナの下町の心臓部、ピカレスク界隈。最近とみに人気なのがボルン地区。こちらはピカソ美術館界隈で、昔はちょっと危ない界隈だったが、今はすっかりお洒落な地区に生まれ変わり、若いデザイナーが最初のお店を出したい場所として人気。小さなブティックが並び、サンタマリア・デル・マール教会や旧ボルン市場周辺にタパス・バルが集中している。



今回行ってみたのはグラシア地区。かつて村だった趣をそのまま残している地区で、村の中の高級住宅区、庶民地区と顔つきもゾーンで違ってくる。庶民区に集中した協賛バルは、時間制限がなくビールと一品で2.40ユーロ、おまけにボリューム満点。この地区ではこのボリュームがなくては、住民は納得しないのだろう。特に凝ったものではない、普段のおつまみが多い。いわばB級グルメだ。4軒回って10ユーロ。これは友人と連れ立ってお賑やかに行くのが楽しい。



こちらは私の街でのタパス・ツアー。ちょっと小洒落たバルが多いせいか、おつまみもなかなかに凝っている。量も普通サイズ。時間帯が決まっているから効率よく回る必要がある。ちょっとしたゲーム感覚だ。


こちらバジリコパンのミニハンバーグ。6軒回ったらさすがに、もうビールには飽きてしまったけど(笑)。おつまみはそれぞれ被らないようになっているので愉しめる。昔はバルは親父の溜まり場的な感じが強くて、あまり気軽に(特に女性が)ビールとつまみを頼むなんてあり得ない感じだったが、時代はあらゆる意味でライトになってきている。サフォンの書いた時代にまで遡らずとも、ほんの四半世紀前のバルセロナは、ヨーロッパの中の田舎町だった。都市計画というのがいかに街の価値を高め、お洒落な街へと変貌させ得るのか、この四半世紀で目の当たりに見せてくれたのが、このバルセロナという街だ。

さて今週はランブラス通りでタパス祭りだとか。お値段は4.5ユーロ、格上のものを食べさせ愉しませてくれるのか、これまた楽しみである。
| るな | バルセロナという街 | 06:44 | comments(0) | trackbacks(0) | -
早くしないと日が暮れる
日脚が少しずつ伸びてきたのが分る。朝の散歩も明るくなってきて、モノの形が見えるようになってきたし、霜を踏む音もかすかになってきた。春が近い。春が近いという心持は、幾つになっても良いものだ。なのに、心のどこかで早くしないと日が暮れるぞという声がする。心の片隅が日暮れて行くような。これって単に病み上がりの気弱さからなのだろうか。



黄昏時の街を歩く。家々の灯がともされる時間も早いせいか、普段は奥暗い扉の向こうに海が揺らいでいるのが見えた。何処へ誘うゆらぎなのか、この淡い灯火の生み出す影が溜息をつきならが寄り添ってくるような…。そんな幻想を垣間見、垣間見しつつ街を歩く。



ガウディの作品の中では、この天井が一番好きだ。以前は展示スペースだった為、光が遮断され綺麗に見えなかったこの天井も、今はカフェになっているので誰でも愉しめる。でも、もし出来ることなら一人でゆったりとしたソファに寛ぎながら黄昏てゆく光を追っていたい。海の底に揺らぐ海藻の気持ちが味わえるやもしれぬ。あるいはミレーのオフィーリアの...



光は生まれ、そして消えて行く。そのあわいの中で色彩が生まれ、そしてそれもやがては移ろっていく。忙しい日々の中で、ふっと何かに魅かれるように見返ったその瞬間に、私を捉えてやまないモノが姿を見せる。忙しく生きてきたここ十数年が、時には何の意味もなかったのではないかと鬱々とした心持に傾きそうな瞬間、黄昏て行く最後の光に私はしがみつく。今夜はただゆっくり眠ろう、どんな諍いもどんな行き詰まりも思い起こすことなく、この最後の光だけを胸に抱いて。この消えゆく光が明日には新たな光に蘇ると信じて。このステンドグラスの扉の向こうへ、一歩踏み出す勇気を持ち続けることが、まだ自分には出来ると信じて。

冬のバルセロナの街を歩く。冬でも晴れていることが多いバルセロナでも、何日かは灰色の空が重く被さり、ティビダボの山が霧に覆われ見えないほどに冷え込む日もある。人が家路を恋しく思い急ぐ頃合い、扉の向こうに灯が点る。こういう扉があったら、哀しみも光に融けていきそうな気がする。



だが、逆にこんな立派な扉に護られた世界にいたら、外の世界には踏み出せなくなるのでは、という気もする。窓を開ける、扉を開く。まずはそこから全てが始まるのだろう。

アーモンドの花がほころび始めた。書を捨てよ、野に出よう! そして、行きあたりばったりで跳べ(笑)! もうすぐ春。
| るな | バルセロナという街 | 04:33 | comments(0) | trackbacks(0) | -
風の影を探して (Català-Rocaと共に)
先日、仕事で一緒になった人から、午後の自由時間に「忘れられた本の墓場」があるという通りに行ってみたい、と不意に言われた。Arc del teatre(原文ではスペイン語でArco del teatro)、ランブラス通りに面して、暗い洞窟への入り口の様な石造りのアーチがある。そこがArc del teatre通りへの入り口だ。絶妙な場所を選んだものだ、とつくづく思う。



初めてバルセロナに来た1986年の秋、私はこの通りのすぐ近くにある公立語学学校に通い始めた。7カ月の身重だった。朝早くから、ランブラス通りには娼婦たちが立っていた。中にピンクのバレエのチュチュを着た、ボテロの絵から抜け出してきたような、飽満を通り越した巨躯の娼婦がいた。膝から下がその上半身の巨大さに比して、驚くほどに華奢な感じがした。自分が今、このバルセロナという街にいる不思議、一人の男とここにたどり着いたという不思議、そんな不可思議な人生の謎を抱えながら、私は毎朝、同じ生きるという土俵にいる彼女たちを見ていた。誰もが忘れがちな、そんな普通の感情。私はカトリック教徒ではないから神という概念は解らないが、もし神が我々に唯一何かを与え得るならば、誰もが同じ人間であるということを感じられる感性であるべきだと、ひそかに思ってしまう。



「世界がこんなにみじめなところでも、見物するだけの価値があるのは、彼女みたいな人たちがいるからだよ」「娼婦たち?」「いや。それを言ったら、我々はみんな、しょせん、娼婦みたいなもんですからね。私が言いたかったのはね、善良な心を持った人たちのことですよ」このフェルミンとダニエルの会話で、私はあの時代のバルセロナをまざまざと思いだしたのだ。ピンクのチュチュを着た豊穣な娼婦と、この世界にもう一人の迷える子羊を生み出そうとしている私が、同じランブラス通りの朝の光の中で、あの清々しい秋の空気の中で、今日の一歩を踏み出そうとしていたのを。



サフォンの「風の影」については、もう既にいろんな書評もあるだろうから、物語への感想は差し控えておくが、このロマン小説に描かれたバルセロナという街に魅かれた人には、まさにこの時代を撮り続けたCatalà-Rocaの写真集をお薦めしたい。何年か前にガウディのペドレラ(カサ・ミラ)で開かれた彼の写真展で、私はすっかりこの人の持つ抒情性に魅了された。「風の影」のスペイン版の表紙に使用されたこの写真も、無論 Català-Rocaのものだ。最初、スペイン語版を読もうとしたら、そのあまりの分厚さ、重さにたじろいでしまったのだが、この表紙自体が語り掛けてくる世界観は捨てがたかった。しかし、スペインの本というのはどうしてあんなに重いのだろうか。紙の質もさることながら(「舟を編む」に出てくるような、情熱的な紙屋さんはいないものかしらね)、まことアルファベットというのは場所を取る。通勤中に読みたいが、その後仕事中も持ち歩かなくてはいけないと思うと、どうにも買いづらい重さ、大きさだ。



サフォンの描く迷宮のようなバルセロナ。「人の肌にしみこんで、気づかないうちに魂を奪う」魔性の街バルセロナ。あの内戦終結後の暗い恐怖に囚われていた民衆の、今も残る深い哀しみ。「言葉より残酷な牢獄がある」ことを知らない私は、まだ幸せなのだろう。今もなお暗い中世の街並みの残る旧市街の夜を、焦燥と孤独(これは同じものなのかもしれないが)に突き動かされて、主人公が歩き回った街路。そしてこの時代にあぶくの様に生まれて、やがて消えて行ったブルジョアたち。ディアゴナル通りを超えると、世界は大きく違っていた。



これらの寫眞は1953年に出版されたもの。物語と同時代だ。産業革命(繊維工業)で財を成した新興ブルジョア勢力が、競ってモデルニズモ様式の華美な屋敷を立てたのが、今なお青い路面電車が通りを走るティビダボ通りだ。ペネロペの眠る屋敷はガウディの弟子のひとりルビオが設計した、Casa Roviralta(El Frare Blanc 白い修道士)がモデルだというが、今はレストランになっているあの明るい空間からは、陰惨なゴシック物語は想像しがたい。いずれもが没落の過程を辿って行ったにせよ、彼ら新興ブルジョアたちはまだ護られていたのだ。同じ時代、多くの人がフランコ軍に連れ去られ、モンジュイックの丘の要塞で銃殺刑に処された。そこにこそより多くの恐怖が、言葉より残酷な牢獄が存在したのだ。およそ4000人もが銃殺され、そのまま放り投げるように埋葬されたモンジュイックの丘の墓地。何処に埋められているのか認定できないため、ここに眠っていると感じる場所に家族は花を捧げるのだと、昔聞いた覚えがある。バルセロナ・オリンピックによってメイン会場となったモンジュイックの丘の、重く凄惨な過去も今は風化しつつある。だが、語り継ぐ言葉を紡ぐことも出来ないほどの、残酷な牢獄に囚われている人たちが、今もいる。繰り返される内戦、処刑シーンの映像、自爆テロの被害者たち、毎日TVに映し出される終わりのない憎しみの連鎖。



六月の明るいバルセロナの陽光の中で、ふとかすかな影が私の頭上を横ぎっていく。太陽と私との間に浮かんだ小さな雲なのか、大空を飛ぶ鳥なのか。あるいは、誰かの声を乗せて私の中の何かを呼び覚まそうと、静かにやって来た風なのか。風に影があるとすれば、それははかない吐息の形をして私の中を透き通ったまま通り過ぎていく、青鈍色に澄んだ瞳の少女のかたちをしているような気がする。

余韻を残す物語を読む喜びは、こんなところにある。この一冊との出会いで、あなたはバルセロナという魔性の街に囚われるかもしれない。そして、囚われの身の歓喜に打ち震えるかもしれない。そんなあなたを微笑みを浮かべて待っている人たちがいるかもしれない。誰かが私たちのことを覚えている限り、私たちは生き続ける、のだから。恐らく、記憶は恩寵であるのだろう。

 
| るな | バルセロナという街 | 03:48 | comments(0) | trackbacks(0) | -
バルセロナという街を歩く その4
五月というのは街歩きに心地よい季節だ。プラタナス並木がバルセロナという街を緑に染め上げる。綿毛がアレルゲンのひとつというので、近年プラタナスから花の咲く樹に植え替えが進んでいるというが、私はこの大きなプラタナスの並木が大好きだ。一本のまっすぐな道を天蓋の様に覆い、やがて円となって世界を閉じている。他の街から帰ってくると、バルセロナは緑が多いなと感じる。マドリッドは大きな公園がたくさんあるが、意外に街中に緑を感じることがない。妙に殺伐とした感じなのだ。



街を歩いていると、思いがけずハッとするものに出会ったりする、良い意味でも悪い意味でもだが。ぶらぶら街歩きで楽しいもの、美しいものに出会えるのは、都市生活者のひとつの悦び。週末、サンタ・マリア・デル・マール教会近くにハンドクラフトの市が出る。これは知人のイタリア人男性が作っているフエルト素材のバッグ屋さん。カラフルでありながらシックな色合わせは、イタリア人の感性だと見入ってしまう。仕事も丁寧。イタリア訛りの彼は、中々に繊細で素敵なのだが、残念ながら美男子のパートナーがいる。やっぱりね。



キティの何がこんなに受けるのか、私には全く理解できない。ディズニーのキャラクターとかも、理解不能だけど。しかし、人気だ。これはいつもウィンドゥのデコが面白いランブラスのケーキ屋で見つけた、サン・ジョルディの日の飾り。こねくり回されたこういうケーキって、オモシロイかもしれないが、食欲は誘わない。食べ物は美味しくいただけるのが基本。これはあくまでも客寄せ。でも愉しいから時々覗くお店のひとつ。



これはバス停にあった広告(何の広告だったかは失念)。これを友人に送ったら、「まさしく! しかし💛ももう不要かも」というコメントが。正しく、と笑ってしまう。Vangardia紙の特集を見ていたら、面倒な関係よりは一人の方が良い、というのがあった。自立しあっている者同士、もしくはきちんとシェアしあえている者同士であれば、結婚という形態に自由を感じられるのかもしれないが、そうでないと感じてしまう関係よりは一人でいる方が良い、と考える人が増えている。ひとりでいる孤独の方がマシ、という訳だ。スペインはヨーロッパの中でも離婚率は高い、カトリック教国であるということを思えば、それは宗教なんぞ関係ない離婚率の高さ。離婚率が低い国が幸せなのかはわからない。経済的に相手に依存しなくてはならない仕組みの中では、結婚は一つの生きる形態だからだ。男と女のつながりを支えるのは何か? 人間的魅力か、肉体的魅力、はたまた経済的魅力か? 精神的な関係は破たんしているが、双方とも自立できないため離婚できないカップルというのは、この経済不況下のスペインではさらに増えるだろうし、結婚という形態はこれから先、ますます減少していくだろう。そんなことにまで思いを至らせたポスター。



バルセロナはガウディに依存している。のではあるが、このBellesguard邸の場合は、どういえばよいのか。ガウディの作品の中で、個人宅として現在も人が生活をしている数少ない屋敷だ。ガウディの作品としては非常に中世的な、そして政治的象徴に満ちた作品だ。いたるところにカタルーニャの歴史、その栄光と没落、ドラゴン…などが見え隠れする。スペイン内戦中は押収され、孤児院としても利用された数奇な運命を持つ。現在の所有者ギレラ家は一時、癌専門の個人病院として使用していたこともあり、また個人宅でもあることで、一般公開はされてこなかったのだが、今回修復費の捻出のために、一部公開に踏み切った。たまたま現在の所有者であるギレラ夫人と言葉を交わしたのだが、大がかりな修復費を銀行から借りて、やがて銀行の持ち物になってしまうくらいなら、共存できる形での公開という方向を選んだのだとか。



直線的な外観を持ちつつ、室内空間にはガウディらしい曲線が使われている。もっともこのタイルはガウディの意図したものではないそうで、確かに自己主張の仕方が違う気はする。屋上階からはバルセロナの街が360度展望できるが、かつてはローマ時代の要塞であり、カタルーニャ朝の最後の王、マルティン1世の夏の離宮でもあったという。室内の公開はごく限られた部分だけだが、ガウディ作品としては集合住宅ではない個人宅を見れる。以前、やはり個人宅として今も使用されているカサ・ヴィセンスも見せて頂いたことがあるが、あちらの室内空間は過剰なほどの装飾に満ちていた。そこまでの様子は見れないのが、ちと残念ではあるが、うまく観光と共存し維持できることを祈っている。日本でも白川郷など、個人宅として暮らしつつ公開している屋敷もあり、それは維持するための苦渋の決断であるのかもしれない。だがやはり、これだけの誇れる屋敷を持てること、それを維持しようという意思、それは尊重すべき素晴らしいことだと思う。ただし、Bellesguard邸の公開時間は、一日のうち数時間と限られているが。



これは屋根裏階。前出の写真の階段部分と同様、薄いレンガを使ったカタランボールトの作品だが、こちらは漆喰が塗ってないので構造がそのまま見える。ゴシックの間と呼ばれているそうで、シャンデリアの飾りも鋳物のゴシック風。窓から外は一切見えない。あの窓の外は屋上階で、そこにはドラゴンが眠っているという、物語性溢れたお屋敷。何処にドラゴンがいるのか、それは見てのお愉しみという訳だ。

今年は思ったより気温が上がらず、せっかく出した夏服も着ていくには躊躇する肌寒い日が続いているが、太陽を求めてくる観光客たちで、バルセロナは相変わらず賑わいを見せ、この日曜は15万トン級の大型客船が2艘、中型小型を含め7艘のクルーズ船が入港し、商業施設からの要望に沿って日曜開店の許可がなされた。日曜は休業というスタイルは変わりつつある。マドリッドなどは完全自由化にしてしまったが、バルセロナも観光関連からの要請によって、今年の7月、8月は日曜開店を認可した。パリなど北ヨーロッパに行くと8月は休業のお店が多いが、そういう人たちがバカンス客としてやってくるバルセロナでは、日曜の買い物客を逃すのは大きな損失、という訳だ。7月はバーゲンの月でもある。さて、気合を入れて下見をしておかなくちゃ!
| るな | バルセロナという街 | 17:50 | comments(0) | trackbacks(0) | -
バルセロナという街を歩く その3
カタルーニャの最大の祝日といえば、9月11日のディアダと呼ばれる民族の日と、4月23日のサン・ジョルディ。ディアダの日はカタルーニャの血が結束する日として、大規模な行進がある。街中にカタルーニャ州旗が翻る。そしてサン・ジョルディの日は街中に薔薇と本が溢れかえる。早朝のカタルーニャ広場は、朝靄の中すでに薔薇の花を売る店が立ち並ぶ。



老いも若きも、薔薇を買う。愛とは何かを、ふと考えつ。だが、そんなことは忙しさの中に紛れ込んでしまう。義理薔薇も買わねばならぬご時世なのだ。愛とは単独の誰かにのみ捧げられるものではないのよね。100万本の義理薔薇が、たった一本の愛の薔薇に劣るとは言えまい? なんて意地悪な事も考えますね、歳ですかね。2013年に花の付加価値税が8%から21%に上がったせいで、今年は売り上げが15%の下落が想定されているとはいえ(これは義理薔薇分か?)、この日のためにカタルーニャでは600万本の薔薇が取り扱われるのだそうだ。恐るべき愛の力。



昼もたけなわの頃は、こんな凄まじい人出。ランブラス通りからグラシア通り、メインストリートは本屋と花屋と、掏摸がごったまぜだ。こんな日に、薔薇を受け取らぬ女は哀しかろう? 本の一冊も貰えぬ男は寂しかろう? という訳で、いろんな愛や義理、思惑が交錯するのは人の世ならではである。



この日は有名どころの作家がサイン会あちらこちらで開くので、そちらも長蛇の列。そもそもは20世紀初頭にバルセロナの書店が、この日が命日であるセルバンテスやシェークスピアにちなんで、男性には本を送ろうというプロモーションを始めたのが起源という。何しろスペインという国で、スペイン語の出版物とカタラン語の出版物の数はあまり変わらないというから、このサン・ジョルディを本の日として輸入した日本の態度は、あながち間違いでもあるまい。今年、書籍業界はサン・ジョルディにちなんで140万冊の本、約2千万ユーロの売り上げを期待しているとか。この日だけで年間売上高の5-8%だという。今年の売れ筋はカタルーニャ独立に関連する本という予想だ。



マドリッドではスペイン語による文学に対して与えられる最高の賞である、セルバンテス賞の授賞式が行われる。4月23日はセルバンテスの命日でもあるのだ。ドラゴンと、ドラゴンに向かったドン・キホーテを生んだセルバンテスの命日。それが薔薇と本の、愛と知識の交換の日となって今に伝わる。サン・ジョルディの日はいろんなデザインが溢れるのも、おもしろい。今年見つけたお気に入りのポスターはこれ。ドラゴンの流した血がこの赤いバラである。



黄色に赤の4本線、このカタルーニャの紋章は世界最古だとか。やはり血にまつわる伝説だ。14世紀の伝説によれば、旗の記録は9世紀にさかのぼり、897年のムーア人によるバルセロナ包囲戦のさなかに、瀕死の重傷を負ったバルセロナ伯の負傷の血を以って、フランク王国の王シャルル2世が指でバルセロナ伯の黄金の盾に4本の赤い線を引いたのを褒美としたというものである。己の血の代償によって勝ち得た紋章だという訳だ。

そういえばムーア人で思い出したが、スペイン人の苗字にマタモロスMatamoros(ムーア人殺し)というのがある。何とも凄まじいネーミングだが、いかにこの国においてはカトリック色が強いかが分る気がする。先日のニュースではマタフディオスMatajudíos(ユダヤ人殺し)という名の、有権者56名の小村が、名前変更の賛否を問う住民投票をすると言っていた。元来はMato Judíos(ユダヤ人の丘)という名称だったそうだが、これがなぜユダヤ人殺しという名前に変化したのか。ユダヤ人との衝突によるものか、あるいは15世紀から16世紀に行われた異端審問による反ユダヤ主義に由来する変化なのかは、歴史家にもはっきりとは解らないそうだ。

1492年、コロンブスが新大陸を発見した年、フェルナンド・イサベル両カトリック王はカトリックへの改宗を拒んだユダヤ人を異端者と断定し迫害が始まった。どうやらそこら辺りに名前の変化の起源があるいのではないか、というのが有力な説だ。この折に追放されたユダヤ人が新大陸へと渡り、現在のアメリカ経済の支えになっているという説もあるから、金融界を支配するユダヤ人(イスラエル)への配慮ということもある。小さな村の名前の変更、しかしその背景にあるものは深い。そういえば日本でもトルコ風呂が改名を求められた事があったなぁ。今は何というのか、ソープランド? 訳の分からんうネーミング。本来はローマの流れを汲むイスラムの公衆浴場の意味だと思うのだが、まぁ、18世紀末のロンドンではすでに色香を売る場所でもあったというし、あのアングルの絵がいかんのでしょうかね。まだ見ぬエキゾチックな世界はエロティシズムな想像をかき立てやすいのだろう。時代が変われば意義も変わる。時代を背景として変遷した村の名前は、やがて穏健な名前と変わり、歴史は突出したものを飲み込んでいくのだろう。
| るな | バルセロナという街 | 05:55 | comments(0) | trackbacks(0) | -
バルセロナという街を歩く その2
4月は税金申告の月なので、自営業の我々はあたふたとしている。というのも昨年の年度末から、税金申告はネットのみに切り替えられつつあって、自己申告をする人100%が自宅にパソコンを持ちネット環境が整っているという訳でもないと思うのだが、とにかく突然そうなってしまったのである。テレビが地デジになった時も感じたが、日本と違って行政が圧倒的な支配力を持つスペインでは、はいそうなりました、と言われたら為す術がない。しかも通達から施行までの期間が非常に短い。私のように移民である身では、法を侵すということはこの国で正当に生きていく権利を脅かす行為であるから、当然ながら極力避けなくてはならない行為である、したがって税金も払うし、これだけちゃんと税金を払っているのに選挙権がないという不当性にも、甘んじなくてはならないのだ。日本にいる外国人居住者も、同じ不満を抱えているであろうことは容易に想像がつく(日本に暮らす日本人は、そんなこと考えても見たことがないのかもしれないけど)。そういう移民である私にまで、カタルーニャ独立住民投票賛成の署名を求めてくる不思議。スペイン国会は今月8日、カタルーニャ自治州が分離独立の是非を問う住民投票実施に向けて提出していた請願を、圧倒的多数で否決した。マス・カタルーニャ自治州首相は「今後も投票を合法的に行う枠組みを追求する」と述べていたが、これは合法的でなくったてやるもんね、て事なんでしょうね、恐らく? 11月9日までこの攻防、あるいは駆け引きは続く。



ちょっとレトロなメトロ。先日バルセロナのメトロ開設90周年で運行された記念車両、御覧のように車掌がいてなかなかにお洒落な感じ。この日一晩のみ、しかもサグラダファミリ駅から出ているとあって、満員御礼の賑わい。1920年代の衣装をまとった俳優たちが当時の雰囲気を伝える。市民戦争(スペイン内戦)が起こる前の、バルセロナが最も華やいでいた時代だ。



バルセロナはこの時代を偲ぶ催し物が結構多い。シッチェスという愛らしい港町とバルセロナ間で行われるクラッシクカーのレースは、ピカピカに手入れの行き届いた車も素敵だが、レース参加者は当時の衣装をまとうという条件がなんともクラシカルでいい。アールデコ調のゆったりとしたドレスは、女性からコルセットを取り去った革命的なものだ。ガウディのコロニアル・グエル地下礼拝堂のあるサンタ・コロマ・デ・セルベジョ村でも、毎年10月中旬の週末にモデルニズモ(アール・ヌーボー)祭と称して、当時の日常的な衣装をまとった村人たちが市を開く。ガウディ役の人もいて、ちょっと愉しい街起こし。



もっと気軽な感じで愉しめるレトロな路面電車もある。Tranvia BlauはAvenida.Tividaboという、モデルニズモ様式の邸宅が立ち並ぶ瀟洒な通りを、ほぼ毎週末運行している。こういう電車って、本当に初夏によく似合う。京都の市電に慣れ親しんでいた私は、あの鄙びた感じ、電車から見る街並みが大好きだったが、何処も彼処も電車は地下を潜るようになってしまい残念だ。電車の窓からの視点の高さは、歩いていては見えないものが見えたりする。



普段は急ぎ足で歩く街も、ふと足を止めて見上げると、こんな玄関が見えたりする。上の部分にはめ込まれているアールヌーボーのステンドグラスが、中からほのかに浮かんで見える早朝の街。よく通る道なのに歩いている目の高さでは見えてこないモノのひとつ。見えないものを視る、と詠ったのは誰だったか。吉増剛造? 天沢退二郎? どんなにあがいても、思い出せませぬ。だんだん物忘れがひどくなっている。でも、忘れることは幸せになるひとつの方法と言った人もいたし。



バルセロナの街は歩きやすい。それはごみが少ないせいかもしれない。こちらのごみ箱は人間がすっぽり入れるほどの大きな定置型で、実際土曜日のスーパーの閉店時間近くには、ごみ箱をあさりに来る人たちが結構いる。期限切れのものや傷みの激しい野菜などを処分するのを待ち受けているのだ。バルセロナはスペインで一番分別ごみ化が進んでいる。紙、瓶、プラスチック、普通のごみ、生ごみの5種類に分かれているが、日本の分別の細かさに比べれば大雑把なもの。50m毎にごみ箱を設置するから、分別に協力してください、というキャンペーンが功を奏したと言える。大きなものは場所を取るから、細い路地の多い旧市街などでは、地下に大きなデポジットを設け、それを回収車がバキュームする。何時までに捨てなくちゃいけないという規制がないので、ごみストレスは少ない。犬の散歩通りに糞専用ごみ箱の設置をしたり、生ごみ専用回収をいち早くやり始めたのが我が町で、生ごみは土にして市民に安く提供する、という方式。この画像のデポジット式ごみ収集所は旧市役所前の広場にあるのだが、そこにごみ担当オフィスがあって、生ごみの家庭用コンポスト容器と、油回収デポジットの普及に努めている。家庭から出た油を回収して石鹸にする仕組みだ。油を捨てるのは海を汚すことだから、こういう処理が普及するのは大歓迎だ。私もコンポストを設置したかったが、庭に穴を掘って設置するタイプしかないので諦めた。

日本に帰国するとごみストレスに曝される。何をどう、いつ捨てるのか、脅迫的に迫ってくる。ペットボトルは蓋がどうの、口の部分がどうのと、一時帰国者には訳が分からない。しかもごみ回収車の直前にしか出してはいけないとか、透明の袋で自己責任が問われるとか、もう少し行政側の工夫はできないのか。こういう地下デポジット式なら繁華街のごみはもう少し綺麗になるのではないか? 郊外や田舎なら、しっかりした定置型であれば鴉だの犬に荒らされることも無いだろう。以前、地震の多い日本では電気ケーブルなどを地下設置すると復旧に時間が掛かるから、電線のない街並みがなかなか実現できない、という話を電力会社の役員から聞いたが、それでも知恵を絞るのが工夫であり、進化なのではなかろうか。言い訳の立つところだけで仕事をしていては、先には進めんぞ、と私なんかは思ってしまうのだなぁ。
| るな | バルセロナという街 | 07:38 | comments(0) | trackbacks(0) | -
バルセロナという街を歩く
3月の世界最大規模のモバイル見本市がやっと終わり、バルセロナの街は平常の落ち着きを取り戻した。見本市の入場料が2000ユーロとか4000ユーロ、ホテルの値段は10倍にまで跳ね上がるというにも拘らず、80万人がこの見本市に訪れた。この期間は一般の観光客はほとんど訪れない。ホテルが取れないからだ。バルセロナという街の不思議な力だ。見本市、各種学会を引っ張て来るのに、ガウディという観光商品、ブリを筆頭とする新スタイルの食事の美味さ、気候の良さにインフラ整備、などバルセロナは今や首都マドリッドより、観光客が多い。日本の観光ツアーのパンフレットも、スペインを謳わずバルセロナを前に出したものが増えてきた。



ヨーロッパの都市の中でも、バルセロナは格段にWiFiフリーが浸透している。駅やバル、カフェ、ホテルのロビーはWiFiフリーは当たり前の感じだから、日本に帰った時にはその不便さに閉口する。日本の携帯会社の派閥的仕切り方、これが実に島国根性的な感じ。人も物資も自在に行き来せざるを得ないヨーロッパでは、国ごとの細かな仕切りがあっては流通自体が成り立たなくなってしまう。WiFiは成田空港ですら部分的にしか使えないような感じで、どこが国際空港なのか? 日本は多文化ということが、本質的に分かっていないのだろう。自分の国の言語が自分の国でしか通用しないような国で、多民族多文化の共有ということは、いかにも難しいことなのかもしれない。しかしそれの反動としての日本固有の文化、という姿勢でいいのかは疑問だ。良い商品を作ってさえいればグローバル企業になれる、という訳ではないし。



カタルーニャで独立の動きが活発化しているなか、ウクライナのクリミアの動きが興味深い。クリミアが独立ではなく、ロシアへの編入を求めたこと、これはかつてこのカタルーニャがフランスへの編入を求めたという姿に重なる。1640年から10年余り続いたカタルーニャ反乱が、スペインが世界帝国から転落する最終的な引き金になったといわれるが、フランス軍を受け入れておきながら自分たちの自治意識に基づいた特権の保持に固執したカタルーニャは、結局は絶対王政のフランスにも受け入れられず撤退されてしまった。自分たちの自治さえ確保できるならどこの国の王様だって構わない、という傲慢ともいえる姿勢は、スペイン国王によって鎮圧された末に、ピレネー条約によって西仏国境が定められ、現南フランスのルシヨン地方を失うことになった。



はたして歴史は繰り返すのか? スペインの5分の1の税金を納入しているカタルーニャにとって、独立して自分たちの国家を運営し、EUの一員として発言していく、というのは実現可能な夢なのか? あれだけの内戦を経験した後に、未だに燻り続ける火種はしぶとく不屈だ。カナダのケベック州にしても2度にわたる独立の賛否を問う住民投票では、独立が否決されている。はたしてカタラン人はこの独立を可能な夢として追求し続けるのか? カタルーニャとは一つの国であるという意識は圧倒的に強いが、本音から言えばスペインからの独立を本当に望んでいるかは、疑わしいものがあるという気がする。スペインという枠組みの中で絶対的自治権を求めるための布石なのではないだろうか。今年は再び独立の賛否を問う住民投票が予定されている。恐らくは独立を夢見ることは一つの民族の希望であり、救いでもあるのだろう。



バルセロナオリンピックが決まった1986年、街は興奮に包まれ、インフラ整備が一気に進んだ、黒ずんだ石の塊のようだったガウディのカサ・ミラは白く磨き上げられ、グエル公園のモザイク修復も、街並み保全の政令整備も一気に進んだ。街並みを残すために高さ規定、外観規制が厳しく定められ、新しく建物を建て替える場合も外側だけは残さなくてはならない。しばらく止まっていた建設が少しばかり動き出したように思えるが、それは今までのように新しい地区における開発といった規模ではなく、街中の再生という形の方が多いように思う。この画像は旧市街のランブラス通りの立替の為に、外壁を全て残しているところ。恐らく地下に駐車場を持つ近代的な建物が、この古い外壁の中にすっぽりと収まるのだろう。かつての住民たちが家の壁を塗り分けていたのが見れて面白い。



これはパエジャ作りの講習会の様子。パエジャコンクールで金賞を取ったというシェフのクラスに、わざわざ日本からツアーを組んでやってくる。パエジャは蒸らし過ぎてはいけない、ほんの少し芯があるのが美味しい、とシェフは強調する。だが、日本人はあくまでも自分たちのやり方で、米を食すのである。平和な一日。
 
| るな | バルセロナという街 | 03:03 | comments(0) | trackbacks(0) | -
秋雨前線近し
9月24日はバルセロナのお祭り、メルセ祭。マリア・デ・ラス・メルセデス(慈悲のマリア)の略だが、このメルセ祭が終わるとサンダルを仕舞う、というお祖母ちゃんの知恵袋みたいな言葉があるそうで、実際気候が変わる。いわゆる「暑さ寒さも彼岸まで」なのだ。むろん晴れればまだ日中の気温は25度はあるし半袖でも十分だが、朝夕の気温は15度を下回る。



今年のメルセ祭は珍しく天気が持ちこたえ、雨に見舞われることなく終わった。9月11日はディアダというカタルーニャ民族の日だが、今年のマニフェスタションは特に、自分たちが納めている税金の額に比して配分率が低すぎるという長年の鬱憤が噴出し、不甲斐ないスペインからの脱却を図り独立をしてでも自分たちはEUに残るぞ、という気概が満々と溢れていた。150万人の群衆が「カタルーニャ独立」のスローガンの下にデモをしたが、翌日のTVEという政府お抱えのテレビ局ではニュースとして取り上げず、ますます反発を買った。TVEはAna Pastor(アナ・パストール)というとても優秀な美人キャスターが、毎朝9時からの討論番組を担当していたが、彼女のPP(民衆党)への切り込みが鋭すぎるというので降板させられてしまった。アナ・パストールはCNNのインタナショナル・キャスターになったというから、そちらの方がより活躍できるのかもしれないが。とにかく、守りの姿勢しかできない現在のスペインは面白味が欠けるし、カタルーニャが足を引っ張られたくないと思うのも一理はある。未だに街にはカタルーニャ州旗がバルコニーを飾っている。

  

その流れの中にあった今年のメルセ祭、本当にカタルーニャ国として独立をしたいのかは微妙なところなのだが(2010年の州民投票では可決されなかった)、反中央の機運は近年になく切迫した感じで高まっている気がする。何より若者がデモにも多く参加していたし、このサルダーナの踊りを見ても、民族の誇りは確かに根付いている。抑圧があるところに誇りは発生し護り継がれるという事なのかも知れない。今の日本で国家からの抑圧を感じて暮らしている人など、果たしてどれだけいるのか。続発する領土問題にしても実感が伴わない、というのが正直なところではないだろうか。



お祭りに付き物のカスタリェス。カタルーニャのシンボルである4本柱(バルセロナ、ジロナ、タラゴナ、レリダ)の、今まさに完成せんとするところ。このあと一番上に上った子供が片手を挙げると成功の証。2010年にフラメンコ共々ユネスコの無形文化財になったが、カタルーニャが独立したらサルダーニャも登録活動をするのかな? きっとそうなるだろう、フラメンコと一緒にされちゃ適わない、と思ってるだろうし。

人混みが苦手なのもあって、近年お祭り見学はほとんどしないのだが、仕事絡みでサグラダ・ファミリアの照明ショーを見に行った。バルセロナはこういう盛り上げ方が、なかなかに粋なのだ。4日間、夜9時から12時の各時15分間のショーだったが、一体どれだけの人出が出たのやら。なかなかに楽しめるものだった。あ、画像はPeriodico誌の「メルセ祭写真コンクール」からのものです。



なんだか、本当にガウディってゴシックなんだぁ〜、という感じがしましたね、この一種怪奇的な意味も含めて。シュールゴシック? 



| るな | バルセロナという街 | 20:35 | comments(0) | trackbacks(0) | -
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< January 2018 >>

このページの先頭へ