風の色、海の色、バルセロナ色

バルセロナからの気ままな風。
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雑木林
私は落葉樹の雑木林が好きだ。 23年振りの、日本の晩秋から初冬の帰国。最後の紅葉と、そして冬の始まりを告げる雪に出会った。愛でるために設えられた庭園美ではなく、山道の中の雑木としての紅葉。晩秋から冬の山道は、妙に明るい陽射しが所々に射し込んでいたりして、空の高さというものを感じさせてくれる。



夕日に明るく照らされた紅葉が見れるのは、山を下る醍醐味。こういう雑木林がどんどん少なくなってしまった。



私の幼いころは林業が盛んだった。我が家の山にも大勢の人が杉や檜の切り出しに入り込んでいて、コールタールを塗った木馬道がうねうねと続いていた。時代は高度成長期とやらだった。山はすっかり明るくなって、その後に植林が行われたが、ほとんどが当時はお金になると思われていた杉や檜で、雑木林の落葉樹がどんどん消えていった。植林されたばかりの頼りなげな苗木を鹿から守るために、祖父は私を連れて散髪に行くとは、その髪の毛を持ち帰って苗木の周りにばらまいていた記憶がある。鹿は人の匂いを嫌がるという。すっかり明るくなった山には下草にいかり草や山紫陽花、笹百合が群生し、とくに笹百合は私の誕生月に咲く花でもあり、その芳香と淡い色合いが大好きで腕一杯に摘んで帰ったものだった。今は幻の花とまで言われるようになったらしい。



初冬の故郷の山道。毎朝ぶらぶらと散策をした。お正月飾りの裏白が目に付く。そう言えば昔は水仙が群生していたのだが、その後すっかり姿を消したようだったのに、今回再び群生しているのを見かけた。喜ばしいことだ。県花でもあり越前岬には有名な群生地があるが、こんな風に野の畦道や土手に咲くのも穏やかに春を迎えようという気配がする。



もうひとつ、この時期に見たかったのがやぶ椿。椿の木は思いの外に背が高く、足元に落下した花で所在を知ることもしばしば。庭の生垣がすべて椿だったので、この蜜を吸って遊んだり、蕾を茹で卵に見立てて庭でおままごとをしたり。残念な事に根が張りすぎて取り除かれてしまい、わが幼少の思い出としてしか残っていない。まだ少し早いかと思ったが、陽のあたるお寺の庭でようやく見つけた寒椿。椿には雪が似合う。



こうしてみると、私はずいぶんと季節とともに生きてきた人間だという事が、今さらながらに解る。季節折々の自然との対話というものが、私を育んできた土壌として確かに存在している。そこにこそ私のアイデンティティはあるのかもしれないなぁ、などと、やはり故郷の山を見て思ったりした。日本海の冬の海や空の色と言うのも独特なもので、鈍色の天空、鈍色の荒海、雪の降りやんだ早朝の群青色に明けていく空、山に降りかかる時雨。紅葉と共に、これが見たかった故郷の風景でもあった。冬は蟹や鰤、海鼠も美味しいし。日々暮す身ならば時雨がちの冬は辛くもあろうが、なかなかに捨てがたい季節ではある。

私の持つ雑木林のイメージは、松や杉などと交り合った雑木林だったのだが、次に友人が連れて行ってくれた伊香保温泉、榛名湖周辺の雑木林は落葉樹だけの雑木林らしく、まるで象の背のように地肌が透けて見える。ああいう森を歩くとずいぶん明るいんだろうなと思うと、犬たちと散歩をしてみたくなった。榛名湖は竹下夢二がアトリエを開いたところで、伊香保温泉にある夢二記念館では「榛名山賦」のオリジナルを見る事が出来る。ただこの絵のイメージは緋襦袢だったけれど、オリジナルは退色の為なのかサーモンピンクに変わっており、少し違って見える。夢二が描いた色は本当に緋襦袢で間違いなかったのだろうか。それに関する説明がないのでどうとも言えないが、与える印象も当然ながら違ってくる。代表作の一つでもあるので、何らかの説明があってもしかるべきかも。

今回の帰国では、友人たちと老後は何処で過ごそうかという話になった。皆そういう事をチラチラと考える歳になってきた訳だ。ある友人は暖かい処がいいから定年後は沖縄移住を願い、別な友人は故郷に帰り畑を耕すような生活を夢見ている。私は森と海がないと落ち着かないタチなのだが、犬と歩きまわれる雑木林があって、近くに湖か川があるのもいいかなぁ、などと榛名湖を見て思ったのだが、榛名湖は藻が繁っていて「絶対に泳いではいけない湖」なのだそうで、それは残念である。しかし、日本は温泉があるから魅力的。

それと同時に、誰と過ごすかというのも話題になった。当たり前のように夫婦で老後を、とばかりも言っていられない時代なのかも知れない。バツイチあり、子供のいない夫婦あり、ひとり身ありの我が友人たちは、それぞれの老後をどんな風にイメージしているのだろうか。性別に関わりなく気の合う友人同士で生活をシェアするというのも、これからの時代に沿ったあり方ではないかと思うのだが、ある友人曰く「掃除の仕方が違いすぎるとかだと、イヤ」 う〜む、完璧主義でも潔癖主義でもない私ではあるが、あまりに暮らし方レベルが違うのは確かに無理かも。そういう意味では違った環境で育ったもの同士で別な環境を作り上げてきた夫婦と言うのも、互いが依存しすぎない友人と言う関係に進めるのかもしれない。



落葉樹ばかりの雑木林は冬は淋し気で嫌い、と友人が言っていたのを思い出しながら、今日もバルセロナの森を犬たちと歩いている。これから少しずつ日が長くなっていく。もうひと月もすればアーモンドが咲き始めるだろう。近所のミモザの蕾も黄みを帯びてきた。冬支度をしていた日本を後にしてきたが、ここはもう春支度の感がある。もしここを離れたら、やはり恋しく思い出すに違いない。私の人生において、バルセロナは最も長く暮らしている街になってしまったのだから。


みなさま、どうぞ穏やかな新年をお迎えください。

| るな | 旅にしあれば | 10:19 | comments(0) | trackbacks(0) | -









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