風の色、海の色、バルセロナ色

バルセロナからの気ままな風。
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暑中お見舞い


こんな涼しげな暑中お見舞いをする必要もないくらい、バルセロナは天候不順。7月も終わろうとしているのに朝夕はまだ上着が必要なくらいで、6月にあんなに暑い日があったなんて嘘みたい。冷房のない我が家では過ごしやすい(というか、夜は窓を閉めないと寒いくらい)のはありがたいが、何だか寂しい気がする。

やっとぼんやり過ごせる時間が出来てきたので、久しぶりに中上健次を読んだら、くったりしてしまった。発表当時に「岬」や「枯れ木灘」を読んで、その暝い血がごうごうと渦巻くような圧倒的な物語性に引き込まれもし、嫌悪もした事が思い出された。買った覚えがないのだが片付けをしていたら「千年の愉楽」が出てきて、う〜ん、どうしようかなぁ、と思いつつも手を出すことにしてしまった。たぶん、涼しかったから…。不条理でも何でもなくて。

中上健次が既に亡くなってしまっている事も、彼が被差別部落の出身だという事も知らなかったのだが、それはいかにも生き急ぎをして逝った「路地のもの」みたいだ。「オリュウノオバ」という語り部が物語を紡ぎだす、それは血族の物語であり、そこに流れている物語性はガルシア・マルケスの「族長の秋」「百年の孤独」の如く、中南米やフィリピン社会におけるコンパドラスゴ(広範囲の親族意識)と相まって、蔓が絡みつき寄生しあうかのように不可思議なジャングルを生みだしていく。植物の持つ強烈な生殖力。その蔓に絡みとられてしまって、そこから逃れようともしない何か諦めの感性、肯定と諦観がない交ぜになってしまった、土地そのものに呪縛があるような「路地」を生霊・死霊が行き交っている。句読点なく延々と続く語りは、琵琶法師の語りのようで、文字の読めないオリュウノオバが記憶をつづれ織りにしているのだ。

部落問題に初めて触れたのは中学に上がる時で、校区内に被差別部落という存在がある事も初めて知った。ちょうどそのころ岡林信康の「手紙」が歌われていた。あの、「私の好きなみつるさんが…」という哀切の歌である。これを聞いた時、みつるという男は何とまぁ、根性のない奴なんだと思いもしたが、あの時代の一般的な被差別部落への意識、閉塞感を思えば、「部落に生まれたそのことの どこが悪い どこがちがう」といううめき声こそが現実だったのだろう。「手紙」は遺書から、「チューリップのアップリケ」も中学生の詩が基だというし、岡林のそういう物語を物語る手法は中上健次に通じるところがあるように思う。

それにしても「路地の高貴にして澱んだ血」とはいかなるものなのであろうか。夢と現がない交ぜになって狂気に向かってひたひたと歩いてゆく人は、みんなそんな血が流れているのやもしれぬ。






しかし、夏に読んで良かったのかも。これが冬だとずっしりし過ぎて、いつまでも消化不良のお腹を抱えて歩くことになったかも知れない。


| るな | 本の愉しみ | 13:00 | comments(0) | trackbacks(0) | -









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