風の色、海の色、バルセロナ色

バルセロナからの気ままな風。
<< 命を繋ぐ歓び | main | とりあえず「猫の町」行き列車に乗ってみるか? >>
新・時代小説
私は時代劇が好きである。と書くと、チャンバラものが好きのように思われるかもしれないが(確かに好きではある)、剣豪の奥義を極める類の話は、正直苦手だ。極めることは個人的精進の法であり、別段剣豪でなくてもみんな同じじゃん? という不遜なワタクシが顔を出すのである(まことにもって…、はぁ)。



かといって、究極人情話のような類も苦手だ。それなら落語を聞いた方がいいように思う。人情話の一つや二つは、生きていれば個々の中にあるので、それを改めて字面で見るのはなんだかなぁ、という気がする。「芝浜」など聞いた方が断然面白いし。「落語は絵だ」という言葉が納得できる。人情は時代を超えても存在し続けているのであろうが、現代的状況でド〜ンと書かれれば気恥ずかしいものだ。ところがそれがお江戸調でなら、何となくこの気恥ずかしさをちょっと遠くに置いておける。泣いちゃったりしてもいいか、と自分にも優しくなれる。しかしオチがみんな同じようになってしまうから、人情噺だけではツマラナイ。懐深い話にするには噺家の巧みか、書き手の巧みが肝心なのだろう。

で、江戸モノが好きな私は、その辺りがミックスされたような「捕り物帖」的時代劇が結構好きで、池波正太郎の「剣客商売」「鬼平犯科帳」など、既に古典とも称せるものや、最近では宮部みゆきのちょっと妖しの世界も面白い。彼女には人の闇が闇であった時代の怖さと哀しみがある。

最近お勧めということで読んだのが、冲方丁の「天地明察」。スッスッと読めて、まことに手際よく一気に読ませる物語本であったが、直ぐに忘れてしまいそうだ(既にもう、朧な印象しか残っていない、何たる事でしょ)。碁打ちであり続けながらも、大和暦を考案した日本最初の天文学士・渋川春海の、何事も布石を敷いての詰めの一手か、ということを妙に納得させてくれる「よくできた物語」。起業家成功物語風だし、まさしく新・時代小説なんだろうが、なんだか物足りなさが残るのは何故なんだろうかと、うつらうつらと考えていたら、そうだ、ここには悲哀がないのだった。人間の闇が描かれていないのだった。物語の筋を追うことが主で、人が描かれていないのだった。いや〜、伝記物はワタクシ好かんのよね、とまたもや不遜な。

闇ということに関すれば、まとめ読みしたのが夢枕獏の「陰陽師」。イケメン安倍清明(逢ってみたい!)と笛の名手・源博雅という、ボケと突っ込みがちょっと心地好いパターンを生み出していて、私の大好きな平安時代、人の闇が鬼をも生み出すという、本当ならもっともっと怖〜い世界に行きそうなところを、ひどくサラリと仕上げてある。同じ素材を宮部みゆきが扱ったら手強い闇に引きずり込まれそうなのだが、この清明と博雅という組み合わせが何とはなしに潔く、他者を引きずり込まないように仕上がっている。「ゆこう」「ゆこう」というパターンが不思議な安心感を与えてくれるのだ。



このシリーズの一話に「無呪」という話があり、私はふとパトリック・マキリップの「妖女サイベルの呼び声」を思い出した。この作品は私に「言霊」ということについて、深く思いを馳せさせた幻想小説の名作だ。陰陽師の「無呪」に出てくるのは、この世で最も古い神「混沌」で、陽炎のように未だ形を持たず名を持たぬ混沌は、人が己の心の中に思い描いた姿に成ろうとする性を持つ。名を与えられるという事は、その形に当てはまろうとする事なのであって、それは混沌自らの死を意味する。つまり混沌とは混濁した意識そのものだった訳だ。
そして妖女サイベルは、力ある妖獣をマインド(心)の強さで屈服させ、己の支配下に置く。その方法とは妖獣の名を呼ぶ事で、彼女のマインド(支配力)が妖獣の力に勝った時、妖獣はその召喚に応じる。マインドの強さを持ち続ける事で、妖女サイベルは妖獣たちを「名前=己自身」という檻に閉じ込めているのだ。

あら、そう考えれば犬の調教に似ている。まぁ、マインド(我)の強いモノが制するっていう事では、人間同士だって同じといえば同じだけどね。おほほ。




久しぶりの帰郷で、四半世紀ぶりに霰を見た。内側に水彩絵の具でいろんな色を塗った小さな紙の箱を作り、その中に霰を入れて振ると、霰にいろんな淡い色が付く。小学生の頃、私が考案した秘かな冬の遊びで、アラレ万華鏡と呼んでいた。久しぶりにやってみたかったが、残念ながら霰は積もることなく溶けてしまった。

この時季、北陸の空は鈍色に変わる。毎朝、ご近所の子犬を借りて一時間ばかりの散歩を愉しんだ。画像は村の山寺と、お散歩友達のタイガ君。私が子供の頃、鹿や猿が里に下りてくるなんて事はなかったのに、今は庭先で遭遇するんだとか。茸や山菜採りに気軽に入れる山ではなくってしまったんだそうな。



それでも今年は柿の生り年で、何処へ行っても枝に多く残っているのが見え、あの柿色の温かみが嬉しかった。久方ぶりに収穫の楽しみも味わった。熟した柿をもいで食べると、しみじみと晩秋を、そして迎えつつある初冬の、あの震えるような空気を、肌で感じる事ができた。

ブータン国王夫妻の影響で、幸福度という不思議な度合いを測るのが流行りらしい。福井は「一番暮らしやすい県」として名を挙げたが、今や「一番幸福度の高い県」らしい。今あるものに満足する県民性なのかもしれない。多くを望まないことこそが「足るを知る」という事なのかもなぁ。わが故郷・若狭は、今再び原発問題に直面している。脱・原発を目指すらしいのだが。人の営みというのは、難しいものだ。


来る年が、実り豊かな年でありますように。穏やかな新年をお迎えください。
 

| るな | 本の愉しみ | 16:29 | comments(0) | trackbacks(0) | -









http://dalks.bosquedesantcugat.com/trackback/1135942
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< October 2019 >>

このページの先頭へ