風の色、海の色、バルセロナ色

バルセロナからの気ままな風。
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コジェバトの春
この春は目まぐるしく変化した。日本の景気が良くなってきたのか、あるいは単に気晴らしをしたいという気持ちが抑えられなくなってきたのか。観光業界の2月3月の忙しさは並ではなかったが、私も急きょ3月末から日本に一時帰国をしてきた。春、25年振りに会いまみえる故国の春はひたすら寒く、冬物をあまり持たずに帰った私は、今更買うのも癪だしというので、重ね着でほとんど着た切り雀状態だった。桜餅と草餅だけは堪能したけど。最後は何とか大阪で満開の桜(ただし小雨降る中)に逢え、微妙に心を残す春との邂逅だった。



バルセロナに帰ってくれば暖かいだろうと願っていたら、こちらも寒さ長引く春で、5月になろうというのに未だ気温は20度になかなか達してこない。この寒さはロシア上空の寒気団のせいなんだろうか。ロシア上空が寒いと日本も冷え、ヨーロッパも冷える。つまりはそれだけ大気は循環している訳だ。今年がチェルノブイリ事故から25年、福島の25年後は一体どうなっているのだろう。

モンセラットの麓、コジェバト村に住むアスンプタから「福島の事故に関する講演会があるけど、来ない?」と誘われた。彼女は我が家の雄、マツの娘ダナの飼い主で、ダル・クラブの秋の遠足会の主催者だ。コジェバト村は小さい町なのに文化的な催し物がよくあり、彼女もご主人のペレと共々企画などにも携わっているようで、村の教会で開催される日本人のパイプオルガン奏者・菅藤泉さんのコンサートにも誘われた。この村にはヨーロッパでも数少ないパイプオルガン工房があり、モンセラット修道院のパイプオルガンなどを手掛けている縁で、オルガンや少年合唱団のコンサートを企画している。福島から人が来て講演するという事なのだが詳細は判らないまま、お犬たちの散歩も兼ねて夕食付で誘われたので出かけることにした。



そもそもコジェバトはモンセラット修道院のおひざ元、巡礼の道筋にも当たる村で、昔は巡礼者たちに水がないので代わりにワインを振舞ったそうだ。中腹にぽつんと礼拝堂があり、ここは中世にペスト患者の隔離所として使われていたとか。この村には今もキリスト教的精神が自然と伝わっているのかもしれない。そんな事をふと思ったのは、何も知らずに行った講演会だったのだが、実はコジェバト村は2002年から10年にわたりチェルノブイリ事故で被爆した地域に暮らす子供たちを、毎夏各家庭が受け入れていると知ったからだ。ペレ&アスンプタ夫妻とその友人たちが中心となって、Associació de Collbató per la Solidant(コジェバト連帯協会)を結成したのが2001年、ドイツのプロテスタント教会の呼びかけに応じたものだったとか。被爆地の子供たちがひと夏、自由に戸外で遊び健康的な生活ができるようにというボランティア活動で、ペレとアスンプタ夫妻も7年間、毎年ロシア人の子供を受け入れていたそうだ。

その10周年にあたる今年がチェルノブイリ事故から25年という節目に当たり、福島への未来への警鐘という意味合いで、今回の講演「Conferència dels liquidadors i herois de Txernòbil y Fukushima チェルノブイリと福島の被災者と勇士たち」が企画された。チェルノブイリからはSvetlana Margolinaさんが参加、事故直後の村人たちの様子を語った。「その日は気持ちの良い晴れた日で、みんな太陽を浴びようと肌を出してぶらぶらと散歩を愉しんでいた。何も知らされなかったが、いつの間にか電話が通じなくなっていた。村へ入ろうとする人やものが規制され、食糧が足りなくなった」と、放棄された現地の写真を交えての説明はうすら寒いものがあった。あの年、1986年の夏、私たちはヨーロッパへと移住してきたのだった。原発大国フランスでは厳しい報道規制が敷かれ、何も知らされないとパリ在住の友人が危機感を募らせていたが、実際にはとんでもない被爆が起きていたのだ。



今回の講演のために福島原発に働く人に講演を依頼したかったのだが、東京電力から被害状況などに関してインタビューを受けたり口外してはいけないという禁止令が出ているという説明がまずあり、福島からは教育学者のワタナベ・トモノリさん(通訳:マツムラ・マスミさん)の二人が来西、福島の現状と未来への不安について語った。「チェルノブイリの避難区域の数値を当てはめるなら、もっと広範囲の避難区域が出る筈だが、それについて政府は何も説明しようとしていない」という不安と不信が、現地に暮らす人の言葉で訥々と語られた。その激昂することのない、静かな語り口に胸を塞がれる思いがした。教育学者であったワタナベさんは、被爆しないようにと室内に閉じこもり、マスクを手放せない妹さん母子の姿を見て、「最大の被害者は母と子である」という思いから、その姿を絵に描こうと絵描きになったそうで、「3月11日の母と子供たち」というテーマを描いている。彼は日本の慈善団体のメンバーであり、現在は福島の子供たちのためのセラピストとしてのボランティア活動を行っている。講演前に招待された会食では、テラスでゆったりと食事ができることの幸せ、マスクも何もせず村を自由に散策できることの喜びが胸に沁みたという。そんな当たり前の自由が制限され、被爆の恐怖に怯えながら、避難することもできぬまま現地に留まり続けなくてはならない人たちが、動物たちがたくさんいるのだ。

チェルノブイリの子供たちはキリスト教のボランティア精神によって、ドイツやスイスなど様々な国でひと夏をホームスティして過ごす。その間に色々な催し物を楽しみ、歯の治療や健康診断などを受けるそうだ。福島の子供たちはそこまでしなくても良いのが現状なのか、それともそういう工夫ができないのが現状なのか、私には解らない。ただひと夏だけでも、被爆の心配をせずに思い切り遊べる夏休みが過ごせたら、それは彼らにとって忘れ難い体験であり、それが人を繋ぐ新たな絆になっていくのだろうと思う。「絆」という言葉の真価が問われるのは、これからの10年先、25年先なのかも知れない。だが、善意のボランティア精神から生まれたこういう絆が政治的色合いを帯びていくのは、ある意味いたし方のない事なのだとしても、やはりそういったものから距離を置きたい人たちというのは出てくる訳で、アスンプタ夫妻も今は協会にはタッチしていないそうだ。政治的攻撃力として利用されたくはないのだろう。



誰もが太陽の下でゆったりと寛いだ日が過ごせるように。福島の母と子に、そんな当たり前の日々が戻ってきますように。わたしたちの願いは、そんな単純な思いなのだが。


| るな | 雑記 | 21:33 | comments(0) | trackbacks(0) | -









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