風の色、海の色、バルセロナ色

バルセロナからの気ままな風。
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春嵐
なかなか気候が安定をしない。今日は春嵐。久しぶりに窓に打ち付ける雨を眺め、風の音を聴いている。雨の中を年に一度のワクチンの為、お犬2匹を連れて獣医に行った。我が家の犬はもうドッグ・ショウに行かなくなったので、シャンプーなどと言うものとは縁が切れてしまった。この雨は格好のシャワーになる。ダルメシアンはまこと安上がりな犬種だ。それにしても寒い。



つい先日まで25度近くに上がり、惜春と言った感があったのが嘘のように、今日は14度と2月末の気温だ。マドリッド近郊では雪が降ったらしい。雨が多いせいか、近年になく今年は野生のアスパラガスの収穫も多く、結構楽しめている。春が短い気がしていたら、初夏からいきなり晩冬の感じ。傘を持つ指がかじかんだ。

ドイツから犬友がやって来た。太陽を求めてきたのにこの雨でテンションは下がる一方だ。彼らと話していたら、ドイツ人感情としては、もはやユーロからは脱却したいという意見が多いようだ。税金の大半を他国の援助に持って行かれる、という(カタラン人と似たような感覚)。東西統一後の経済危機を自力で乗り越えてた彼らの感情としては、もっともな気がする。自力で乗り越えられないくせに、緊縮経済にはこれ以上耐えられないと反旗を翻すラテン系の国々の感覚は、ドイツ人からしたら許し難く映るのだろう。

住宅ローンを組んで払えなくなった人たちを救済しよう、銀行の強制追い出しを阻止しよう、という運動が盛り上がっているが、これだって他方からすれば、払えないのに物件の引き渡しを拒否するとは何事かという論理になる。かつて銀行は貸し出しに積極的で、住宅全額ローンだって受け入れていた。むしろ親子2世代ローンのお奨めとかもあったらしい。要するに2世代に亘って頸木を付けられるようなものだ。バブル崩壊を考慮しなかった銀行、しいては政府の責任は大きいだろうが、慎重な国民性であろう(スペイン人よりは)日本人だって、バブルに踊って泣いたのだから、ましてやスペイン人となれば何をか況や。

しかし、スペインの経済危機もなんのその、もっとも景気がいいのが実はサグラダ・ファミリア(聖家族贖罪教会)ではないだろうか。この雨の中に入場券を買う人の列が延々と続いていた。建設途中の未完のモノを売り物にしているなんて、大した神経だという気がするのだが…。贖罪教会という本来の意味は、信者からの寄付金によって建てられるという意味なのだろうが、現在のサグラダ・ファミリアは年間35億から40億ともいわれる入場料等の、いわゆる観光収入によって有り余る資金を持っている。しかも宗教法人、一切税金を払う必要はないとあって、今や寄付金など全く当てにしてもいないし、必要もない。スペインで一番の集客を誇る大観光地であるサグラダ・ファミリアは、今やアミューズメント・パークの様相。ガウディの計画にはなかった何やら大きなものを建てていると思ったら、お土産物コーナーの拡張なのだそう。いやはや…



7代目の前主任建築家だったボネット氏は、このサグラダ・ファミリアの観光地化、ガウディの商品化に懸念を抱いていた、いわゆる建築畑の人物だったようだが、どうも現在は加速度的にガウディの商品化が進んでいる感がある。寄付金の必要もない潤沢な資金源そのものであるサグラダ・ファミリアという、この世にも稀なる器の中には、何やら不気味に蠢く生き物が数多く生息しているようだ。ご生誕の門の制作の為に寄付金が募られていると云う。そしてそれはサグラダ・ファミリア教会に連結している動きとは言えないらしい。そんな噂が流れているのだ。サグラダ・ファミリアの門の制作のためにと寄付金を募っている人物がいるらしく、日本の企業へも寄付金の依頼があったという。大学生への高額な講演費も寄付金という名目だとも聞く。

東北被災者の為の寄付金は、その使い道、振り分け方など報告義務が問われるが、こういう教会の門扉への寄付金というのは、どういう扱いなのだろう? まして教会本部自体が、与り知らぬ寄付金とはなんなのだろう? 一個人への献金なのか? それを知っての寄付金なのか? 文化的寄付金に基本的に渋い日本の企業は、こういう処に甘いという体質があるのかも。税務署は何をやっているんでしょ? それともこれも宗教団体への寄付金扱いで処理される類のモノなの? 宗教人に説教を聞かされると警戒心が働くが、同じ話を芸術家と称する人物がすると有難がってしまう感覚は、「芸術」という言葉に対する憧憬やらコンプレックスやらがあるんだろうか?  「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である」とはマタイ伝の言葉ですが。

先日オモシロイ話を聞いた。ガウディを聖人にしようという意見があるのは聞き及んでいたが、私はそれはサグラダ・ファミリアという教会を建設するという功績に関してのことだと考えていたが、病人を直しただとか、あたかも奇跡を起こした人としての聖人扱いをしたがる人たちがいるというのだ。なんだか、そこまで来たのか、という感じ。それは遣り過ぎでしょうが? 昔、子供のヒーローもののアニメで、東京都庁舎が悪者ロボットになって動き出すというのがあった記憶があるけど、今やサグラダ・ファミリアもそのノリなのかも。ちっとも有難くないというとこが共通項か。

ガウディが生きていたらどう思うだろう? という類の無粋なことは言わない。人は死んでしまったら、全て後の人に委ねるしかないからだ。生きている間に完成はすまいと判っていた仕事であったのだから、ガウディ個人の作品と考えること自体に無理があるともいえる。だが、ひとりの人間を聖人としようとするその思惑は、シンプルにガウディ信奉だけなのか。そんな疑問が浮かんでしまうのですね。



甘い蜜には虫が群がりますか、春ですしね。


| るな | 雑記 | 23:53 | - | - | -
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