風の色、海の色、バルセロナ色

バルセロナからの気ままな風。
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遠花火
何となく出かけることが少なくなってしまった。子供が大きくなって親と連れ立って出かけることがなくなってしまったのが理由の一つだが、むろんそれだけではない。
私の母も商売をしていたので、人が遊ぶ時が仕事の忙しい時で、一緒に祭などに出かけた記憶があまりない。小さい頃は祖父に連れられていろんな処に行ったが、中学に上がった頃からは友達と出かけるようになった。夏の愉しみは花火大会だった。



日本の花火は本当に美しい。花火の音を聞くと、早く早くと急かされているような、胸が少しばかり締め付けられるような思いがしたものだ。早くしないと消えてしまう、そんな思いで生きていたのだ。若い頃はどうしてあんなに時間がないと思っていたのだろうか。実質、今の方が遥かに時間はないというのに。

海から上がる花火。屋台の人混みの中を蚊に刺されぬよう、団扇を使いながら浴衣で歩いた海岸通り。祖父に連れらて見た料亭からの花火。芸者さんを始めて見た幼い私は、別世界に強烈な憧れを抱いた。鰻の好きだった祖父は、八十五歳を超えて胃癌のため胃全摘出手術をしたが、麻酔から覚めて言ったのは「鰻が食べたい」だった。祖父は声を荒げることのない、静かな慈愛とユーモアに満ちた人だった。政治的な葛藤があったにせよ全ての責任から逃げる術しか持たなかった私の父に対し、祖父は私の前では一度も非難の言葉を口にしたことがなかった。私の母も長い間何も語らなかった。私は思いは胸の内で育て処理するもの、と習い親しんできたのだ。思いは沈殿し、そして徐々に発酵させてゆくものなのだ、と。



祖父は私の母に対し「去る者は追わず」と言ったのみだったそうだ。私の愛してやまぬ祖父よ、幼い私をひたすら慈愛の目で見つめてくれたのは、あなただけであったと、今思うのだ。胃癌手術の後、私は幼い息子と帰国し、ひと夏を一緒に過ごした。病院に息子を連れていくと、息子は祖父のベッドでよく昼寝をしていた。本人は覚えてはいないだろうが、彼は大変な祖祖父孝行をしてくれたのだ。彼もまた祖祖父に無償で愛されたのだった。幼い頃に得た無償の愛ほど、その後の記憶を豊かに育んでくれるものはない。私たちは記憶の中に生きているのだ。とても静かに。そして記憶の中でしか愛せないものも、存在することを知っている。


| るな | 雑記 | 23:37 | comments(2) | trackbacks(0) | -
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