風の色、海の色、バルセロナ色

バルセロナからの気ままな風。
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廃屋の春
今年は春の訪れが遅かった。いつもなら2月に入ればアーモンドの蕾がほころび、ミモザが咲き始めるというのに、いつまでも冷たい風が吹いていた。ようやく春めいてきたある日、花を訪ねて森深くに入った。毎年必ず訪ねて行く花がある。森の中の廃屋に咲く桜と李の木である。

 

桜といえば日本では染井吉野が一般的だが、私は昔ながらの山桜が好きだ。スペインでは桜は実のなる桜ん坊の木を指し、花を愉しむという感じではない。この廃屋に咲く桜は風情が山桜に似て、赤みを帯びた葉が花と一緒に出てくる。花の色も山桜に比べるとやや濃いのだが、このふわりとした咲き方が好ましい。



日本で言う桜色はほぼ白に近い色合いだが、ほんのりとした紅が美しい。桜を待つ心は変わらない。

 

もうひとつの花が、李の樹だ。夏に付ける小さく甘い実は散歩の時の愉しみのひとつ。春一番にアーモンドが咲き初め、あぁ、春が近いと思っていると、突然白い花が一斉に咲き出す。桜、李、スピノサスモモ、林檎に山査子。毎年毎年繰り返されるこの豊穣を、少しばかり胸が締め付けられるような思いで迎える。かつては収穫のために植えられていたアーモンドや李、林檎の木も、今は放置され野生へと帰っている。胡桃や無花果も、今は収穫する人もおらず、栗鼠や鳥たちの格好の食料だ。



畑地を囲むように咲く小さな白い花の灌木。スピノサスモモはその鋭い棘で放牧地の生け垣として使われたらしく、今はそれがどんどんと広がっている。この棘は思いのほかに鋭く、家畜に刺さると化膿するのだという。キリストのイバラの冠、そのイバラは何だったのか諸説はあるが、もっとも可能性が高いのはイスラエルに多く自生するトゲハマナツメとトゲワレモコウだが、ヨーロッパではイメージのつかみ易かったこのスピノサスモモや西洋サンザシなどの説もある。いずれにしても鋭い棘が特徴で、スピノサというのは棘を意味する植物名。要するに棘李だ。この灌木が夏になると青い美しい実を付ける。始めて見た時、ブルーベリーだと大喜びした私はさっそく齧ってみたが、渋くて大失敗。役に立たぬくせに盛大な実の付け方だと思ったが、なんのこれがナバラ特産のパチャランになるという。これを発酵させてお酒を作るのか、と驚いたが、何のことはないアニス酒にただ漬け込むだけだそうな。アニス酒自体が甘いから砂糖も何もいれず、香り付けのために数粒のコーヒー豆を加え漬け込むだけで良いそうだ。自分では飲まないくせに果実酒作りが好きなので、 一度作ってみると面白いかもしれない。



そういえば果実酒は色々作ってみたが、色味の美しいラズベリーや、杏、花梨も、焼酎の代わりにドライジンと氷砂糖で美味しく作れる。コツというほどのものはない。ただ、いかに収穫してくるか、そして熟成を待つ時間こそが愉しみなのだ。

ピレネーの山村に行かずとも、この近くにも廃屋は点在している。ピレネーの山村の廃屋は別荘として好まれ、入手は年々難しくなっていたが、経済不況のため今はどうなっただろうか。かえって街に近いところの廃屋の方が、中途半端な形でそのまま放置されているのかもしれない。私が花見に行く廃屋も、人が住まなくなってそんなに長い年月が立っているわけでもないし、私の家からだって歩いて1時間程度のところだ。十分に生活圏だと思うのだが、うち捨てられている。

私の友人が廃屋を買って自分たちで修復改築しつつ暮らして、もう十年以上経つ。別な友人も農家の作業小屋だったのを買い取って、自分たちで手を入れながら別荘として使っている。都会に暮らしていると、時に自然回帰の本能のようなものにどうしようもなく引きずられ、田舎の生活が恋しくなる。日本もどんどん廃屋が増えると聞くが、日本の廃屋の画像や映像を見ると、なぜか凄惨な感じがするのは何故だろう。木の家と石の家では崩壊の仕方が違うからだろうか。ピレネーの山村に行くと、歯が欠けたように家と家の間に廃屋があり、屋根が落ち木の梁が朽ちているのが見える。恐らく使えそうな瓦などは持ち去られたのだろう。



日本は空き家が異常な数で増えているそうだ。崩壊しそうな空き家やゴミ屋敷の様になっている空き家などは、特定空家に指定され税金が6倍になる制度ができたと聞く。更地にするにもお金がかかるし、更地にしたからといって売れるわけでもないと、どんどん空家化していくだろう。仕事仲間の日本の実家が空き家になっていたのが、突然買い手がついたと言う。自分たちは既に持ち家があり、もう誰も住まないと判っている実家なのに、売れた時には泣いてしまったそうだ。女三界に家なし。とは言え、女にとって実家というのは幾つになっても心の拠り所でもあるのだ。

昨年友人の母上が亡くなった。九十歳を超えての大往生であったが、母親を失った今、私の友人は痛切に故郷の喪失を感じていると言う。母の居た処こそが故郷であったのだ。別な友人は生涯独身だった叔母たちの後片付けに追われている。子がない場合、やはり九十歳を超えて最後はどうするのか、誰が決断するのか。大きな責任を負わされ友人は疲労困惑していたが、最終的には施設に入所させたそうだ。今は子供がいても最後は施設に入る時代だ。一体いつ、いかにして自分に決断させるのかを考えていなくてはいけない時代なのだろう。我が母は、あと十年は頑張ると言っている。嬉しい限りだ。逆縁にだけはならないようにと思いもし、私が故郷だと思ってくれるであろう我が子のためにも、次の春を待とうかと思う。
 
| るな | 雑記 | 19:39 | comments(0) | trackbacks(0) | -









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