風の色、海の色、バルセロナ色

バルセロナからの気ままな風。
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尊厳
今年は記録的な暑さだ。7月初め早々に、これ以上の緊縮を受け入れるか否かという、ギリシャの国民投票の結果が61%のNOで週明けを迎えたヨーロッパ。拮抗しつつも「YES」がわずかながら上回るであろうと予想された、欧州の「ギリシャ人の良識への信頼」を裏切る形の投票結果となった。押し付けられた緊縮策はもうたくさん、借金まみれになろうと「尊厳」を持って生きるんだ、ってどういうことなのだろうか。この結果を見て、ギリシャの民意はEU離脱したっていいよ、何とかなるさ、という半ば捨て鉢な感じなのかと思いきや、何のことはない緊縮反対の民意など、どこをどう見ても関係ない結末と相成った。反緊縮の同志であった筈の閣僚を更迭するという、最後はチプラス首相の何ともなりふり構わずの遅き姿勢を露わにしたばかり。



日本でも今話題になっている粉飾決算、いわゆる嵩上げ会計で自分の会社が健全な運営をしているという信用度を高めようという事なのだろうが、これが国家を挙げての粉飾となると、ここにこそ実はギリシャという国の「尊厳思考」があったのではないかという気がする。西欧社会における哲学の概念を生み、民主主義という概念発祥の地であるという誇り、それが今、EUという枠の中で経済性で競わざるを得なくなり、弱い国と言われるスペインやポルトガル、しいてはイタリアなどと並列にされることへの不快感、我が民族が彼らより劣って良い訳がないというような意識、それが多額の借金返済に追い詰められた時、虐げられているという意識へと繋がったことで、仕事のない若者たちの現状への不満が出口を求めようとしたら、EUから離脱してでも緊縮を拒否したい、という事しかなかったのではないだろうか。しかし、そこには例えEUから出ようと自分たちは西欧民族であるという自負があればこそ、という気がする。いくらロシアや中国が支援の手を差し伸べようと言っても、ギリシャがロシアや中国の権力圏に入る気など毛頭ないだろうし、そもそもEUの一員で亡くなったギリシャにロシアも中国もさほど魅力は感じないだろう。どちらにしろEUの中で生きるしかないのだ。



チプラス首相はアテネ中心部の投票所で1票を投じた後、「反対票によってギリシャ国民は『尊厳をもって欧州に生きる』との断固たるメッセージを送る。誰も民意をないがしろにすることはできない。今日は民主主義の祝日だ」と述べた。だが結局はEUからのさらなる支援を得るためには緊縮策、年金削減を受け入れる提案をせざるを得なかった。失業率は25%越え、25歳以下の若者の失業率が49%という数字はスペインと似たようなもので、スペインだって緊縮策に喘いでいることに変わりはない。だがギリシャの様に国が不安定になったら観光客が来ない、観光立国でこれは大変な痛手である。ギリシャは不安定な状況である限り、観光客の足が伸びることは少ないだろう。これこそ負の連鎖だし、結局のところ耐えてきたスペイン人の方がお利口なのかもしれない。何と言ってもスペインには観光とサッカーがある。今年度上半期のスペインを訪れた観光客は2900万人、記録を更新したそうだ。今年は所得税の源泉徴収が21%から19%に切り下げられ、7月には15%に再切り下げされた。政府は我々はギリシャとは違う、回復に向かっていると強調してやまないが、失業率は相変わらず23.78%と高止まりだし、若者の失業率は50%を超えたまま。



だが、妙に居丈高に民主主義の勝利と満面の笑みを浮かべたチプラス首相を見ながら、そしてその後のEUに結局はおもねった姿勢を眺めながら、民主主義って何よ?と思わざるを得なかった。ギリシャの国民投票は、ただ単にさぁ、NOと言ってみよう!という事だけだったのか? 国家レベルでは民意において多数決の原理は存在しないのか? では、カタルーニャの住民投票は何なのだろうか? 日本だって国民投票という形で、集団自衛権に関する安保法案の賛否を直接問えばいいのにと思うが、やっぱり民意は活かされないのかも。まぁ、そういう国会議員を選出しているんだから、致し方ない訳なのか。

5月に統一地方選挙をやったばかりなのに、カタルーニャは9月27日に強引に州選挙を前倒しで実施すると言う。独立派連立政党のようなものを作り上げて、自分たちに投票しないものは「カタルーニャに反旗を翻すものだ」と、独裁者的発言までしでかす有様。この選挙で独立派連立政党が政権を獲得した場合は、 即座に独立に向けての準備を開始するとしており、中央政府がこれを妨害するようで あれば、準備期間すら置かず、その場で独立宣言を行なうであろう、と中央政府に対し脅しとも言える発言を行なった。確かに昨年11月に実施された独立の賛否を問う住民投票では、「1.カタルーニャが国家になるべきか」「2.その国家に独立を望むか」という質問に、80.76%がYES-YESと答えたが、これは中央政府が言う通り、何の執行力もないものだからこその数字だと思う。これがそのまま民意と言いきれないところに、カタルーニャ人の歪がある。すわ独立か、と騒がれ過ぎたせいか12月の世論調査では、反対派が賛成派を上回った。カタルーニャ人は「カタルーニャは一つの国家である」と考えてはいるが、実際的思考では独立が可能とは考えていないのではないだろうか。



だが、住民投票自体が主権のない洲が行うのは憲法違反だと言われると、ムカッと来る。というのが心情だろう。スペインという国家は、カタルーニャの納める税金に頼っているくせに、他の地方よりインフラ整備が遅れているという不満、それが不当に搾取されているような感覚に繋がり、フランコ政権時代的なものへのアレルギー反応として出てくる。ギリシャの国民投票だって、押し付けられた緊縮策にNOと言おう! 我らの尊厳を示そう!とは言うけれど、そうなった時のリスクについての明確な説明が、賛成派からもしっかりあったとは思えない。同じことがカタルーニャでも起きている。カタルーニャを一つの国に! カタルーニャ語による教育を行える国に! フランコによって潰された夢の共和国に! とは言うけれど、仮に独立した場合、通貨はどうするのか、EUに参加するための条件をどう満たすのか。



夢は夢である。そう自覚しながらも、夢を口にせざるを得ないところに、カタルーニャの深い歪みが存在する。そして、この独立を掲げるナショナリズモは、常に独裁への危険性を孕んでいる。真の政治的平等など、もはや栄光のギリシャにも何処にも存在しえない。共同体は大きくなればばるほど分裂解体を繰り返すものだし、マイノリティーに光が当たれば足るほど、細分化する。カタルーニャ人の真の願いは、危ういバランスに揺れ動いているのだろう。9月末、この独立への道筋はどんな形になっているのだろうか。そして独立とあいなった場合、カタルーニャ人かスペイン人であるかを選ぶことになるのだろうか?
| るな | 雑記 | 06:32 | comments(0) | trackbacks(0) | -









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